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映画「バケモン」を観た。
映画「バケモン」という
笑福亭鶴瓶のドキュメンタリー映画を観た。
映画館で映画を観るのはいつぶりだろうと
思い返してもわからないくらい
コロナはわたしから映画館で映画を観るということをお預けにしたのだ。
コロナ前からこの方のラジオをPodcastで聞いていて
もちろんこの映画の話題も出ていたので緊急事態が明けた最初の映画鑑賞になった。
結論から申し上げると、
期待はずれ半分。
意外性半分といった感じだ。
期待はずれの部分は、
わたしはいつも前情報をまったく入れずに映画を観るので、笑福亭鶴瓶のドキュメンタリーというと彼のヒトトナリをずっと追っていくものだろうと思っていたのだが、
もちろんその側面もあって、
同級生や恩師、周りのスタッフへのインタビュー。生家を訪れたり両親を知る近所の人へのインタビューなどあるが、
完全なる笑福亭鶴瓶のドキュメンタリーには及ばなかった。
まあ、本人がそれでは納得しなかったんだろうというようなニュアンスは映画の中からでも感じ取られるし、ラジオでも公言しているところではある。
いつもテレビでみせるニコニコ明るい国民的スターの私生活、裏側というよりは、
"落語"「らくだ」という演目をフィーチャーした内容となっている。
この「らくだ」のセクションが意外な部分であって惹きつけられた。
これまでいろんな落語家が演じてきた「らくだ」そのバトンが笑福亭鶴瓶に渡されて
満をじして、
コロナ禍真っ只中の2020年に公演する。
そこを割りと細やかに順序立てて進んでいる。
わたしは落語に興味がないわけではないし
歴史も嫌いなわけではないので、
すんなり観ることができた。
明治の時代に作られたこの噺を
令和のコロナ禍に演る意義というのを
監督は伝えたかったのではないかと
今このブログを書いていて思ったのだが
断定はできない。
最後にわたしの笑福亭鶴瓶観を記しておきたい。
わたしは大阪在住なので笑福亭鶴瓶という人を
子供の頃から死ぬほどテレビで見てきたし、
赤ん坊の頃に彼に抱っこされたと親に聞かされたので、彼をテレビで見ていると何か懐かしさを覚えたりもする。
無学という小屋での落語会も連日足を運んだ事もある。
これは映画の中でも出ていたところだが、
彼のなかにどこかキチガイじみた部分があり
それを師匠である六代目笑福亭松鶴や立川談志は
見抜いていた。
その場面を観ていて思ったのは、
彼には大阪の下町にいるキチガイとニコニコ朗らかな全国的スターのあいだを行ったり来たりする
おかしみがあって、気狂いの方にに寄った時のそのギリギリ感がたまらなく見てて気持ちいいのだ。
この感覚は、マジメな人にはわからないものかもしれない。(映画からの引用)
映画のなかで、続編の可能性を匂わしていたので
それを期待したいが、
氏が亡くなってからみたいなので随分と先になりそうだ。