私人逮捕が話題なのと、性被害のジレンマのお話
前回はけっこう苦労して書いた。筆が進まない、というやつだ。
最近、私人逮捕が話題だそう。どういうものかは知らないが、どんな正しいことでも金を稼ぐなら汚れである。僕から言えることは、それに尽きる。
やらない善よりやる偽善みたいな言葉でなんでも片付けようとする世の中だが、それは時と場合によるだろう。僕はあまりその感覚がわからない。
例え世界が滅んでも、自分の美意識みたいなものに従って生きていきたいと考えている。
美意識というのはちょっと良い風に言い過ぎか。まぁ、ただの感覚である。
悪い奴が成敗されているのだからいいだろう、という人が多い。それはそうなのだろう。抑止力になるというなら、ピストルと同じようなものか。しかし、ピストルは人を殺す。それ自体が良いというものではない。
もちろん、私人逮捕などのムーブメントが無ければ、他に抑止力が無い、ということに問題がある。警察は能動的には出張ってこない。もっと怖い存在なら、犯罪者も減るだろうに。(減らないというデータもあるが)
ただ、他にも減らし方はたくさんある。社会全体として減らそうという意識があれば、ずいぶん安全な社会になるだろう。
転売にしても買う人間がいるというのも事実だし、それだけのお金を出しても観たいものや、欲しいものがあるのだ。これは、経済の理屈としては何の問題も無いと個人的には思う。
結局、その物をどれだけ欲しいかは、お金で換算するしかない。ただルールを侵している、という一点のみにおいて問題なだけで、個人にとってそれだけの価値があるなら、なんだって成り立つ。
盗撮被害にしても、意識で随分と変わるだろう。
下着や際どい部位を誰かに盗撮されたくない、誰かが好きな時にコンテンツとして自由に観られるようなことは嫌だ、という感覚の強さによって、安全側に立てるだろう。何を置いても安全側に立ちたいと思うか、という欲求の強さが必要だ。
これは、広義の美意識だと僕は思う。
以前も書いたことがあるが、社会学の講義の一環で、女性が抱える問題についてのディベートに参加させられたことがある。
当時の僕は社会学が何かも知らないし(今も知らないが)、加えて、女性と会話をすることにも慣れていなかった。
ほとんど女性と関わったことが無いような人生だったから、それだけでも議論はハードだった。
参加することになった理由は、その分野の偉い研究者に「あなた参加しなさい」と言われたからだ。当時の僕は、偉い(偉そうな)大人の言うことを断ってはならないという感覚だったし、しかも、その先生は女性だったので妙に従順になってしまった。
そこで起きた議論は、レイプ被害にあった女性について。
犯人は罪に問われて償えば、普通に社会復帰ができる。しかし、被害にあった女性の心はずっと癒えないかもしれない。
問題になったのは、被害にあった女性側の服装についてだ。
性暴力にあった女性の話にセットで議論されるのが、「女性の側のファッションにも問題があるのではないか」という理屈である。
もちろん、学業の一環としてのディベートだから、議論の勝敗よりも、色々な意見を交わして学びを得ていくことが大切だと、僕は考えていた。でなければ、やる意味が無い。文化祭の催しでもあったから、外部の市民もたくさんいた。
感情を持ち込むのではなく、攻めている感覚や攻められている感覚を、少し横に置いておくべきだと僕は考えた。そもそも、そういった学びの側面に重きを置いたレクリエーションだったと記憶している。
そういう事情もあって、普段ならあまり口にできないような意見を出すことが、それを聞いている人にとっても参加している人にとっても、有意義なことだと思った。
とはいえ、大勢と議論をするのが好きではないので、合計10人ほどの男女の意見を始めはただ聞いていた。
しかし、かなり議論に熱が入ってきた頃に意見を求められた。黙っているのが卑怯だと思われたのだろう。
それまで口を開かなかったわけのわからない男に、煮詰まってしまった議論に風穴を空けさせよう、という思惑が感じられた。そこで僕は、「被害に遭いたくなければ、できる限り露出を避ければいい」とだけ短く言った。
誰も言いたくない意見だと思ったからだ。
僕のそれまでの人生は、「どれだけ避けたいことでも、起きる時には起きてしまう」と想定できることは、極力避けるという選択を取ってきた。
往々にして人は、「自分は悪くない」という感情によって強い恨みや怒りの感情を生む。
「自分が悪いわけではないのに、どうしてこんなにも理不尽な目に遭わなければならないのか」と、誰にぶつければいいのかわからない感情を抱く。
女性は、ただでさえそういう思いで生きているのに、それを他人に、しかも異性に知った風な口を聞かれたら、余計に腹が立つし、虚無的な感情にも襲われる。
その気持ちはわかる。
ただ、気持ちがわかることと、だからと言ってどの選択を取るのかは、別だ。
若い男子というのは若い女子に嫌われたくは無いから、中々くだらない議論になっていた。今ひとつ牽制的な発言が足りていないとも思ったし、どこか嘘っぽくて非常に退屈だった。そうか、だから僕のような空気を読めない奴が選ばれたのだなと納得。
案の定、その後は非難轟々だった。
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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