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小説 『探偵メトロ東西線』 T-03 高田馬場駅(前編)
《見せたいものがある》
探偵メトロからDMがあったのは金曜夜のこと。
彼のツイッターにはすでに謎解き依頼がきていた。翌土曜日に依頼者と会う前に、アシスタントである私に見せたいものとはなんだろう?
《午後2時50分、東西線高田馬場駅、真ん中の改札で》
そう続いている。
行くかどうかの返事もしていないのに、一方的に時間を場所を告げられる。私の都合を聞こうともしない態度にイラッとくるが、実のところ土曜日に予定はないわけで……。
というワケで私は今週も探偵メトロの謎解きに付き合うことになったというわけだ。
土曜午後の高田馬場駅はかなり込んでいた。それもそのはずで、この駅は東西線だけでなく、JR山手線、西武新宿線の駅もあり、乗り換えで人がごった返す。
《高田馬場駅真ん中の改札》という場所指定を見て、私は駅の構内図をググってみる。それまで気づかなかったが、東西線の高田馬場駅には改札が三か所あったのだ。一つは中野側の一番端、反対側──早稲田サイドの端、そして今から向かう真ん中にも改札口はあった。混雑解消のためだと思う。
東西線を降りて、人の波に身を任せるように階段へ進み、ゆっくりと上がっていく。上がりきった先に自動改札機、その向こうに──いた、今日も東西線と同じ、青のボーダーシャツを着ている。もはやトレードマークとなっている。
それにしても、目立つ人だ。金髪に青のカラコン。欧米系の人、もしくはハーフのイケメンに見えるわけで、横を通る若い女の子がチラ見したくなる気持ちもわからなくはない。
かなりの変人であることは、この空間では私しかしらないんだろうけど……あ、目があった。
私に気づいた探偵メトロだが、表情を変えずに、じっとこっちを見ている。笑って手をふれば親近感が増すだろうに、そんなことをしようともしないのだ、アイツは。
「こんにちは」
改札を出た私は、頬を上げて彼に話しかけるが、やつはプイと横を向いて歩き出す。ったく、可愛げのないイケメン探偵。
スタスタ、と歩いていく後ろについていくと、細い階段を上がっていくでないか。左にサイゼリア、右は居酒屋かな、まだ開店していないようだけど。
降りてくる人とやっとすれ違うことができるくらいの狭さで、賑やかな高田馬場駅には不釣り合いな感じがした。
踊り場まで上がると、彼はクルッと回転して私を見下ろした。
「な、何?」
「ドア……って、わかるか?」
「馬鹿にしてるの?」
「していない。まじめに聞いている」
「わかるに決まってるじゃないの」
「じゃあ訊ねるが、ドアは何のためにあると思う?」
「え、えっと」
何のため、って……当たり前すぎる存在の、その存在理由について唐突に聞かれても。
「ほらな、わかっているようで、わからないだろ」
「わかるわよ! えっとね、たとえば家の玄関は外と内を分けるためにあるし、自宅の中のドアはさらにプライベートを守るためのもの」
「それだけか? クローゼットにもドアはあるだろう」
「違う空間を遮断するために設けたってことじゃない……ってさあ、何でドアのことをいきなり聞いてくるのよ」
「実は見て欲しいのが、このドアなんだ」
近くにあった鉄製のドアを指さした。
「…………」思わず私は言葉を失ってしまった。
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「どう思う、このドア」
「……うーん」
ドアだ。確かにこれはドアだ。手前に引けば開くのだろう。けれど……。
「何なの、この細さ? 人だって通れないんじゃないの?」
「だろう。このドアの存在がずっと謎なんだ。どう思う?」
「どう思うって言われてもわからないわよ」
「何のためのドアで、どうしてこんなに細いのか」
「あなたはこの細いドアの理由がわかるのね?」
「それなんだが……」
彼はしばらくじっと細すぎるドアを見つめている。
「実は私もわからないんだ。君ならわかると思って連れてきてみたんだが、やはりわからないか」
……わ、わかるわけないじゃん。コイツ、何なの?
