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小説 『探偵メトロ東西線』 T-02 落合駅(後編)

翌、日曜日の午後三時。


みーちゃんと母親は、約束通り東西線落合駅のホームで待ってくれていた。


「みーちゃん、帽子のおじいさんが見つかったよ」


探偵メトロはスマートフォンの画面をかざす。


画像は帽子のおじいさんの笑顔。ホームページから切り取ったもので、昨日みーちゃんが渡してくれた似顔絵と本当によく似ていた。


「わあ、帽子のおじいさんだあ。探偵さん、すごい! ねえ、ママも見て、帽子のおじいさんだよ」


興奮気味のみーちゃんに、うんうん、母親はうなずく。彼女には昨夜のうちに事実を伝えてあった。


「でもね、みーちゃん」と、探偵メトロが屈み込む。


「帽子のおじいさんだけど、用事があって、遠いところにお引っ越ししちゃったんだって」


「そうなの……」


残念な返答に、みーちゃんは数秒前の元気をなくしてしまう。


「あ、でも、みーちゃんが描いてくれた似顔絵、ちゃんと家族の人に渡したから、帽子のおじいさんに届けてくれるって。だから安心していいよ」


そう。みーちゃんが描いた似顔絵は今、鈴木さんのそばに置かれている。


話は、土曜日の東西線に戻る。


「タクシー」


その言葉を、探偵メトロは口にした。唐突だったから、え、何でって顔を私はしたと思う。


「タクシー、それとゼロ番地を検索してみるといい」


果たして、検索の結果は「タクシー運転手が使う隠語」というサイトが現れた。つまりその仕事をしている人たちだけが使用している言葉ということ。


タクシー運転手が使う「ゼロ番地」は「火葬場」のことだった。零が「れい」とも読むから「霊」にかけているという説があるそうだ。そこで「送った」というのだから、帽子のおじいさんはもう亡くなっている……ということ。


落胆する一方、これだけの情報で、どうして探偵メトロは帽子のおじいさんを探しにいけるのか。


「西船橋行きの東西線に乗っているということは、帽子のおじさんの居場所が特定できているんですよね」


「ああ。その前に、帽子のおじいさんがタクシー運転手だってことは理解できたよな」


「ええはい、そのお友達がゼロ番地という隠語を使ったこと。それと『お互い、安全運転』と言ったこと」


「そう。そして二人とも高齢であったが、まだ現役で運転しているということは、個人タクシーと思われる。それと、彼が落合駅で謎の降車と乗車をしていた、ということ」


「解明できたんですか」


「とっくにわかっていた。帽子のおじいさんに限らず、落合駅で同じことをしている人はいるさ」


「え、どういうことでしょうか?」


「その前に、豆知識クイズだ。東京メトロの各線の中で、東西線がほかの路線と違うところがいくつかある。それって、何だと思う?」


と、突然の東西線ウンチク問題が出される。


「ええと」と私は考える。生まれてからずっと使っている東西線だが、いざちゃんと考えてみると……浮かばないなあと。


「ヒント一、南砂町から」


「あ、わかりました。地下鉄なのに、地上を走っている」


「まあそうだな。実際には丸ノ内線、銀座線だって地上部分に出るんだが、東西線は全路線の半分近くが地上ってこと」


なるほど、面白いウンチクだ。


「それともう一つ、大きな違い。ヒントは東陽町、浦安」


「それもわかりました! 快速電車があるということですね」


「正解だ」


「そのことと、帽子のおじいさんが落合駅で下車することの関連がわかりません」


「これは、先週謎を解いた中野駅にも関係してくるんだ。あの駅の構造を覚えているよな」


「3、4番線が東西線ホームですよね」


「3、4番線だけか?」


「いえ、違います。三鷹発の総武線から乗り入れてくるから、5番線にも東西線は停まります」


「帽子のおじいさんは、どこから乗車してるって言ってた?」


「通院で阿佐ヶ谷駅から……となると、中野駅の5番線?」


「そう。それで阿佐ヶ谷駅から乗った東西線直通の電車が、快速の西船橋行きだったとする。もし快速の通過する南砂町、西葛西、葛西に住んでいるとなると」


「その快速電車には乗りませんよね」


「阿佐ヶ谷駅で各駅の東西線を待つか、総武線、中央線に乗って中野駅で3、4番線に乗り換える……でも、帽子のおじいさんは足が悪かったと聞いている」


「そっかあ」と私は、彼が言いたいことに気づいた。


「足の悪い帽子のおじいさんは、なるべく歩かないですむ方法を考えていたんですね。阿佐ヶ谷駅で東西線の快速電車が来たとしても、中野駅の5番線で降りて3、4番線に移動するより、次の落合駅で降車して、次に来る各駅停車を待てばすぐやってくるわけで」


「そう。阿佐ヶ谷駅で次の東西線各駅停車を待つより、ずっと効率がいい」


「なるほどぉ」と私は感心してしまう。


「ちなみに逆のパターンで、各駅停車から快速に乗り換える確率は低いと思う。快速の停車駅、浦安と西船橋には当然だが各駅の電車も停まるわけだから、急いでいないのなら、そのまま乗っている方が楽だしな」


