感情にこだわりすぎれば、必ず時間を失うことになる。そして、時間はお金よりも貴重だ。

毎朝のように、「はあ…今日は天気が悪いですね。天気予報なんてハズレるときはハズれるし」と言ってくる、あるいは誰かに言っている主婦がいる。
一体、なぜそんなに天気のことが気になるのか全くわからないが、とにかく天気に敏感なのだ。
それだけ敏感なら、気象の勉強でもすれば良いのにと思うのだが、そういう気は一切無いらしい。
ハズれたときにグチグチ言う大人の態度は、国政政党に対する大衆の態度に非常に似ている。

天気予報は365日のうち、90%は当たっている。それなのに気象科学はこんなにも下に見られている。
反して、大衆が買う宝くじはどうだろう。ほとんどハズれると確信して買うという不思議な商品だ。しかも、ハズれてもあまり怒らない。
それはそうだ。大金の当選など天文学的な確率なのだから。もちろん、買うのは自由です。

僕はいつもその女性に、「天気が悪いのだから、洗濯物は乾燥機に入れてきたのですよね?」と聞くが、毎度の返事は、「外に干してきましたよ」というものだ。
僕の方も、「この人なら外に干してくるのだろうな」とわかって聞いている。そう聞くことによって、「いい加減、諦めたらいかかですか?」という刺激を与えているのだ。
完全に、余計なお世話である。

しかし、毎度のように天気についてグチグチと言われて、それに対する策を選択しないという姿勢を見せられると、こちらとしても面倒な気持ちになる。
悪い癖かも知れないが、「この人は一体、何がしたくてそんな話をしているのだ?」と思ってしまうのだ。
そして、理屈がよくわからない言動を見ると、一応の理屈をつけたくなってしまう。だから、これまで何度も「暗い雲が出ているときは、外に干すということをやめたらいいんじゃ無いですか」と言ってきた。
そうすると、いぶかしげな雰囲気を醸し出しながら、「うーん」みたいな返事をする。
感情的に、納得がいかないのだろう。

いつも、自分の感情を真ん中に据えて納得をしようとすると、損をするという典型である。
家に誰か家族がいる日は良いが、いない日には、雨が降らないかと気が気じゃない。たくさんの洗濯物が濡れるし、家に帰るまで取り込めない。
どうしてそれほどの懸念材料を置いて、感情を優先できるのか。「外に干す」ことで、どれほどのメリットがあるのか。

確かに、晴れている日には、洗濯物を外に干したくなる。その感情は、理解できる。
特に、上の世代の人となると、太陽信仰とも言えそうなくらい、陽を当てたがる。消毒をしているような感覚なのだろう。
もうそれは理屈ではなく、

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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