私が呆れて立っていると、彼は上がってきた階段を下りはじめる。
「どこ行くのよ」
「決まってるだろ、依頼者の待つ、東西線のホームだ」
「あ、そうでした」
今日も、探偵メトロに依頼があったから、私はこうして土曜日の午後に高田馬場駅まで来ていたのだった。
「行こう、もうすぐ約束の三時だ」
二人は、たったいま出てきた東西線の改札に入っていく。
私は、スマートフォンを取り出して探偵メトロのツイッターを見る。
《探偵メトロさま 次は東西線・高田馬場駅での謎解き依頼ですよね。お願いしてもいいですか?》
《ご依頼ありがとうございます。では次の土曜日。午後3時に東京メトロ東西線、高田馬場駅2番線ホーム(中野行き)の一番後ろ側でお会いしましょう。当方、青のシャツ、右目下に二つの泣きぼくろが目印です》
《探偵メトロさま ありがとうございます〜 では土曜日、よろしくお願いいたします》
依頼者のアカウント名は《キヨピー》。おそらく女性だと思われる。フォロー数、フォロワー数も0人だから、最近アカウントを作ったのかなと。
それと、思ったのが探偵メトロの待ち合わせ場所だ。
「ねえ、どうして今回の待ち合わせは、進行方向の一番後ろ側なのかしら?」
「さっき、真ん中の改札を出てわかっただろ。この駅は中野、落合に比べて乗降客が多いんだ」
「なるほどね。早稲田側なら人は幾分少ないか」
納得しながら階段を下りる。待ち合わせ場所は、ずっと先まで歩かねばならない──と、私は前方に人だかりができているのに気がついた。中野行きの東西線が到着していないから、乗り降りする常客だけであの人だかりは不自然だと思った。
「あれ、何でしょうね」
指さす人だかりに、探偵メトロも気づいたようだ。
「誰かを囲んでいる。芸能人でもいるんじゃないか」
目を細めて探偵メトロが遠くを見る。なるほど、誰かを囲むようにした人だかりだった。全体が紺色の制服、下校途中の女子高生たちとわかる。
私たちが近づいていくと、制服たちの群れの中にいる人物がわかってくる。
「え、うそ?」
私の記憶にある、女性の画像と一致している。そして彼女の脇にいる背の高い男性も。
私はスマートフォンを取り出して、インスタグラムをタップする──うん、本当だ。間違いない。
「どうした?」
私の異変に気づいた探偵メトロが聞いてくる。
「あの、真ん中にいる二人、インスタの有名人ですよ。名前はキヨピーっていうカリスマ女子大生で……ええっ!」
名前を口にしてから、さらに驚く。だって探偵メトロに謎解き依頼をしてきた人物の名前もキヨピーだったじゃない。
「この人ですよ」と彼にスマートフォンを見せる。
「じゃあ、そのインスタ有名人が、今回の依頼者ってことか」
探偵メトロは落ち着き払っている。
そもそも、彼女のことを知らないのだろう。フォロワー数は30万以上(その中の一人が私)。ものすごいインフルエンサーであり、芸能界からも声がかかっているという噂だ。父親が大企業の社長だという話も何かの雑誌で読んだ。
「横の男は何者だよ」
「あれは彼氏のシュン君っていって、キヨピーのインスタに一緒に出てくる、超イケメンの青年実業家です」
「ふーん」
あ、この人、全然関心ありませんって反応した……。まあ、こんなイケメンなのに変わり者だしなあ。インスタとかインフルエンサーとか興味ないのもわかる気がする。
興奮気味の私、まったく無感情の探偵メトロが近づいていく、相変わらず彼らはJKたちに囲まれて一緒に写メを撮っている。
と、キヨピーが私たちの存在に気づいたようだ。
「あーっ! もしかして探偵メトロさん?」
群れの中心にいた彼女が叫んだものだから、周囲にいたJKたちが一斉に私たちを見た。
「はい」と探偵メトロが静かにこたえる。
するとキヨピーは、JKの群れを割って私たちのもとへ駆けてくる。「ああ、よかったあ、お会いしたかったんですう」と甘い声を出して探偵メトロの前に立った。
「た、探偵メトロさんっすね!」
すぐさま彼氏のシュン君も、キヨピーの脇に立つ。彼はおもむろに両手を前に出し、探偵メトロの右手をガッチリと握った。
「助けて欲しいっす」
その様子をポカンと見ていたJKたちに、キヨピーは優しく、諭すように言った。
