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小説 『探偵メトロ東西線』 T-08 竹橋駅(後編)
「ねえ、探偵メトロ。目の前に停まってるこの東西線、さっきから発車する気配がないんだけど」
「だな。駅員さんたちが連絡を取り合ってるみたいだ」
「てことは、何かあったんですね」
と、駅にアナウンスが響く。
《ご案内いたします。先ほど高田馬場駅におきまして、急病人対応のため、この電車、竹橋駅で運転を見合わせております。詳しい情報が入り次第、またご案内いたし……》
「あー、停まっちゃったんだあ」とサキが嘆いた。
「どうしたのサキ姉?」
「このあと六本木のカフェで、友だちと会う約束してんの。もう少ししたら行こうと思ってたんだけど、これじゃあ遅刻確実かなあ……」
六本木、ということは茅場町で東西線から日比谷線に乗り換えというパターンかな。
「ま、タクシーで行けばいっか」
ああ、この子ってば、どこまでもセレブなのかしら。
「おお、そうだ。いいアイデアがある」
探偵メトロがスマートフォンを手にした。
「みんなも、『#東西線』でツイートを見てみるといい。おそらく今のトラブルで嘆きツイートしてる人が出て来るはずだ」
「それが」「どうしたんですか」
従姉妹の二人がすかさず返す。
「同じく東西線がストップした、先週のことを『#東西線』でツイートして、情報をつのるんだ」
「ああ」「なるほどね」
「じゃ、代表して私がやるから、みんなは見ていてくれ」
探偵メトロが親指を動かす。
《先週の土曜も東西線が停まったけど、竹橋駅で急病人として搬送されたおばあさんを見た人はいませんか? #東西線 》
なるほど、おそらく今、「#東西線」で電車がストップしている事態を嘆いて、新しい情報を求めているひとがツイッターを見ているはず。先週も東西線に乗っていた人が見ていたら反応して、彼女たちのおばあさんの情報をくれるかも知れない。
でも、五分経過しても。
「なかなかすぐには」「来ないよね−」
従姉妹ふたりは顔を見合わせて苦笑い。
「うーん、いいアイデアと思ったけどなあ……」
探偵メトロが顔を歪める。彼なりに目論見が外れたことを悔しがっているようだ。
「あの、私やっぱそろそろ行かないと……いいですか」
サキがそわそわしている。友だちとの約束に遅刻しそうなのが気になってきたのだろう。
「ええ、サキさんが構わなければ、私たちとユウナさんで引き続きここで情報を待ちますが」
「だったら私、お先に失礼しますね。ユウナ一人で探偵メトロさんに合わせるのは心配だったけど、信用できる人だったし、それに彼女もいる人なら安心かなって」
「ん?」「えっ?」
思わず探偵メトロと私は顔を見合わせる。
「ち、違うぞ、コイツはただのアシスタントで……」
「そうよサキさん、あなた勘違いしてるわ!」
「あ、勘違いでしたら、スミマセン。でも私にはそんな風に見えたんですけどね……じゃあユウナ、私行くから、何かわかったらLINEで教えてね」
「うん、サキ姉、わかった」
気まずくなった私と探偵メトロのことなど構わず、サキが笑顔で手を振り、階段を上がっていく。
「もぉ何なのよ、あの子」と思わず私は毒づいてしまった。
「すみません」
すかさず頭をさげるユウナに、私は我に返る。「あ、ゴメン。あの子を、悪く言ってるつもりはなくって……その」
「わかってます。サキ姉、いつもあんな調子で空気読まないことを言う人だから許してあげてください」
中学一年生に諭され、私は居心地がすこぶる悪くなる。
「お嬢様育ちが鼻につくかもしれませんけど、サキ姉、ああ見えて私のことを心配してくれたり、いいとこもあるんです。今日だってこうして付き合ってくれたし」
「だな」と探偵メトロが認める。
「まあ、こうして君を私のところに残したまま去って行くというのは、信頼されてると思って私は光栄だよ……おっ!」
探偵メトロがスマートフォンを見て反応する。
彼のツイートを見ていた私も、リプを見て「おっ」となる。
《先週の土曜日、竹橋で倒れたおばあさんですよね? オレ、近くで見てました》
「来たっ!」と思わず叫んでしまったのは、私だ。
すかさず探偵メトロが親指を動かした。
《少し突っ込んだことを聞いてもいいですか? そのおばあさん、もしかしてずっとドアの前の、真ん中あたりにいませんでしたか?》
ん。何この、誘導尋問みたいな返しは?
