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#25 ”芸人のウラ”「なぜ芸人には女性が少ないのか」
……という疑問が、つい最近、天から降ってきた。
ある母集団においてその女性の数が少ないことは、しばしば女性差別だと糾弾され、大学の理系学部や、あるいは管理職においてそうした動きがあったというのは誰もが知るところだろう。
しかしそれは、この世のあらゆる集団において適用される法則ではない。例えば過酷な肉体労働により支えられている第一次産業に対し「男性優位!女性がそこに行けない!」という声が向けられているのを聞いたことはない。他でもなく、女性がそうした労働を好まないからだろう。女性が参入することを好まず、労災などの危険が男性に偏っている職種に関しては「それは男がやるべきもの(女性の身体性に配慮した結果)」として処理し、女性でもできそうな職種に関しては「男性優位の風潮のせいで私たちがそこに行きづらい」と文句を垂れているのが現代の女性だ。何度も言う通り、男性の数が多いというだけで女性差別になるわけではない。
また、こんな声を聞くこともない。
女性芸人が少ないのは女性差別——と。
第一次産業において女性の従事者が少ないことは差別として糾弾されないという事実を踏まえると、女性芸人が少ないにもかかわらずそれが社会問題として昇華されないのは、他でもなく、それが女性にとって忌避される職種だからだろう。
なぜ忌避されるのか。
女性にとって「他人に笑いを求める」ということは、それだけでハイリスクな賭けとなっているからである。
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突然だが、以下の動画を見てほしい。ショート動画なのですぐに見られます。
簡単にまとめれば、バイトのマドンナ的な立ち位置の女子がにらめっこの際に繰り出す変顔があまりにもしょうもない、という流れを動画にしたものだ。こうした経験は、女子と触れ合っているとたまに目にする光景でもある。
自分が大学生のときも、部活動の同級生に似たようなケースがあった。遠征とともに企画された飲み会の際に、一年生が一発芸を披露するというような段があったのだが、実力もあり可愛いと持て囃されていた女子部員の芸はあまりに面白くなく、照れ臭いというのがムンムンに伝わたことからも見ている方がどちらかと言うと冷め、しかしそれではその子がかわいそうなので「おもしろかったよ」「よくがんばったね」というような励ましの言葉とともにその芸は終わった。いっぽうで、その子よりは幾分かマドンナ的でない子のほうの芸は遥かに面白く、いきなりカピバラの物真似を見せるなどしては周囲の爆笑をかっさらっていた。
これらのことから、以下の結論が導き出せるだろう。
つまるところ、日常では見せないような姿をさらけ出しその面白さによって大衆の視線を惹きつけるという方法は、すでに周囲から『可愛い』という評判がありその性的な価値が担保されている者からすれば、その価値を下げる可能性のある——いわばデメリットしかない危険な橋渡りとなってしまうのだ。
かつての同級生が、あれだけ冷めるような芸を披露したにもかかわらず周囲から「がんばったね」「面白かったよ」というフォローが入ることがその証左だろう。彼女たちにとってみれば、決して面白くなどならなくとも、その存在を肯定しフォローしてくれる取り巻きが常に周りに存在する。その性的価値により孤独を免れているという状況下、変顔などによりその性的価値を落とす方が重大な問題になるだろう。上の動画において言えば、変顔をすることでより可愛くなっているのかとすら思わせる。どれだけその芸により場がしらけるとしても、今後生きていくうえで自分の性的価値を落とさないことのほうが遥かに重要なのだと、本人はちゃんとわかっている。
いっぽうで、その性的価値がどちらかと言うと低く見積もられがちな女性にとってはそうはならない。美貌というような尺度で周りの人間が近づいてこないからこそ、自分に視線を集めるためには面白くなるしかない。そうとしか言えないのでこう書くだけで、悪気はないというのをちゃんと断っておくが、その性的価値が元から低ければ低いほど、変顔を晒したりすることで失うリスクのような物もそれだけ少なく抑えることができる。いわば芸を披露することは、ローリスクのチャンスでしかないのだ。
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Mー1グランプリの女性ファイナリストを振り返ってみる。