「みんな〜、ゴメン。アタシら、これからこの人と大事なお話をしなきゃいけないから、写メはここまで。また馬場で会えると思うから、また一緒に撮ろうね」
嫌味のない口調にJKたちも納得したのだろう。「じゃあまたね」と大人しくその場から立ち去ってくれる。
すごい。これがカリスマの力なんだ──と私は一人静かに感動していた。と、キヨピーが私を見た。
「探偵メトロさん。この子は、彼女さん?」
「えっ? ち……」
「違います。ただのアシスタントです」
私が言うより早く、探偵メトロが打ち消す。
「そーですかあ、お似合いのカップルだと思ったけどぉ」
「いえ、ただのアシスタントです。お気遣いなく」
お、お気遣いなくって……。
「そうですかぁ。じゃあアシさんも、よろしくお願いします」
ニコッと半月の目、その笑顔がインスタと同じなものだから、私は慌てて「こちらこそ、よろしくお願いいたします」とお辞儀をした。深々と。年齢は一つ上のはずなのに、キヨピーのカリスマぶりったら、すごいオーラだった。
「じゃあ、探偵さん。立ち話もなんですから、カフェに行きませんか? お気に入りの店があるんです」
「では、そうしましょうか……と、その前にトイレに寄らせていただいてもいいですか」
「ええ、もちろん」
早稲田側の階段を上がるとトイレがあった。ゆっくりと入っていく探偵メトロ。彼の姿が消えたあと「あ、オレも行ってくるわ」と彼氏のシュン君も追いかけるようにトイレへ駆けていった。
残されたのは、私とキヨピー。
「あ、あの……」
間が持たなくなった私は、彼女に話しかける。
「インスタ、フォローしてます。すごいですよね。フォロワー数が30万って」
「フフ、ありがとうございます。増やそうと思っているワケじゃなかったけど、気づいたらこうなってました」
自慢することもなく、自然体でキヨピーは言う。これが彼女の魅力なんだな。
私はさりげなく彼女をチェックする。インスタで登場する容姿のまんまだった。ガーリーでゆるふわなセミロング、やや茶髪。卵のような整った輪郭に目鼻立ちのハッキリした、それはそれは美しい顔。そこいらのアイドルだって勝てないかも。
そんなカワイイ彼女だから、これまでのインスタに登場してきた歴代の彼氏たちもステキな人たちばかりで……まあ、恋多き女性なんだな。半年ごとに彼氏がチェンジしてるし。
「お待たせしました」
メンズ二人が揃ってトイレから出てくる。
シュン君の顔がやや緊張気味に見えたのだが、それが気のせいでないと分かったのは、キヨピーお気に入りのカフェに着いてからだった。
私と探偵メトロの注文はカフェラテ。シュン君がブラック。キヨピーは抹茶フロートを注文して、「あらためて、よろしくお願いいたします」と頭を下げる。
「もう分かってると思いますが、彼は私の恋人のシュン君。今25歳。東大在学中にIT会社を起業してるんです」
「シュンです」と紹介された彼も頭を下げる。
──かっこいい。
一言で表現するなら、その言葉しかない。身長は百八十センチくらい。探偵メトロと同じくらいだろうか。さらさらの髪、ひきしまった頬のライン、笑うと綺麗な歯がまぶしい。バチェラーにもこんな人、いた。
「で、ご依頼の件は」
さっそく探偵メトロが話を切り出す。
「この人の……」とキヨピーが、横に座るシュン君を指さす。
「浮気疑惑を追及してほしいんです」
「ほお」と、探偵メトロは低い声で反応する。シュン君はというと、黙っておしぼりを見ている。
「浮気の調査でしたら、専門の方に依頼された方が適切かと思いますし、お二人で話し合われた方が解決が早いのでは」
「と、私も思ったんですが、このシュン君がどうしても探偵メトロさんに依頼してほしいって言うものですから」
「それは……光栄な話ではありますが」
つかみ所のない話になりそうで、探偵メトロは戸惑っているようだった。その気配を感じたシュン君がくっと顔を上げた。
「探偵メトロさんだからこそ、オレの疑惑を晴らしてくれると思って、それでキヨピーに依頼してもらったんです」
そう言うと、シュン君は探偵メトロのツイートについて語りはじめた。解決した中野、落合の件だった。
「鉄道について知識がハンパない探偵メトロさんですから、今回のオレの疑惑も晴らしてくれるって信じてるんです」
