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嫌いな物も、自分の一部である。

僕に対して良くしてくれるご近所さんがいる。
彼は60代で、「20代でこんなに対等に話せるのは、君しかいない」と言って、一定の評価を与えてくれている。
彼曰く、なんでも僕には何でも話すそうだ。確かに、貯金額まで知っている。(それでも、僕は人の言うことを鵜呑みにはしない)

唐突だが、彼は今「うつ病」に罹っている。
彼の家族や周囲の人は、誰も彼がうつになるなんて思ってなかったようだ。
その彼が、去年の半ばごろにうつになった。もう半年以上になる。その年齢で、とても辛いだろう。

僕は自分に家族がいないので、他人をいつも研究的な視線で見てしまう。
結果的に、彼の家族を通して「家族とはこういうものか」と学ばせていただいている。
家族にも良い点、悪い点がもちろんある。物事というのは「必ず」良い点と悪い点があるので、言うまでもない。
一番驚くのは、親だろうが、夫婦だろうが、兄弟だろうが、近くにいても相手を理解しているとは限らないということだ。

僕は、彼を「繊細な人」と前から思っているのだが、周囲の人は彼のことを雑で大雑把な人。冗談ばかり言っている人、と思っているみたいだ。
僕だって、彼がうつになるとまでは思わなかったけれど、少なくとも彼なりに色々なことを抱えているだろうことは、見ていればわかった。
コンプレックス、他者に対する劣等感、そういうものが彼の心の中にあるなと感じる。(誰だってある)
実際、そのように言葉で具体的に表現もする。
話をしているとわかるが、「自分は頭が悪いから...」という趣旨の発言を、さりげなく会話に込めているのがわかる。

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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