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小説 『探偵メトロ東西線』 T-02 落合駅(前編)
探偵メトロは正体不明の男だ。
いや、実際に会って、話をして、中野駅でJK二人の謎解きにも立ち会ったんだけれど、どうにも掴みようがない。
先週の日曜。謎解きのあとに彼と中野駅南口近くの肉そば屋で遅い昼食をとった。
「ねえ、探偵メトロって、いつもは何をしてるんですか?」
「秘密」と言って、肉そばをすする。
「少しくらい教えてくれてもいいじゃない」
「一方的に聞いてくるのは、アンフェアだな」
ああ、そういうコトかと私は納得する。
「そうね、そうだったよね。じゃあ自己紹介します。私の名前は辻堂ハル。花の十八歳。この四月から吉祥寺の大学に通っています。住んでるところは西葛西。両親と三人で暮らしてます」
と、一方的に自己紹介する。探偵メトロはというと、表情を変えずに肉そばをすするのみ。
「今月から東西線を利用するようになって、それでググってたら探偵メトロが出てきて……って、聞いてる?」
「ん……んん」と、くぐもった声。
汁を飲み干そうと、彼はドンブリを持ち上げていた。小さな顔が丼に隠れている。
「私の紹介はしたからね、今度はあなたの番よ」
促され、彼は顔からドンブリを離す。
「私の名前は探偵メトロ、以上だ」
「ちょ、ちょっとぉ!」
「何か?」
「何か? じゃないわよ、そっちこそアンフェアじゃない」
「いいだろうが。自分のことをアレコレ話すのは探偵に似つかわしくない」
「何よそれ、私だって自己紹介したんだから、本名と仕事ぐらいは教えなさいよ」
「だから探偵メトロだ。東京メトロ東西線の各駅で謎解き依頼を受けて、それを解決していく」
なめとんのか、コイツ。
「なめてはいない」
「うっ、人の心が読めるの?」
「いや、今たぶんそう思ってるだろうと思って。当たったか」
恐ろしいやつかも知れない……って、これも読まれたか。
「思ったことが顔に出やすいタイプなんだな。君は」
その言葉に、顔が火照るのがわかった。友達からよく言われていることだった。それと……。
「それと、興味があることに、どんどん首を突っ込んでいくタイプ……ってことは、中野駅でわかったよ」
「だから、何なのよ」
「私の謎解きに興味があるなら、これからもよろしく」
そう言って、探偵メトロは颯爽とそば屋を立ち去っていく。
と、振り返った。
「お礼を言い忘れた。肉そば、ごちそうさま。ちなみに中野駅は北口にある田舎そばの店も美味いから、機会があったら」
「ちょ、ちょっと待って!」
まだ半分も食べ終わらない私を残して、探偵メトロはさっそうと中野駅の方に消えていってしまった。
「何なの、アイツ」と言いながら、実はワクワクしていたことも否めないでいる。
謎解きって面白いと思ったから。
そんなやりとりから数日たって、探偵メトロが新しいツイートをした。
《東京メトロ東西線各駅で、謎解き承ります》
《初回、中野駅の依頼は無事に解決しました》
《次はT−02、落合駅での依頼をお待ちしております》
この人、本当に東西線の各駅で謎解きを受けるんだ。
ストイックっていうか、変わり者っていうか……。
やや呆れながらツイートを見ていると、リプがきた。
《探偵メトロ様 FF外からの依頼で失礼いたします。落合に住んでいる、私たち母娘からお願いがあります。できますれば近々お会いできませんでしょうか?》
《ご依頼ありがとうございます。今週の土曜午後3時、落合駅6号車付近でお会いしましょう。当方、ハイライトブルーのシャツ、右目下にふたつ泣きぼくろがあります》
《探偵メトロさま ありがとうございます。それでは土曜日、よろしくお願いします》
「おおお、もう次の依頼が来たわよ」
思わず声をあげてしまって、しかもそれが東西線の車内だったから、まわりの人に見られて恥ずかしかった。
それにしても、世の中にはいろんな人がいる。
週末限定、東京メトロ東西線の各駅で謎解きを行う探偵。
そんな探偵に依頼する人。
そして、その謎解きに首を突っ込んでる私。
でも何だろう、わくわくしている自分にも気づいている。
次は落合駅、母娘の依頼のようだ。
私はまた土日の予定を空けて、落合駅に行こうと思った。
《落合、落合です。出口は右側です》