「ははあ……鉄道に関する話なのですね。伺いましょう」
そこへ店のスタッフが飲みものを運んでくる。
つう、と抹茶フロートをストローで吸い上げてから、カリスマインスタグラマーのキヨピーが話し始める。
「シュン君と付き合いはじめてから半年くらいになるんですけど……歴代の彼氏って半年もすると浮気しちゃうんですよね。その兆候が、相手のインスタでわかっちゃうんです」
キヨピーがスマートフォンをかざす。
「これって、シュン君のインスタです。付き合いはじめたころはこんな風に私と一緒のラブラブなツーショットが多いんですけど……半年もたつと一人で撮ったものが多くなるんです。しかもこれ、距離的に自分で撮ったものじゃないし」
「前も言ったじゃん、撮ってくれたのは友だちのマサだってば。キヨピーだってマサから聞いただろ」
「そうだけど、マサ君が嘘ついてるかも知れない」
「信じてもらうしかないけど……キヨピーだって、最近はオレとのツーショットより、一人で写ってるの多いじゃん」
「私も、友だちのチャンマリにお願いしてるんだよ」
「聞いたよ、それだってオレが信じるしかないじゃん」
「あ、あの」と探偵メトロが遮る。彼は自分のスマートフォンで二人のインスタを見ていた。
「そういった話でしたら、私は不要なのではと」
「ごめんなさい、そうでした。話は、山手線なんです」
「山手線……」
ほう、という顔を探偵メトロはした。地下鉄以外の謎解きも、この人はできるのだろうか、と私は彼を見る。
「うかがいましょう」
「三日前のことです。私、大学の授業が終わった午後、渋谷のマルキューで新しいワンピを買おうと思って」
「マルキュー?」
キヨピーの言葉に探偵メトロが「?」の顔をした。なので私はすかさず「渋谷の109のことです」と伝えると「ああ」とうなずいた。この人、鉄道以外は疎いようだ。
「それで、せっかくだったらシュン君にも見てほしいじゃないですか。だからLINEで呼び出したんです。《渋谷マルキューでワンピ買うから、付き合って》って」
「え、ちょっとちょっと」と私が反応してしまう。「平日の午後に、社会人の彼氏を呼び出すんですか」
「いつものことですよぉ。シュン君、すぐ来てくれるし」
ケラケラとキヨピーが笑う。すごい……呼ぶ方も呼ぶ方だけど、呼ばれて駆けつける彼氏もすごい。やっぱカリスマの言うことは聞かないといけないんだ。
「でもぉ、この日に限ってシュン君から《4時くらいになるけど、いい?》って返事がきたんです。《スタバで待ってるから》って返事して、4時すぎに《渋谷駅着いた》って返事がきて」
「普通の、待ち合わせのやりとりじゃないんですか?」
私の問いかけに、キヨピーはううん、と頭を振る。
「私がLINEした3時ころに、彼のフォロワーの子が《シュン君を新宿で見た》って、インスタに上げてたんです」
こ、こわー。有名人って監視されてるんだ。
「だから何度も言ってるだろ。仕事の打ち合わせだったんだよ。そのあと新宿駅から山手線に乗って、渋谷に向かった」
「じゃあ確認。会社のある四谷三丁目から新宿までは?」
「地下鉄の丸ノ内線だってば」
「……っていうのがシュン君の主張なんですけれど、私は新たな証拠を入手してたんですよ。この話もシュン君に教えたんですけれど」
キヨピーはスマートフォンをかざす。
「別の子からの投稿です。《新宿駅の山手線ホームでシュン君を見た》って……時間は3時ちょっとすぎ」
「…………」シュン君が黙り込む。
「会社から地下鉄で新宿に行ったんだよね。仕事の打ち合わせがすぐに終わって、3時すぎに山手線のホームにいるところを見られている。おかしいと思わない。だって渋谷までは10分もかからないもん。なんで新宿から渋谷まで一時間もかかるの」
「それは……いろいろあってさ」
「私が思うのは、3時に新宿駅のホームで見られたのは、渋谷に向かうときではなくて、誰かと会うために新宿駅を降りたときだったんじゃないの。しかも会社からでなく、自宅から」
問い詰められたシュン君は、チラと探偵メトロを見る。
探偵メトロも、視線に気づいたようだ。「いろいろあった……んでしょうねえ」と口を開いた。