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小説 『探偵メトロ東西線』 T-05 神楽坂駅(後編)
歩きながら私は考える。ミナミさんの話と、神楽坂駅について何か関係があるというのだ。それと、恐らく探偵メトロは吾朗さんを「敢えて」私に付き添わせている。その意味も気になる。
と、探偵メトロからDM。
《神楽坂駅は、さっきの出口ではなく、早稲田側へ》
ん? どういうこと?
「どうしましたか」と吾朗さんが聞いてくる。
「探偵メトロからの指示で、神楽坂の駅は早稲田側の出口に行けと」
「ああ、もっと向こうにありましたね」
私と吾朗さんは神楽坂のメインストリートに出ると、さっき探偵メトロと出たところでなく、先にあるもうひとつの出口に向かった。店が連なる道を進んでいくと、丁字路の信号の右に東京メトロの看板が見えた。
私たちは階段をゆっくりと下りていく。さっきの出口にはエスカレーターがあったから昇るのは容易だったけど、こっち側を利用する人は大変だなあと……。
「あ」
階段を降りて行く私は、探偵メトロが意味することに気づき始めていた。どうして、こちら側の出口に私たちを向かわせたのか。それには理由がある。
神楽坂駅の改札口まで来て、その向こうにもう一つ、下へ降りていく階段が見えた。そこで私は吾朗さんを見る。
「ねえ吾朗さん。ミナミさんがテーブルで話していたことを、もう一度確認させてください。『出社するときは大変だけど、帰りは楽』って友だちは言って、ミナミさんは『私はそうでもない』でしたよね」
「ええ、そうですけど」
「それって、こちら側の階段のことじゃないですかね」
「はあ」と吾朗さんは理解していない返事をする。
「つまり、こういうことです。神楽坂駅は地下二階の構造になっていて、中野方面行きのホームは、私たちが今いる地下一階、西船橋行きホームは地下二階にあるんです。それでこちら側の出口にはエスカレーターがないから、階段を昇っていかなくてはいけない」
「ああ、友だちは出社する朝は地下二階から階段を昇るから大変で、帰りは一階分だけだと」
「そう。それは友だちが高田馬場方面からの東西線に乗ってきたということがわかります。一方でミナミさんが『そうでもない』のであれば、彼女は逆の飯田橋方面から乗ってきて、地下一階のこのホームから上に昇っている」
「なるほど。さすが探偵メトロさんですね。それを伝えたくて私たちをここへ向かわせたと」
「やり方が回りくどいんですけどね」
私はスマートフォンを取り出して、探偵メトロに分かったことをDMで伝える。すぐに返信があった。
《正解》
だよね。
《それと、吾朗さんに伝えてほしいことがある──》
ん……?
続けて送られてきたメッセージを黙読し、私はしばらく考えてしまった。意味がわからないのだ。
けれど、これを吾朗さんに伝えれば、わかるのだろう。
「吾朗さん。探偵メトロからメッセージがあります……《あなたはユキさんと、親方を試しましたね》って。これってどういう意味なんでしょうか?」
私が問いかけると、吾朗さんは瞬時に目を大きく見開いた。そして数秒してからフーッと大きく息を吐き、
「申し訳ありません。その通りです」と頭を下げた。
……わからない。まったく、わからない!
《吾朗さんに伝えました。彼は「申し訳ありません。その通りです」と謝っています。どういうことなの?》
《そっか。いま店を出たから、すぐにそちらに向かう。吾朗さんに直接伝えたいことがある》
何なの、これ?
しばらくして探偵メトロが階段を降りてきた。彼の姿を認めた吾朗さんは深々と頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
「いえいえ、謝るのは私に対してではないでしょう」
「そうですが……」
「断っておきますが、吾朗さんが試していたことに、二人は気づいていません。私もその話はしてませんから、お互いに何も知らなかったことにしておいた方がいいと思います」
「あ……ありがとうございます」
「ねえ、ちょっとぉ」と私は会話に入り込む。
「さっきから試すとか、謝ったりとか、私にはぜんぜんわからないんですけど」
「そうだよなあ。君の推理はこの神楽坂駅の構造に気づいたところで止まっているのだからな」
「先があった、ということなのね」
「そう。推理の通り、ミナミさんは飯田橋駅で東西線に乗り換えて、神楽坂駅のこちらの階段を使っていた……その次の話だ」
「次って、タクシーで神楽坂を上がっていったこと?」
「うんそれ。君がこっちの出口に向かって通りを歩いていたとき、メインストリートの様子に気づかなかったかな」
「いえ、ただ普通の通りだと」
「車は、どっちに向かって走ってた」
「どっちって?」
「一方通行になってるんだ。しかもかなり珍しい」
「どういうことでしょうか」
「神楽坂は、午前0時から12時までは下りの一方通行で、正午から午前0時までは上りの一方通行になるんだ」
「だから、どうしたっていうんですか」
「ミナミさんが飯田橋からタクシーで上がって、というのは」
「あーっ、あり得ない、ってことですか! じゃあやっぱり高田馬場方面からタクシーで……」
「それもない。ここの階段で確認しただろ」
「でも、神楽坂を朝、タクシーで上がるのは一方通行だから出来ないって」
「神楽坂にとらわれすぎているんだ。飯田橋の一歩手前、市ヶ谷駅で降りて牛込中央通りをタクシーで上がればいい。おそらくミナミさんも一方通行のことを知っていただろう……それに」
「それに?」
「この街で二十年以上も店をやっている店主や、その娘が一方通行のことを知らないわけがない」
「えええ?」
じゃあ二人は嘘をついたの? でも、なんで?