「ですねえ、そうなると帽子のおじいさんの住んでいる場所は……快速が通過する南砂町、西葛西、葛西」


「そのエリアの個人タクシー事業者をググってみなよ」


探偵メトロの指図で、私はスマートフォンで検索する。


彼の推理とおり、駅のある「江東区、江戸川区、個人タクシー、鈴木」で検索してみると組合員紹介の写真──ハンチング帽をかぶった、やさしそうな笑顔──が現れる。


探偵メトロは、みーちゃんから預かった、彼女の絵を取り出して交互に眺める。


「正解じゃないかな。みーちゃんの絵もそっくりだ」


「そうですね」


私と探偵メトロは、南砂町駅で下車した。「鈴木個人タクシー」が登録されている住所から一番近い駅だった。


「アシスタントなんだから、電話をしてくれよ」と探偵メトロにお願いされて、私はホームページに記載された電話番号をプッシュする。


《はい、鈴木でございます》


高齢と思われる女性の声、おそらく奥さんだろう。


何て話を切り出せばいいかなと思ったが、あれこれ考えずに起こったことを正直に伝えるのがいいかなと。


「突然お電話してすみません、私……」と、帽子のおじいさんが落合駅でみーちゃんたちに出会ったこと、彼女たちが案じていることなどを話した。


《そうでしたか……落合駅の女の子と、お母さんのことは、主人から聞いておりました》と返してくれる。


悲しいのは《聞いております》ではなく、《聞いておりました》という返事だったこと。私たちが訪問したい旨を伝えると、


《こちらも、お話ししたいことがありますので、ぜひお越しください》


明るい声で受け入れてくれた。


二十分ほど歩いて、一軒家の前にたどり着くと、白いタクシーが車庫に停まっていた。


インターフォンを押して、家の中に迎えいれられる。居間に通されると、帽子のおじいさんの笑顔が見える。写真だけど。


ご本人は、写真の横に置かれた骨箱に収まっていた。


「毎週水曜に、阿佐ヶ谷の病院に通っていたのですが、落合駅であのお嬢ちゃんに会えることも、主人は楽しみにしていたんですよ。孫たちが遠くに暮らしており、会えないものですから」


ゆっくりと、噛みしめるように奥さんが話してくれる。落合駅で下車していたのは乗り換えの都合だけではなかったようだ。


「で、ですね……お渡ししたいものが」


探偵メトロがカバンから絵を取り出した。みーちゃんからの依頼をコンプリートした瞬間だった。


「まあまあ……本当によく描けてますわね、本人が見たら大喜びするんじゃないかしら」


受けとった奥さんは、すぐに絵を祭壇に飾った。ご本人の写真と、みーちゃんが描いた似顔絵が並ぶ。


「それでね、実は夫からもお嬢ちゃんに渡したいものがあったんですよ。それを託してもいいでしょうか?」


「?」と私と探偵メトロは顔を見合わせるが、奥さんが持ってきたものを見て、二人とも笑顔になった。


「ちーちゃん、実はね」


日曜、再会した東西線落合駅のホームで、探偵メトロが自分のカバンを開ける。


「帽子のおじさんが、みーちゃんにプレゼントしたいから渡してって……探偵さんがこれを預かってきたんだ」


彼が取り出したものを見て、みーちゃんが「わああ!」と顔を輝かせる。


「帽子のおじいさんと同じ帽子だあ」


「そう、これをみーちゃんにあげるって、絵のお礼だって」


「ありがとう! ねえ、ママ見て! おじいさんと同じ」


子供サイズの小さなハンチング帽をかぶって、少女が笑う。


「よかったわねえ、ちーちゃん」


母親が目を細める、その縁に涙の粒がたまっているのが見える。


「ねえ、探偵さん。帽子のおじいちゃん、また会えるかなあ。ちゃんとお礼をいわないとね」


「そうだね、いつか会えると思うよ」


この子が事実を知るのはいつだろうと思うと、私は胸が痛くなるのを感じた。もしかしたら、ちーちゃんは事実を永遠に知らないまま生きていくのかも知れない。またはいつか彼女の記憶から、帽子のおじいさんの記憶がなくなってしまうかも。


「じゃあ、これでご依頼の件は無事に解決、ということでよろしいでしょうか」


「はい、探偵メトロさん、ありがとうございました」


母親が深々と頭を下げる。と、ホームに中野行きが滑り込んでくる、相変わらず強い風が構内に吹くが、ちーちゃんのハンチング帽は飛ばされることなく頭にぴったり収まっている。


「私たち、中野へ買物へ行きますので、ここで……」


「そうですか、じゃあ」


探偵メトロは体を翻し、高田馬場方面の階段に向かっていく。


「ど、どこに行くの、探偵メトロ」


「落合駅の近く、早稲田通り沿いに、美味しい豆腐を売っている店があるんだ。今夜は冷や奴でも食べようと思ってる」


「待って、私も連れてって、冷や奴ぉ〜」


スタスタと歩を進める彼を、構内の風におされながら私は必死に追いかけてゆくのだった。


《T−02 落合駅 おわり》

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