家族をつくりたい
また、noteへの腰が重くなりだしたので、
サクッと書くことをやりたい。
深夜1時。10分くらいのもので大丈夫だよ。
(自分の心におまじない)
自分が生きる意味ってなんだろう。
なんで、自分は生きたいと思うんだろう。
何も求めていなければ、生きている選択はとらないだろう。
1か月前、
「ああ、別に自分生きる意味ないなぁ」
って思う瞬間があった。
すごく落ち込んでいたわけでもないし、
生存を脅かすような出来事があったわけでもない。
「ただそう思った」ときがあったんだよね。
自分1人くらいの命。
いてもいなくても変わんないんじゃないかなぁって。
自分ができることはだれか違う人ができるし、
自分にしかできないことはないよなぁ、、って感じ。
もう3か月ほど前だろうか。
ある人に言われた言葉が、再び蘇ってきた。
『宿命・運命・使命』
宿命…宿った命。
生まれた瞬間に決まっていて、逃れることができない。
運命…運ばれてきた命。自分で選ぶことができない。
使命…自分が選ぶことができる。
宿命も運命も全部が含まれている。
全ての命に使命があり、
誰もが自分の命を使う意味がある。
人間界は色んな思想で飛び交っている。
思想に流され、自分が自分でなくなる時がある。
いわゆる「誰かがつくりあげた正解」の道を歩むとき。
自分には、自分しかできない命の使い方がある。
安っぽく言えば、命の使い方はカスタマイズできる。
カッコよく言えば、命の使い方をプロデュースできる。
唯一無二の「自分の命」が輝く瞬間は必ずある。
そこには意味があるはず。
命を最大限に躍動させていくことをひたすら探求していく。これが自分にとって、人生という壮大な物語のページをめくることである気がしてる。
とっても楽しくて、苦しくて、辛くて、喜ばしい。
こんな旅路が
かけがえのなさ・儚さ・尊さを生むのだろう。
20歳がよく語ってるもんだ、とちょっとにやけた。笑
昨日、コーチングを受けている中で出てきた問い。
「自分は家族を感じたことがあっただろうか?」
僕の家族は、言葉上の家族。
家族という言葉があるから、家族だと思い込んでくることに成功した。
しかし、本当は求めていた家族の愛情や温かさや、
どんな自分も受け入れてくれて、帰ってこれるほっこりとした空間がそこにはなかった。
だから、僕は目の前の人と家族みたいな関係性を築けたときに、とても満たされる。
心の底から欲しているものだから。
大切な人に愛情を注ぎたいし、愛情を受け取りたい。
「家族」や「家庭」に憧れがある。
将来、どんな風になっていたら幸せか?
そう問われたら、
微笑ましくて温かくて、この人たちさえいてくれたらとっても幸せだな、って家庭を築けているときかな。
これ以上の幸せを求めている気がしない。
うん、これ以上はないと思う。
成果を上げて認められたい自分もいるし、
自分の好きなことをとことんやってたい自分もいるけど、
なにより、自分が溢れんばかりの愛情をかけられる人がいてくれたら、もうそれでいいんだと思う。
だから、今は欲張りな自分だけど、
自分が大切なものは見失わないようにしたい。
ご縁で出会い、
いろんな体験や空間を分かち合った大切な大切な人たちを
どんなときでも大切にできるBeingでありたい。
血縁関係があろうがなかろうが、
自分の心の中に、じーんと植わっている1人1人は
僕にとって家族なんだな。
仲間やファミリーという言葉でおさまっていたのが、
飛び越えた感じ。
自分にとっては「家族」という言葉が一番落ち着く。
それは、自分が求めている最終ゴールなんだと思う。
〝根底の愛情〟を、日々育んでいきたい。
今日はそんなことを感じて終わる一日でした。
結果40分も書いちゃった。。涙~~
最近、人の顔が浮かんで、人の言葉に乗っ取られることが少なくなってきた。
当たり前のように、ナチュラルな言葉で表せるようになってきたのが嬉しくてたまらない。
言語化を妨げていたのは、見えない誰かが作った言語でした。
はいっ、おわり!!!