「自分」に属する物は、「自分」の持ち物である。それにより人の場所を取ったり、人を傷つけるのは、最悪。
スターバックスに、子供連れのお母さんがいた。4〜5歳くらいの男の子だった。
テーブル席に、お母さんと対面で座っている。
それは全くかまわないのだが、その子供は土足のまま椅子の上に座っていて、ソールを思いっきり座面に接地させている。
足が地面に届かないのはわかるが、それなら靴を脱がせれば良いのになと思う。
電車などでもよく見かけるが、子供を土足で椅子にあげるのはどういう神経なんだろう。
もし僕に子供がいたら、そうするだろうか。
確かに、こういうシーンで靴を脱がせるのは面倒かも知れない。
脱げと言うと嫌がるかも知れないし、泣かれても困る。そもそも親も日頃の家事や教育に疲れている。
その都度、躾けるのは強い信念や、我が子の未来を憂う思いがしっかりと構築されていなければ、骨が折れるだろう。
「これくらい、いいだろう。誰の迷惑になるわけでもないし。」と考えるだろうことは、容易に想像がつく。
子育てだけを取り上げるのは申し訳ない。別の視点も入れよう。
「公共の場」で我が物かのように振る舞う人間は、たくさんいる。
そう言うと、「日本はまだマシだ。これが他の国ならもっとひどいことになっているはず」、みたいな反論が出る。
賽銭箱や自動販売機が持っていかれないのは、日本人の理性の表れであり、寺や神社に暴走族が集まらないのは、無意識に刻まれた「美意識」によるものだ、とまで言う。
しかし、治安なんて世代が変わり、文化が変わるだけで簡単に悪くなる。
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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。
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