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たまに、変なやつ認定される。誰かを指差すやつは、同時に指差されていると知れ。

家の近所を犬を連れて散歩するわけだが、時間帯を間違えると変に疲れる。
冬なら、16時くらいになると、もう暗くなってくる。そして、他にも犬の散歩をしている人が多くて面倒だ。
15時くらいにすると、確かに他の散歩者は少ない。ただ、問題は小学生の集団と遭遇してしまうことだ。
どちらも選び難いほど厄介だが、やはり子供は苦手だなと感じる。

犬を連れていると、子供によっては「可愛い」と言ってきたりするので、僕も子供とすれ違う時は警戒している。
警戒と言っても、「大人としてちゃんと挨拶をしてあげないといけない」という教育、治安的な意識であって、ビビっているわけではない。
僕も若者なので、不審人物だと思わせてはならないという良心くらいある。

正直、僕は「良い子にしていれば、大人は子供を褒める」みたいな感じが好きじゃない。そう思っている子供がわりといて、その子供も好きじゃない。
社会では、もちろん表面上のポーズが大切なのもわかるけど、そういうところに正しさとか真理があると勘違いして欲しくない。そもそも処世術というか、ポーズというのは、「褒められる」ためにやるものではない。
挨拶もろくにできないけど、魅力的な人物というのは居るし、賢い人物だっている。むしろ、僕ならそういう人物の方に好感を持つ。

賢い人というのはそういうポーズをごく自然に行う。
基本的にスマートだ。
それは、「子供だから」という意味ではなく、相手が子供であっても「人として」接することで、「子供扱いしてませんよ」という姿勢を見せているということだ。
でも、多くの大人は、子供が「良い子的な行動」をすれば褒めそやすし、大人の方が「可愛い子供」から積極的に癒されようとしていて、気持ち悪いなと感じる。「問題は、大人の方にあるな」とも思う。
子供を子供扱いして何が生まれるのか、何が面白いのか、僕には全くわからない。
子供もその飴を欲しがるし、大人を出し抜こうとする。
馬鹿な大人は子供に見透かされる。
「こうやっておけば大人をコントロールできる」という知性を持っている。
僕はよく、「知性こそが、卑しさを生む」と話すが、こういうことだ。
まぁ、その辺りの理屈は今回は置いておこう。
子供が苦手と書いたが、正直なところけっこう嫌いに近い。
もちろん、全ての子供がそうではないが、ほとんどの子供と関わりたくないと僕は思っている。

この間、小学四年生くらいの男女とすれ違った時のことだ。
ごく稀に、あちらから元気に挨拶をしてくる子供もいるので、やはり意識はしていた。(「挨拶をしろ」という教育を受けているんだと思う。)
案の定、女子の方がどうもこちらを意識しているような感じだったので、犬に対する興味か挨拶かのどちらかだろうなと僕は思った。
だから、僕も少しそちらを意識するような感じで、通り過ぎようとした。
すると、女子の方と目が合って、すぐさまその女子が「こんにちは」と言いながら綺麗な笑みを浮かべた。
もちろん僕も、「こんにちは」と少々の笑みを浮かべながら返す。僕が、自分から挨拶をすることは絶対に無い。
すると、その男女とすれ違いざまに、「え?変って?」という男子の言葉が聞こえてきた。

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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