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ファンの方には大変申し訳ないのだが、おもしろい女性ほど、周囲から憧れの眼差しを向けるような美貌は持ち供えていないケースがほとんどである。また、女性トリオで有名な『ぼる塾』や『3時のヒロイン』も、そこでボケの担当となるのは容姿にすぐれないほうの女性である(再三ですが気を悪くしたら申し訳ない)。
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この先何年たっても、女優になれるのではというような美人がお笑いのトップに立つことはないだろうし、また『3時のヒロイン』や『ぼる塾』のようなスタイルのトリオにおいて、そのボケとツッコミが入れ替わるようなこともないだろう。それは他でもなく、その容姿によって周囲の反応は変わるということを体の芯まで習得しているからだろう。性的価値の低さをなんとかその「おもしろさ」で埋め合わせようと幼少期から考えてきた人のほうが、それは笑いをかっさることにも長けているというのは実に当たり前のことだ。
女性芸人がなぜ少ないか。その答えは明らかだ。
面白くなることにメリットがあるのは、総じてその性的価値が低いと見積もられがちな人間である。男女の芸人数の差は、その性的価値を直接的に反映したものといっていいだろう。生物的な認知上、男性よりも女性のほうが面白くなくとも孤独を免れなくてすむような構造が出来上がっているからこそ、女性には、その性的価値を落としてまで面白くなるようなインセンティブが少ないのである。
だからこそ、女性芸人の少なさは女性差別にもならない。
面白くなる動機がその性的価値の多少に由来する以上、女性芸人を増やすということは彼女たちの性的価値をみるみる失わせるということにもなる。それが彼女たちにとって聡明な判断ではないということを、きちんと生物的に分かっているからだ。
言い換えれば、こういうことでもある。女性芸人の少なさを差別として訴えるような女性がいないことこそ、女性の性的価値が男性より高いということの何よりの証明である。
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今日書いたことをまとめると、以下のような話になる。
① 女性芸人が少ないことが差別とされることはない
② つまり、女性が芸人になることには、女性にとって相応のデメリットがあると考えるのが妥当である
③ そのデメリットの正体は、芸の披露に付随する性的価値の減少ではないか
④ 性的価値の減少を強烈なデメリットと感じるのは、その性的価値により多くの女性が孤独を免れられているという恩恵を自覚しているからではないか
……と考えていたのだが、そう一筋縄でも行かないようである。
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あくまでこれは一人の事例でしかないのだが、こうした取り組みにはどうしても顔をしかめてしまう。このバナナのコスプレがどのような層にウケを狙ったものかはいまいち分からないが、それが面白いかどうかはさておき、こうした芸当に〝ミス東大〟が足を踏み入れてしまうのはどうしても寂しく感じてしまう。
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その性的価値が担保されていることが明らかである存在が、そうでない者が逆転するために使うはずだった武器を身に付けてしまうのはやや強欲ではないだろうか。もちろんこれは、ミス東大がコスプレをするというその奇抜性を衒ったものであって、私が芸人より面白いと思っているわけではないだろうから、非難するようなことではないのは承知している。むしろ「バナナだけに滑ってる」みたいな反応をご本人も楽しんでいるように見えるから平和なのだが、これが賞賛され「ミス東大でもこんなに面白い」というような世論に変わってしまうのだとすればやや怖い。慶應高校の甲子園の優勝を見ているような気分に近いだろうか。持ちし者と持たざる者の隔離の過程を目の当たりにしているような、そんな気持ちになるのだ。
これまでさんざん女性芸人の方々を馬鹿にするような単語が飛び出しているので、不快に思う人はいるだろうと思う。しかしそれは決して馬鹿にしたいわけでも悦に浸りたいわけでもなく、何かの側面において他者に敗れているというのは往々にして起こりえることであって、そのときに他に挽回する手段があること、或いはそれに打ち込む姿というものに人は心を動かされるのだと思う。そちらの世界のほうが、ルッキズムだの何だのと理由をつけて誰かを笑うことを悪と誘導する世界よりも、はるかに健全ではないかと自分は思う。