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小説 『探偵メトロ東西線』 T-03 高田馬場駅(後編)
「いろいろ……ですか?」とキヨピーが不思議そうな顔。
「そう、いろいろです。シュン君が、キヨピーのいる渋谷までに一時間かかった理由としては、途中駅でお腹が痛くなったとか、いろいろ考えられますが、私の推理としては……シュン君」
「は、はい」
「あなたはこの日、とても疲れていたのでは?」
「そうです。前の日、深夜まで残業してて、寝不足で」
「なら、謎は解けましたよ。あなたは、新宿駅から3時すぎに山手線に乗って、寝てしまい、4時ごろ渋谷に到着したんです」
「どういうこと?」と声をあげてしまったのは、私だ。
探偵メトロが呆れるような顔で私を見た。
「アシスタント君、山手線の構造を知らないのか」
「構造って……こう、丸い輪を描いてて……もしや?」
「そのもしや、だよ。疲れていたシュン君は渋谷方面行きの内回りに乗らず、間違って池袋方面行きの外回りの山手線に乗ってしまった」
「そういうことぉ?!」
内回りに乗れば、新宿、代々木、原宿、渋谷と、あっという間についてしまうが、反対側に乗ってしまったら大回りのルートとなり、それでも渋谷には到着するわけで。
「つまり探偵メトロの言いたいことはこうですね──疲れていたシュン君は、外回りの山手線に乗って、そのまま寝てしまったから間違いに気づかず渋谷に着いてしまった」
でも、私は思う。
「いくらなんでも、そんなことって……」
「あります! 探偵メトロさんの言う通りです!」
うつむき気味だったシュン君が顔を上げて、キラキラした目で探偵メトロを見ている。
「そうなんです、オレ、疲れてて反対側の山手線に乗っちゃったんです。気づいたら渋谷駅で、でも時間は一時間すぎてて」
「ということですよ、キヨピーさん。これで疑いは晴れたと思うんですが、どうでしょう?」
微笑みかける探偵メトロに、うーん、と考え込んでいたキヨピーだったけど、数秒して「ま、いっか」と笑顔に戻る。
いいの? 本当にこれでいいの? と私がツッコミたくなる。だってこんなトリック、信じられないじゃん。
「シュン君の浮気疑惑はもう一つありますから」
まだあるんだ。疑惑の人だな、シュン君。
「いま話した渋谷の件で、私は疑いを深めたわけです。新宿に浮気相手がいるんじゃないかって。それで昨日はシュン君が代休を取ってたから、新宿に呼びだそうとLINEしたんですよ。《南口の髙島屋でバッグが買いたいからつきあって》って」
また買い物で呼び出しか。
「そしたら《OK》ってすぐ返事がきたんです。なので待ち合わせを4時に設定して……3時すぎに直接電話したんです。通話を録音しておきました」
キヨピーがスマートフォンを操作すると、二人のやりとりが聞こえてくる。
《シュン君、いまどこ?》
《高田馬場の駅のホーム。いま電車に乗るとこ》
《ふーん、じゃあ寄り道しないで、まっすぐ髙島屋に来てね。一階にいるから》
《わかった》
通話のやりとりはこれだけだった。
「探偵メトロさん、このやりとりの中で、不自然なところがあったの、わかりましたか?」
キヨピーが、自信ありげに微笑む。
挑まれた探偵メトロは、数秒考えて、彼もまた、ふ、と笑う。
「シュン君のバックで流れていた、発車メロディですよね」
「そうです」
「あ、あの」と言ったのは私。
「それって、どういうことでしょうか?」
「もう一度再生しますから、よく聞いてください」
再生された音声。シュン君の声にまじって、ちょっと高めの、リズミカルなメロディーが聞こえてくる。
「これって聞いたことあります?」
「いやあ、高田馬場駅は、ほとんど東西線なので」
「同じ高田馬場駅でも、こっちのメロディーなら、聞き覚えがあるんじゃないかしら?」
キヨピーがスマートフォンを操作して、聞こえてきたのは「鉄腕アトム」のフレーズだった。
「ああ」と私は反応する。「これって山手線の出発メロディーですよね。鉄腕アトムの作者、手塚治虫先生のプロダクションが高田馬場にあったという縁で」
「そうです」と、キヨピーは目を細める。
「ですが、いまのシュン君のバックに聞こえてきたメロディーは、同じ高田馬場駅でも西武新宿線のホームに流れているものなんですよ」
「なるほど」
私は納得する。
「つまり、キヨピーさんが言いたいことはこうですね……新宿に向かおうとしているシュン君は山手線ではなく、西武新宿線のホームでキヨピーさんの電話を受けた」
「そう。そして私が考えたのは、西武新宿線の新宿駅は、JRの駅から北側、かなり離れたところにある。髙島屋はJR新宿駅の南側にあるというのに……真逆なんです」