車内の音声アナウンスのあと、車窓に駅の光が流れてくる。
私は文庫本を閉じてカバンにしまった。
乗っていたのは6号車、探偵メトロが待ち合わせに指定した場所が落合駅ホームの6号車付近だから、降車した場所が待ち合わせ地点となる。
ゆっくりブレーキがかかり、東西線のスピードが落ちていく。私は立ち上がってドア前に立つと……いた。
金髪、東西線と同じ青のシャツ。探偵メトロだ。すっとたたずむ姿。パッと見はモデルのようだが、実は変なやつ。
プシューとドアが開く。
「おお、また来たのか」と感情のない顔で言う。
「もちろんですよ。アシスタントなんですから」
私の言葉に、ふ、と頬を歪ませる。これで笑っているのだ。
「で、探偵メトロ。今度の依頼人さんは」
「まだのようだ。落合に住んでいる、ということは改札から入ってくると思うから、ホーム端にある、どちらかの階段を降りてくるはずだ」
「へえ、駅の構造に詳しいのね」
言いながら、私は落合駅の構内をキョロキョロと見まわす。東西線は何度も利用しているけれど、この駅に降りたのは初めて。私の住んでいる西葛西駅は地上ホームで広い感じなのだが、ここ落合駅はホームがひとつ、両脇に線路がある。どちらかと言えば狭い駅のほうだろう。
外はどんな街なんだろう。落合駅のとなり、中野駅と高田馬場駅は賑やかだが、このホームの狭さから考えると、それほどでもないと思うのだけど。
「この駅は初めてか」と探偵メトロが聞いてくる。
「ええ、はい。降りたのは」
「そうか、じゃあひとつ、注意しておく。帽子を被っていたら、電車がくる際には抑えておくことだ」
「え、それってどういう?」
遠くから電車の走る音が近づいてくる。すると……
「キャッ」と小さく叫んでしまうほどの強い風。
「なるほど、そういうことね」
「ああ、狭い地下構内に電車が入線すると強い風が起こって、帽子などが飛ばされてしまう。ちなみに木場駅も同じような風が起こるから注意が必要だ」
「木場駅もウナギの寝床みたいな感じですよね。ところで探偵メトロは東西線沿線に住んでるんですか。詳しいし」
「探偵メトロと名乗っている以上、通じてないとな」
そう言って、ふ、と再び微笑。
格好いいんだけど、話の内容がアンバランスだと思う。
「あ、青い服の探偵さん!」
私が話していると、遠くから小さな女の子の叫ぶ声。
声の方を見ると、中野方面側から駆けてくる女の子。赤いワンピース、頭に麦わら帽子。彼女を追いかけるように「みーちゃん、待って」と、若いお母さん。
「来たな」と探偵メトロが彼らに向かって歩いていく。
探偵メトロの前まで来ると、女の子はピタッと止まる。
「探偵さん?」
「そうです。こんにちは」
女の子は幼稚園の年少くらいか。探偵メトロの顔を見て、不思議そうな顔をしている。
「外国の……探偵さん?」
金髪に青のカラコンだから、そう思うのは無理もない。
「いいえ、日本の探偵さんだよ」
探偵メトロがしゃがみ込んで、女の子の目線に顔を下げる。
その笑顔ってば、私には見せたことがない。
追いついた母親が「みーちゃん、走らないでよお」と、息を切らしている。
母親を見上げた探偵メトロは、ゆっくりと体を起こした。
「ご依頼いただいたお母さんと、お嬢さんですね」
「はいそうです。お世話になります」
丁寧に、母親が辞儀をした。
「まあ、立ち話もなんですから、そこに座りましょう」
探偵メトロが手で促して、母娘を座らせる……って、私の存在はどうなのよ、と思っていると。
「あ、ちなみにこっちは、アシスタントです」
私を認めた母親が「よろしくお願いいたします」と頭を下げたので、反射的に私もお辞儀をする。
「では、さっそくですが、ご依頼の内容をうかがってもよろしいでしょうか」
探偵メトロの声かけに母親はいずまいをただし、「探してほしい人がいるんです」と言った。しかも、
「三カ月前から、月に二、三度この駅のホームで会っている、ハンチング帽子のおじいさん」
そう言って、母親は老人と出会ったときのこと、これまでのことを話しはじめた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
三、四カ月くらい前になるでしょうか、そのおじいさんに出会ったのは。
私たちは、この街に住んでいて、東西線の落合駅を利用しています。主人は通勤で、私は毎週水曜日、中野にあるお絵かき教室にこの子を通わせているので、幼稚園が終わった三時ごろにここに来ているんです。
