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全く無理はしていません
卑屈になっているのではなく、本当に言葉の通りだ。それを知っているから調子に乗らずに済んでいる。
一部熱心なファンの方々(つまり定期購読するレベルの方々)が、たかが3〜4人程度だが存在する。
これまで約2年ほど活動してきたわけだが、僕に千円出そう、と思う人はそれだけしか居ないということだ。だからこそ、その数人は特別ではある。
面白い、と言ってくれる人は多数いるのだろうが、それでも千円出せないということは、その面白さは「千円以下だ」というわけで、「おいおい、そんな安いものに面白さを感じているのかよ。見るのやめとけよそんなもの」と思う。こんなことを言うと、その層の人たちは鼻で笑うかも知れない。
まぁ、それはそれで全く構わない。
「お前の発言など、大した物じゃねえだろ」と思う人は多いだろう。その通りである。
しかし、無料とはいえ、その大したことのない人物の動画なりをわざわざ時間を割いて見に来ているのだから、その見識も浅いということではないか。こんな活動を見ているくらいなら、他に勉強した方が絶対に良いと思う。暇潰しをするにしても、あまりに無意味だろう。とその層の人たちに対して思う。
それにしても、結局のところ、この数字が2年間も活動をしてきた僕への評価であることには違いない。今時、子供でも、もっと人を集めるのではないか。もし僕がこれを金儲けのためにやっているとしたら、死にたくなるような数字ではないか。
例えば、小説の評価は何冊売れたか、だ。数がその指標になる。むしろ、数しか確かな指標は無い。好評も悪評も、本は売れている。それが全てである。
そう考えると、やはりこのYouTube界における僕は、吹けば飛んでしまうようなどうでもいい存在なのだ。
だからこそ、「あ、今すぐにやめよう」と思うことが何度もある。「いつでもやめられる」と言いながら続けてんじゃん、と思う人もいるだろうが、勘違いしないで欲しい。
わざわざ千円を払ってまでこの文章を読んでいる人がいるから、動画活動もSNS活動でさえも、続いているのだ。
文化というのは、そうやって実際に何かを差し出している人たちによって、支えられている。
ジャニーズだって、実際に推している人たちがグッズを買ったり、ライブに行ったり、音源を買うことによって成り立っている。しかし、1円も出さなくても、僕たちはその活動を見ることができる。ファンでも無いのに、コンテンツを消費し、楽しませていただいているということだ。
ゴッホの絵だって、当時は誰も評価しなかったわけだが、今では超高額である。優れた芸術は、人類が残した遺産、宝として厳然と輝いている。それらの作品を金で価値づけるのはズレているような気もするが、しかし、そうやって具体的に数値化するしか客観的な価値を表す方法は無い。
自分を売り出すというのは、本当に難しい。こういう活動で食べていきたい人は、本当に大変だなと思う。
とにかく、身銭を切っている人たちがいるから、こういう活動が成り立つのだ。結局、サービスというのはその層に向けて行われる。
これが、有名人なら「差別をするな」と言われるのだろうが、よくそんなことが言えるなと思う。努力が実らない世の中はおかしいと言ったりするが、それなら何かを差し出している人たちが最も良い思い、恩恵を受けなければならないはずだ。
朝から並んでいるから、新型のゲーム機やパソコンが買えるのである。
さて、才能についてのマガジンなどは停滞しているように思えるが、これも時間が許す限りなんとかクリアしていく。
代筆してくれる存在があれば良いが、こればかりは不可能だ。文章は僕の頭の中にしかない。本当に不便である。
ちなみに、こんな話をしているからと言って、明日やめます、と言っているのではない。このほんの一握りの人々のおかげで、続けられているのだ。また、続けたくないので応援するのをやめてください、と言っているのでもない。それだけの価値があるからやっているし、時給をいただいているような感覚だ。これを書いている時間に対する、価値をいただいている。しっかりと、交換が行われているので、お気になさらず。
ただ、コロナ禍になって当初の動機はもう満たされている。自分の育ちや、生きてきた経緯などを社会に還元できたら後悔が無いかも、という動機のことだ。
おそらく、今後、僕がどれだけ優雅に暮らしても、「なんだか自分だけ悪い気がするな」という後ろめたさのようなものは、全く感じずに済むだろう。それだけでも、この活動に価値があった。ここでやっておかなければ、きっと後悔しただろう。
そして、この活動のおかげで、「僕がかつての僕のような子供たちにできることは、こういう広報活動の中ではあり得ないな」ということがわかった。そこまで行って、「君をそこから出してあげるよ」というくらいに具体的で非常識な行動で無ければ、何の意味も無い。直接的に誰かを救うことはできない。当たり前のことだが。
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