たしかに、これは不自然だと私も思った。これから寄り道せずにキヨピーのところに向かうはずのシュン君が、どうして西武新宿線に乗ろうとしているのか。
「私は思うんです。シュン君は私と髙島屋で会う前に、西武新宿駅に近い歌舞伎町で、誰かと会うつもりだった」
うう、このキヨピー、探偵メトロ以上にするどい人だ。
シュン君はというと、また(助けてください)と言うような目で探偵メトロを見ていた。
で、探偵メトロはというと……。
ずず、と涼しげな顔でカフェラテをすすっている。
「ずいぶん余裕じゃない、探偵メトロ」
「……ん、まあね」
カフェラテを飲みきった彼は、すっと立ち上がる。
「この疑惑については、実際の場所に行って説明した方が早いと思いますから、行きましょう」
「え、どこに?」
「君はアシスタントだろ、考えてみればわかるはずだ」
「はあ」と私は考えて数秒後、「あ、ホームってことですね」と気づいたのだった。
十分後、私と探偵メトロ、キヨピーとシュン君は高田馬場駅のホームに立っていた。
でも……西武新宿線ではなく、JR山手線のホーム。
JRの改札を通ろうとする探偵メトロに「こっちじゃないですよ」と声をかけると、「わかってる」と返される。つまり、探偵メトロはわかっていてJRのホームに向かったわけだ。
往来の激しい山手線ホーム、ひっきりなしに電車が出入りして、ものすごい数の人がドアから吐き出され、飲み込まれていく。その発車メロディーは……間違いなく鉄腕アトムだ。
「シュン君が山手線のホームにいるならば、このメロディが聞こえたはずだと、キヨピーさんはいいたんですよね」
探偵メトロが問いかけると「はい、当然です」とキヨピーが答える。すると探偵メトロは少し離れた西武新宿線のホームを見て手のひらを耳の後ろに添えた。
「聞こえてきますよ」
♪タンタンタンタン タンタンタンタン
探偵メトロの言うとおり、小さくはあるが西武新宿線のホームの発車メロディーが聞こえてくるではないか。
ああ、そうか……という顔を私はしていたと思う。なぜなら目の前にいるキヨピーも、シュン君も(当事者なのに)同じ顔をしていたから。
「探偵メトロさんの言いたいことがわかりました」
キヨピーがうなづいている。
「つまり、シュン君のバックに聞こえていたのは、この位置からの西武新宿線の発車メロディーであり、彼は間違いなく山手線に乗ろうとしていた、というのですね」
「ええ……そうでしょう、シュン君」
「そうです、そうです」と激しくうなずくシュン君……うーん、どうみても探偵メトロの誘導尋問に従っている感じだけど。
「というわけで、シュン君の疑惑に関して弁護するつもりはないのですが、こういう推理が成り立つと私は申し上げる次第です。まあ、信じる、信じないかは、お互いの信頼関係にお任せするほかありませんけどね」
それが、探偵メトロの結論だった。
「探偵メトロさん、ありがとうございました」
キヨピーが丁寧に頭をさげる。
「シュン君の浮気疑惑が完全に晴れたことにはなりませんけど、今回は、あなたの推理を信じようと思います」
「光栄です。お二人の幸せを祈ってますよ」と探偵メトロは笑顔で応える。
「私たちは東西線なので、ここで失礼します……最後に」と言いながら、探偵メトロは人差し指を目の下にあてる。
「真実は、お二人の瞳の中にあると思いますよ、では」
歩き出す探偵メトロのあとを、私は追いかける。
「ねえ、探偵メトロ。最後のセリフはどういう意味?」
「ふふ、本当の謎解きは、東西線のホームで」
「……?」
キヨピー&シュン君のカップルと別れた私たちは数分後、東京メトロ東西線のホームにいた。
「座って話すか」
ベンチに腰かける探偵メトロ。私も彼の脇に座った。
「で、本当の謎解きっていうのは?」
「最初にこの、東西線のホームで二人にあったときのことを覚えてるか?」
「もちろん、ついさっきの話だし」
「二人は、どうやって私に接してきた?」
「接するって……JKたちに囲まれていた二人が、探偵メトロの存在に気づいて近づいてきて」
「そのあと、シュン君は?」
「探偵メトロの手を両手で握っていませんでしたか?」
「あれって不自然だと思わなかったか?」
「ええ。でも、それに意味があったとは思えませんけど」
「これだよ」
探偵メトロがポケットから何かを取りだした。手の中にすっぽりと収まる、小さな紙切れだった。
「シュン君が手を握ったとき、このメモを私に渡したんだ。その感触で、ああ、彼は内密に伝えたいことがあるんだと」
探偵メトロが私にメモを渡す。私の手のひらにもすっぽりと収まってしまう小さなメモには、こう書かれてあった。
《駅の男子トイレで話を聞いてください》