夏前の、それでいてもう暑い時期でした。熱中症対策で、この子に麦わら帽子をかぶらせました。
この子も、その帽子が気に入っていて、幼稚園から帰ってお絵かき教室に行くときには、自分でこの帽子をかぶっています。
そのおじいさんと出会ったのは、まさにこの落合駅のホームでした。
中野に行こうとホームを歩いていると、西船橋行きが到着したところです。向かい側、中野行きも到着しました。
そのとき、「あっ!」と娘の声。
気がつくと、強い風で娘の麦わら帽子が飛ばされてしまったんです。ご存じないかも知れませんが、この駅、電車が来ると強い風が吹くもので──あ、ご存じでしたか。さすがは探偵メトロと名乗っているだけありますね。
娘の帽子が風に飛ばされてコロコロコロと転がっていく先に、西船橋行きのドアから降りて来たおじいさんが、ぱっと屈み込んで拾ってくださったんです。
「おっとっとぉ……危なかったね、お嬢ちゃん」
ハンチング帽をかぶった彼が、ニコニコしながら歩みよって、娘に麦わら帽子をかぶせてくれました。
「かわいい帽子だねえ」
「ありがとう。おじいさんの帽子もステキよ」
娘は人見知りしない子でして、屈託のない笑顔で話すものですから、おじいさんは嬉しそうな顔をしてました。
「お母さんと、おでかけかい?」
「うん、中野のお絵かき教室に行くの」
今まさにその中野に行く東西線が発車しようとしていましたが、ちゃんとお礼をしなくてはと、見送ることにしたんです。
おじいさん、ちょっと足がお悪いようでした。そばにある椅子に腰かけ、まだニコニコと娘を見ています。
「お嬢ちゃん、いくつ?」
「三歳」
「幼稚園かな」
「そう。星ぐみ。年少クラス」
「おじいちゃんの孫も、一番ちいさいのは幼稚園で、今は年長さんなんだよ。遠くで暮らしているから、なかなか会えないんだけどねえ」
「そーなんだあ」
この会話で、孫が数人いることがわかりました。お子さん家族とは離れて暮らしていることも。
私も会話に加わります。二人の娘さんがいて、どちらも結婚して、姉はアメリカに、妹は九州に、ご主人の仕事の都合で住んでおられるそうで、孫に会えず淋しいということでした。
だからうちの娘をみて、ずっと笑顔でいらっしゃるのだなとわかりました。
と、トンネルの向こうから、また東西線の西船橋行きが近づいてくる音が聞こえてきます。
「あ、そろそろ行かなきゃな。お嬢ちゃんも、お絵かき教室に遅刻しちゃいけないから、ここで失礼するよ」
立ち上がったおじいさんは、停車した西船橋行きに乗りました。今思えば「あれ?」って話ですよね。どうして一度、落合駅で降りたのに、一本あとの電車に乗ったのかなって……。結局そのことは聞かずじまいでしたけど。
とにかく、それが出会った最初の日でした。
娘は「帽子のおじいさん」と呼んでいました。彼もまた、素敵なハンチング帽子をかぶってましたので。
それから、帽子のおじいさんと落合駅のホームで会うことが何度かありました。
水曜日に私と娘が落合駅のホームに降りると、帽子のおじいさんがベンチに座っているのです。いない日もありましたけど。
「帽子のおじいさん、こんにちは」
娘があいさつすると、「ああ、こんにちは。お嬢ちゃんは今日もお絵かき教室かい」とニコニコ。
電車がすぐにやってくるので話す時間はちょっとだけですが、楽しいコミュニケーションでした。
短い会話で、阿佐ヶ谷にある病院に通っていることがわかりました。足が悪いようなので、その通院なんだなと。
またあるとき、「これ、もらいものだけど」って、お菓子をくれることもありましたね。
あ、一度だけ、お会いしたのに話ができないことがありました。お友達と思われる同世代の方と話していたんです。西船橋行きが来たらお友達が「鈴木さん。お互い、安全運転で」って。そのあとお友達の方は階段を上がっていかれましたので、落合にお住まいの方だと思います。
そして一ヵ月前。娘が「帽子のおじいさんの絵を描いたから、渡したい」と言ったんです。
描いた絵を見ると、よく特徴を捉えていて、これを渡したら喜んでもらえるなって、私も思いました。
なので水曜日に、このホームで待っていたんですが……。
いざ待ってみると、帽子のおじいさんは現れませんで……せっかく娘が描いた似顔絵なんで、何としてでも渡したいなあって思ったんです。
