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小説 『探偵メトロ東西線』 T-07 九段下駅(後編)
九段下駅の改札に、私と探偵メトロ、そして依頼してきたミチルの親友──今は二十五歳になった咲良さんがいる。
そして肝心の、依頼者ミチルさんは、探偵メトロへのリプで存在を現したものの、本人は登場していない。
私は、あらためて咲良さんを見る。アイボリーの膝丈ワンピース、襟元に雑誌で見たことのあるブランドもののネックレス。その出で立ちだけで有名私立女子校出身のハイソぶりがわかる。そして女の私でもわかる美しさ。少しブラウンの入ったストレートの髪が肩まで伸びていて、ちゃんと手入れしてるなと感じる清潔感あるヘアスタイル。お嬢様は健在のようだ。
「よければ、詳しい話をお聞かせ願えませんか?」
探偵メトロが声をかけると、ええ、と彼女はうなずいた。
「立ち話もなんですから、地上のカフェに行きませんか。私からも相談したいことがありますので」
「わかりました」と探偵メトロが微笑んだ。
しばらくして、三人は九段下駅の近くにあるカフェで向き合っていた。ボサノバが静かに流れる落ち着いた空間だ。咲良さんはハーブティー、私と探偵メトロはブレンドを注文。
「学生時代にこられたカフェなんですか?」
私がたずねると、咲良さんは「いいえ」と答える。
「校則の厳しい学校でしたから、下校時にカフェでお茶なんて許してもらえませんでした。でもみんな、学校には内緒で九段下から離れた場所で、お気に入りのカフェに入ってました」
「そこに」と探偵メトロ。「あなたは、当時お付き合いしていた翔太郎さんと行っていた」
「そうです。思い出になってしまいましたけれど」
元カレになった、ということか……。
「それで、探偵メトロさん、とおっしゃいましたよね。こちらは?」といって私を見る。
「彼のアシスタントをしている、ハルと申します」
「よろしくお願いします」
すう、と背筋を伸ばしてお辞儀。品のいい人なんだな。
「では咲良さん、でしたね。改めてお話を伺うとしましょう。今回、依頼をされたミチルさんは高校卒業の直前に姿を消した、ということですが、行方不明になられたのですか」
「いえ、事件性はないのですが……ミチルが私たちの前からいなくなったことは確かです。卒業前に海外に行ってしまい……そのことを友人である私にも知らせず」
「では行方不明という表現は大袈裟でしたね。友人のあなたの前から姿を消した……連絡もとれなくなった、と」
「はい」
「突っ込んだ話になると思いますが、彼女とあなたとの間で、何かがあったと推測しますが」
「いえ、それは……」
口ごもる咲良さん。何かあったと思わざるを得ない。
と、彼女のスマートフォンが震える。電話がかかってきた。
「はい……九段下……いえ、いなかったの。今は探偵メトロさんたちと一緒に、いつものカフェに……じゃあ待ってるから……」と言って通話を切る。
「すみません、お話の途中で」
「今の相手は、もしかして直人さんですか?」
探偵メトロの問いかけに、咲良さんはこくりとうなずく。
「今お付き合いしているのは、直人なんです。ミチルのリプのことも、彼から聞きました。彼も気にしてたから……」
親友の元カレと付き合っている、ということか。彼女が口ごもった理由がわかった。探偵メトロはそれも見抜いたわけだ。
「彼──直人さんもこちらに向かっていると?」
「ええ、ミチルの出現に驚いています」
「ですよね」
探偵メトロは、運ばれてきたブレンドを口にする。ややあって、うん、とうなずくと、真っ直ぐに咲良さんを見た。
「今までの話の流れからして、私の考えは以下になります──失礼を承知で話すことになりますが、お許しください」
「ええ、どうぞ」
「ミチルさんが、姿を消して連絡が取れなくなった理由は、あなたと直人さんが付き合うことになったから……」
「それはないです」
きっ、と睨むような目になって、咲良さんが探偵メトロの発言を否定する。
「私と直人がつきあい始めたのは、高校を卒業したあと、つまりミチルが姿を消してからです」
「失礼しました」
「いえ、誰でもそう思うのでしょうから。でも、ミチルが私たちの前から忽然と姿を消して、海外に行ってしまったという事実は変わりません。そのあと、音信不通になったのも」
「咲良さん、あなたが私に相談したいことは、ミチルさんの音信不通の原因ということですか?」
「そうです。なぜ彼女が何も言わずに……」
思いつめた顔をしている咲良さん。それはそうだろう。親友が、理由もわからずいなくなったのだから。
「うーん、ですよねえ」と、探偵メトロは天井を仰ぐ。南国にありそうな大きなファンが天井からぶらさがり、ゆっくりと回っているのが見える。
「そのミチルさんが、今日、こうして私あてに謎解き依頼のリプを入れてきて、本人はここにいない……思うにこれは、私ではなく、咲良さんと直人さんを、ここに連れてきたかったのかも知れませんよね」
「じゃあ、もしかして」と、咲良さんは店内をキョロキョロを見回す。でもしばらくして「いませんね、ミチル」と。
「ああ、そういえば……」と探偵メトロは何かを思い出した。
「ミチルさんからの謎解き、まだ答えを彼女に返していませんでした」
「私たちが七年前、住吉駅で定期券を交換していたこと?」
咲良さんも、探偵メトロへのリプをずっと見ていたのだろう。答えは、もう一人の主役である彼女も知っていた。まあ、当然のことだろう。当事者なのだから。
「おそらく、私からの答えを待っているはず」
探偵メトロはスマートフォンを持ち上げて、ミチルさんからの謎解きの答を入力しはじめる。
《ミチル様 返事が遅くなってしまい申し訳ありません。あなたからのクイズの答がわかりました》
《あなたと咲良さんは半蔵門線と新宿線が交差する住吉駅で一旦下車し、お互いの定期券を交換したのです。半蔵門線から新宿線に乗り換えたあなたは、森下駅から乗ってくる直人さんと電車内で落ち合って、九段下駅まで一緒に登校した》
《帰りも交換したままの定期券で彼と森下駅まで短いデート。そして住吉駅の同じ改札口でふたたび咲良さんと定期券を交換した──ですよね?》
すぐにミチルさんのリプが届く。
《その通りです。さすが、探偵メトロさん!》
やりとりを見ていた私は、ふと思った。
──これだけのために、ミチルさんは連絡してきたの?