「それで探偵メトロはトイレに行って、そのあとシュン君が追いかけるようにして」
話が見えてきた。やはりシュン君の浮気は本当で、だから彼は探偵メトロに助けを求めたのだろう。
「君ならもう、話が読めただろう」
「ええ、でも探偵メトロがシュン君に肩入れしたのは、どうしてなのでしょうか?」
「浮気が本当なら、男がいくら言いつくろってもボロが出るに決まってるだろ。だったら、弁護をした方が面白いと思ってな。金を出すからと言われたが断った。これは趣味だし」
それでキヨピーが提示する浮気疑惑を、無理矢理な推理で晴らしていったのか……すごいな、この人。
「すると当然、最初の山手線を乗り間違えたのはこじつけた推理だったわけですね」
「当たり前だ。外回りの山手線に一時間も乗っていて、ずっと寝ているわけがないだろう。彼を新宿駅のホームで見たっていうフォロワーの子がいるんだ。外回り、内回り、どちらのホームにいたのか聞けば、一発でわかる」
「じゃあ、高田馬場駅の発車メロディーについてはどうなんですか。山手線ホームからも西武新宿線のメロディーは聞こえてきたじゃないですか」
「ああ、聞こえてたよ。でも今さっき、新宿方面行きの山手線はホームに停車してたか」
「いえ、むこうの西武新宿線のホームが見えていましたから、あのときは停まっていませんでした」
「停まっていたとしたら、鉄の壁みたいな電車が、むこうのホームと自分たちを遮っていたことになる。そんな状況で西武新宿線の発車メロディーが聞こえるわけないだろ。でもシュン君は電話で《高田馬場の駅のホーム。いま電車に乗るとこ》って答えてたんだ」
「ああ……」
「それに、どっちの電車に乗っていたかなんて、ICカードの乗車履歴を出せば、これも一発でわかる」
なるほど、探偵メトロは「すべてを分かった上で」シュン君の浮気疑惑を無理矢理に弁護していたというわけか。
「キヨピーがもっと厳しく追及すれば、穴だらけの言い訳なんてボロボロに崩れるはずなのに、彼女はしなかった」
「深く考えない人なんですね、キヨピー」
「いや、その逆だな」
「どういうことですか?」
「君が思う以上に、キヨピーは思慮深い人間だよ。私の無理のある推理に食いついてこなかったのも、その証拠」
「よくわからないんですけど」
「どっちもどっち、ってことだ」
「キヨピーも浮気してるってことですか?」
彼女のソフトな笑顔が脳裏に浮かんだ……その彼女が?
「トイレで聞いたんだ。彼女も二股かけていて、だから自分にやんわりと浮気疑惑を追及して身を引かせ、ソフトに関係を終わらせたいと思ってる、と」
カフェでの会話が蘇る。お互いにインスタを撮った相手が怪しいって言い合ってたな。
「キヨピーにも、負い目はあると」
「インスタの人気者なんだろ。芸能人ほどじゃないだろうけど、自分だって二股かけていたのをシュン君にバラされたら、イメージダウンは避けられない」
「それで強くは追及してこなかったんですね」
「でも、二人の関係は時間の問題だよ」
ふう、と探偵メトロは溜息をついて天井を見上げた。やるせないという気持ちが表れているようだった。
「あ、ところで探偵メトロが最後に二人に言った『真実は、瞳の中に存在する』って、どういう意味ですか」
「彼らのインスタを、もう一度見てみなよ」
私はスマートフォンを取り出し、インスタを立ち上げる。
「まずはシュン君のこの写真」
友だちが撮ったというものを、探偵メトロが指さす。
「最近のスマートフォンって画質が相当いいから、瞳の中までちゃんと見えるんだ。拡大してみなよ」
シュン君の瞳の部分をピンチアウトして拡大すると……。
「ああ……」と溜息をもらしてしまう。
拡大された瞳の中に写っていたのは、ロングヘアーの若い女性がスマートフォンを向けている姿。キヨピーではない。
「どう見ても、男友達ではないよな。この瞳の中の彼女は、ほかの写真にも写っている」
「そういうことかあ……あ、どっちもどっち、ということは」
キヨピーの写真に切り替え、瞳を拡大してみる。シュン君とは髪型の異なる男性がスマートフォンを向けていた。
「あーあ、何だかガッカリですねえ」
「最後に言った言葉に、ふたりが気づけば、関係は穏便に解消されるんじゃないかな。少なくともキヨピーは気づくと思うよ。賢い女性だと思うし」
「ですねえ」
「今日の推理はこれで終了。じゃ、次の依頼が早稲田であったらまた会おう」
のっそりと探偵メトロが立ち上がる。
「今日はどこへ?」
「安いやきとり屋があるんだ。あ、断っておくが来ないでくれよ。今日はやるせない気分だから、一人で飲みたいんだ」
とぼとぼと歩いていく探偵メトロの後ろ姿を見ながら、(お疲れ様でした)と私は心の中でねぎらっていた。
《T−03 高田馬場駅 おわり》