それで東西線でググってみると、探偵メトロさんのツイートを見つけたというわけです。
☆ ★ ☆ ★ ☆
ふんふん、と探偵メトロは小さくうなずいていた。
「確認ですが、帽子のおじいさんは、この落合駅で下車して、ホームに座っておられたと」
「はい。私たちを待っていたのかと思いましたが、最初にお会いしたときから、そんな様子でもなく」
どういうことだろう、と私は頭をひねる。
帽子のおじいさんの奇行を、探偵メトロが聞いたということは、何かヒントがあるのかもと思った。
「探偵さん」
娘さんが、探偵メトロの前に立って、刺繍のはいった布製のカバンに手を入れた。取り出したのは、
「みーちゃんが描いた、帽子のおじいさんの絵。お願いだから、おじいさんを探して」
「うん、わかった」
探偵メトロが笑顔で応える。でも……。
「お母さん。ほかにも、その帽子のおじいさんについてわかったことはないでしょうか」と私は質問していた。
みーちゃんが描いた絵を、帽子のおじいさんに渡してあげたいと私も思った。今の母親の話からわかったことは、帽子のおじいさんが東西線を使って阿佐ヶ谷の病院に通っていること、落合駅で不思議な降車と乗車をしていること、そして友達の話から名前が鈴木さんだということ。
「うーん」と、しばらく考え込んでいた母親が、あ、という顔をした。
「先週でしたでしょうか、お友達のおじいさんがホームにいらしたんです。彼が電車に乗りこもうとした時に気づいたものですから、声をかけそびれてしまって」
「それは惜しかったですね」
「で、その方がスマートフォンを耳にあてて、誰かと通話をしてたんです。そのときに『鈴木さん』って言葉が出てきたんです。それと『送った』という言葉と……あと、みーちゃん、あのおじいさん、何て言ってたっけ?」
「えーっとね……ぜろばんち」
「あ、そうそう。そうでした。帽子のおじいさん、足が悪い方でしたので、お友達が車で送ったのかなって」
母娘の言葉にヒントがあると思うのだけど。
私は探偵メトロをチラ見する。
彼の表情が一瞬曇ったように見えた……のは気のせいだったのだろうか。彼はすぐに笑顔に戻り、ベンチから立ち上がる。
「みーちゃん、帽子のおじいさんのこと、探偵さんはわかったかもしれないよ」
「ほんとぉ?」みーちゃんの目が輝いた。
「だったら探偵さん、この絵を渡してほしいの」
差し出されたみーちゃんの絵を、探偵メトロは受けとった。
「うんわかった。これから探偵さんは調べるから、また明日、この場所でみーちゃんとお母さんに会えるかな」
「どう、ママ?」
「ええ、お願いします」と母親が頭を下げた。
「じゃあ決まりだね。帽子のおじいさんのことがわかったら、ここで探偵さんはみーちゃんに教えてあげるから、明日まで待っくれるかな?」
「うん、ありがとう、探偵さん!」
ニコニコと笑うみーちゃんに、私も笑顔になる。探偵メトロも無理矢理に笑顔を作っているようだった。
じゃあね、と母娘と別れた私と探偵メトロは、西船橋行きの東西線に乗った。「探しに行こう」と彼が小声で私に言ったのだ。
ドアが閉まり、手を振るみーちゃんに振り返し、彼女の姿が視界から消えていくと、「ふーっ」と深いため息をついて探偵メトロが座席に座る。
「もう謎は解けたんですか、探偵メトロ」
「ああ、嬉しい結果報告にはならないがな」
ということは……。
「帽子のおじいさんは、亡くなっていると」
「なぜだかわかるか、アシスタント君」
「さっき、あなたがちょっとだけ、悲しそうな顔をしていたからです。それとお友達の『送った』という言葉」
「あと、みーちゃんが覚えていた『ぜろばんち』だ。これが何を意味するか知ってるか」
「めずらしい住所があるのかなあって」
「文明の利器があるだろう、ググってみなよ」
そう言われて、私は「ぜろばんち」を調べてみる。
「うーん、これだけではよく分からないです」
「だったら、もう一つ、検索ワードを加えてみるといい」
彼が伝えた言葉と「ぜろばんち」を一緒に検索すると……。
「ああ……そういうこと」と思わずため息が出てしまった。帽子のおじいさんの「今」がわかってしまったのだ。でも、
私の疑問がわかったのだろう。探偵メトロ「道すがら説明する」と言った。
二人を乗せた東西線は、東に向かって走っていく……。