「君と吾朗さんをこちらに向かわせたのは、あの父娘とだけ話をしたかったからだ。吾朗さんはもうわかってる」
「はい、申し訳ありませんでした」
再び吾朗さんが頭を下げる。「試した」についてだろうか?
「まだ分からないって顔してるな。どうしてあの父娘が『ミナミさんは飯田橋からタクシーに乗ってきた』──つまりいつも飯田橋で東西線に乗り換えている、と言いたかったか。さっき答えてくれたが、飯田橋で乗り換えるとなると、その前に乗ってきた路線の特定は難しくなる。こうなると彼女の住まいを見つけることは私にだって不可能に近いだろう。だとしたら、吾朗さんはミナミさんをあきらめるかも知れない」
探偵メトロの謎解きに、私の記憶が蘇ってくる。
探偵メトロは吾朗さんにこんな質問をしていた。
──単刀直入に伺います。そのミナミさんという女性を、今でもあなたは好きなのですか。
この時。ユキさんと、その父親は黙ってしまった……。
「ああ、ああああ」
「やっとわかったようだな」と探偵メトロが微笑む。
そうか。そうだったのか。
「ユキさんは、吾朗さんを想っているんですね」
「そう。しかも父親も、そのことを分かってる」
「吾朗さんも分かっていたんですか?」
私の問いかけに、吾朗さんはゆっくりと肯いた。
「申し訳ありません。親方とユキさんの気持ちをもてあそぶつもりはなかったのですが、ミナミさんが現れたことで、自分も心が揺れてしまって」
揺れてしまった──ということは、吾朗さんもユキさんのことを想っていた、ということになる。
「吾朗さん」と探偵メトロが声をかける。「あなたとユキさんはお互いを想っていた。けれど、あなたは自分から言い出せないでいた。ユキさんは親方の一人娘でもあるし」
「…………」吾朗さんは黙ってしまう。それはつまり、事実を認めたということであろう。
「そこであなたは考えたのですね。ミナミさんという、初恋の人が偶然に店に現れたことで、自分は揺れた。それについてユキさんはどう反応するか」
「そう……です。申し訳ありません」
「そしてユキさんと付き合いたくても、親方がどう思っているのかが気になっていたのでしょう」
「はい」と吾朗さんが答える。
私は頭をフル回転させて考える。
店の主は、娘の気持ちがわかっていたから、吾朗さんをユキさんに向かせようとして嘘をついた……ということか。
「吾朗さんたちが店から出て行ったあとに、私はぶっちゃけた話をあの父娘にしましたよ。嘘ついてましてね、って。そしたらその通りだって認めてくれました。これでもう、ユキさんと、ご主人の気持ちはわかったでしょう。今度は吾朗さん、あなたが正々堂々とあの二人に向き合って、自分の気持ちを伝えるべきだと思いますが、違いますか?」
「探偵さんの仰るとおりだと思います」
「一件落着です。さっきも言いましたが、二人には吾朗さんが試したことを言っていません。馬鹿正直なことは言わずに、想っているのはユキさんだと伝えればいいんですよ」
「はい……ありがとうございます」
「では私たちはここで失礼します。それともうお解りかと思いますが、ご主人はあなたを認めているのですから、さらに修業を積まれて、あの店を盛り立ててください。またいつか、お店に伺いたいと思います」
そう言うと、探偵メトロはポケットからパスケースを取り出して改札に入っていく。颯爽と。
「ちょっと待って、探偵メトロ」
私は急いで彼を追いかける。
「あなたはいつから、本当のことがわかっていたの?」
「店に入ってからかな。ユキさんと吾朗さんのやりとり、それを見ている親方でもあり、父親でもある人の様子を見て」
──すごい、この人。
「君は、西葛西に戻るのだろう。私は高田馬場方面に用事があるから、今日はここでお別れだ。次の謎解きは飯田橋駅だな。依頼があったらまた連絡する」
「はい、またよろしくお願いします」
折りよく中野行きの東西線が二人の前に停まる。「じゃあ」と手をあげて、探偵メトロは車内に吸い込まれていった。
《T−05 神楽坂駅 おわり》