《あ、そうです。オレは日本橋から乗ったんですけど、そのおばあさんはドアの真ん中あたりにいて、後ろ姿しかわからなかったけど、何か焦ってたような感じで》
《それで、竹橋駅に着いて、ドアが開いたときに、おばあさんは倒れてしまったのですね?》
《そうそう。そうです。その通り》
《貴重な情報をありがとうございました》
「ねえ、探偵メトロ」と私が声をかける。
「あなたが何を調べたいのか、私にはまったくわからないんだけど、説明してちょうだい」
「もちろん。ユウナさんにも説明しなくてはいけないからな」
探偵メトロは、すっきりとした顔だった。これはもう、解決したということか。
「その前にハル、君はほぼ毎日、西葛西から中野まで東西線に乗って、大学に通っているんだよな」
「そうですけど」
「だったら、東西線が停まる駅で、ドアが進行方向のどちら側に開くか記憶しているか?」
「ええと……」
東西線の停車駅と開くドアを思い起こす。
住んでいる西葛西駅は進行方向左側、次の南砂町は右で……。
「……って、このことと、おばあさんが倒れたことに関係があるというんですか」
「ありあり。大ありだよ。特に門前仲町から、竹橋にかけてを思い出して欲しい」
私は再び、脳内東西線に乗る。門前仲町は左側のドアが開き、それから茅場町、日本橋、大手町は反対側の右側が開いて……。
「あ……」
「気づいたか?」
「はい。門前仲町で左側に開いたドアは、竹橋までずっと閉まったままなんですよね」
「そう。それでユウナさんのおばあさんは、進行方向左側のドアの、真ん中あたりにいたと推測できる──仕方なく」
「仕方なく?」
「ああ、仕方なく……だ」
「ええ、どういうコトですか?」
困惑する私を、探偵メトロはじっと見ているだけだった。すると横にいたユウナが「あっ、わかりました!」と手をあげる。
「もしかして荷物がドアに挟まったまま、電車が出発してしまったんじゃないですか」
「ユウナ君、君は探偵になる素質があるようだ」
探偵メトロが満面の笑みを浮かべる。
「あああ……」と私もやっとドアのからくりに気づいた。
「つまり探偵メトロ、こういうことですか──ユウナさんたちのおばあさんは、門前仲町の駅から東西線に乗ったとき、カバンか何かをドアに挟まれてしまった」
「そう、それでどうなると思う?」
「車掌さんや駅員さんが気づかずに東西線が出発してしまったら、次にそのドアが開くのはここ、竹橋駅に着くまで待つしかないことになる。仕方なく……でも」
私には疑問が残る。
「さっき、サキさんが見せてくれたおばあちゃんの写真、あれに写っていたショルダーバッグが挟まれたとしても、いくらなんでもあの大きさのものなら、センサーとかで気がつくんじゃないでしょうか」
「ハルの言う通りだ。今はホームドアになっているから、駅員の目視では死角になってしまう。だからドアにはセンサーがあるんだ。でも」
「でも?」
「もし挟まれたものがバッグのような大きなものでなかったとしたら、センサーも感知しないかも知れない。例えばカバンの紐の端っことか、さっきの写真にも写っていた」
「あ……もしかして、私がおばあちゃんにあげた、成田山のお土産の御守り!」
「うん。その可能性があると、私は考えたんだ」
「さすが、探偵メトロさん!」
ユウナが感動の声をあげる。
なるほど、と私も思った。そういえばさっき、探偵メトロがおばあさんの画像でバッグと御守りに着目していたことも思いだした。彼はこの時から気づいていたのか……。
探偵メトロが照れ臭そうに笑う。「さっきの返事であった、おばあさんが焦った様子だったというのは、まさにユウナさんからもらった御守りがドアにひっかかって抜けなくなってしまったからだと思うよ。孫からのプレゼントだからなおさら焦ったんだろうな。それでもともと心臓が悪かったお婆さんだったから、具合が悪くなり、ドアが開いたとたんにホームに倒れてしまった……というのが、私の考えた推理というわけだ」
「そうです、きっとそうです」
ユウナは興奮気味に言うと、スマートフォンで何やら打ち始めた。サキにLINEをしているのだろう。
「ユウナさん。君のおばあさんは優しい人なんだと思うよ。君からもらった御守りを絶対に失いたくないって思ったんだろう」
「そっかあ……おばあちゃん」
真相がわかって(まだ推理だけど)、おばあちゃん思いのユウナは目をウルウルさせている。
「君たちのおばあちゃんが、一日でも早く快復することを願っているよ。これで君からの依頼はコンプリート、ということでどうかな?」
「はい、コンプリートです。探偵メトロさん、本当に今日はありがとうございました!」
ユウナが深々と頭を下げる。探偵メトロの謎解き「竹橋駅編」が終わりを告げた瞬間だった。
「ところで……」とユウナが顔を上げる。「お二人が付き合っていないというのは、本当ですか? 私にはそうは見えないんですけど」
「…………」
「…………」
《T−08 竹橋駅 おわり》