「咲良さん」
スマートフォンを見ていた視線を、探偵メトロは咲良さんに向けた。
「おそらくですがミチルさんは、私とあなたが一緒にいると計算しているはずです。現にあなたは、私とミチルさんとのリプに反応したのですから」
「でも、私からミチルには、まだ何も連絡していません」
「それでも、ミチルさんはあなたが反応してくれることを信じて、私にリプしてきたと思うのです。九段下駅という場所を待ち合わせに指定してきたのですから」
「そうですか……」
「私からのリプで、咲良さんがいることを告げれば、彼女から何らかの返事が来ると思いますが……」
「…………」
しばらくの沈黙。咲良さんの迷い、答えを待つ探偵メトロの時間が長く感じられた。でも、咲良さんは決意したようだ。
「お願い、できますか」
「ええ」と探偵メトロは微笑んでスマートフォンを手にする。
《ミチル様 もうひとつお話したいことがあります。私の前にかつての友人、咲良さんがいます。彼女は音信不通になったあなたのことを心配して、九段下駅まで来てくれました》
私も、咲良さんも、自分のスマートフォンでやりとりを見ている。
すると、来た! ミチルさんからだ。
《探偵メトロ様 そうですか……咲良が九段下駅に来ていましたか》
《ミチル様 はい、あなたが何も言わず海外に行かれ、それから音信不通になった理由がわからないと》
《探偵メトロ様 咲良の言ったことには嘘があります》
ひっ……と、咲良さんが息を飲む声が店中に響く。
《ミチル様 どういうことでしょう?》
《探偵メトロ様 咲良はおそらく、あなたにこう言ったのではありませんか。直人と付き合い始めたのは、高校を卒業したあとからだ……って》
私は、咲良さんの顔をそっと眺める。人って、こんなにも瞬間的に顔色が変わるものかと驚いてしまった。咲良さんの、ただでさえ色白な顔から、血の気が引いてしまっていたのだ。安易な表現で言うなれば「真っ青」になっている。
「嘘……そんなことは」
《ミチル様……》探偵メトロのリプは続く。《咲良さんも、今あなたのリプを読んでいます。「嘘……そんなことはない」とおっしゃっていますが》
《探偵メトロ様 それが嘘なのです。だって私は、見てしまったのです。卒業前の九段下のホーム。その日は定期券を交換しなかった》
スマートフォンを握っていた、咲良さんの手が震え出す。
《咲良は用事があるからと学校から別れて帰りました。でも私は見てしまったのです。半蔵門線に乗ろうとしていた私は、一番向こう側の新宿線のホームで、直人君と手をつないで歩いている咲良を……これってどういうことかわかるよね。このリプを、咲良、あなたも見ているんでしょう?》
すごい……。
ツイッターの中だけど、今、修羅場だ。友だちのカレシを奪ったという徹底的な証拠を叩き付けられたということになる。
咲良さんは完全に思考が停止してしまっているようだ。この展開、どうなってしまうんだろう。
──と、私たちの前に人影が。
「咲良……」
ミチルさんの元カレ、咲良さんの今カレである直人さんだ。私と探偵メトロにゆっくりと頭を下げた。
「直人……」
眼に涙をためて、咲良さんが上を向いた。
「オレも、これまでのリプを読んでたよ……ミチルは……オレたちを恨んでる」
「私たち、どうすればいいのかしら」
「…………」
しばらく考え込んでいた直人さんは、ふう、と溜息。
「こんな状況で、ふたりの関係を続けるのは……オレは無理だと思う。ミチルは今だって、どこかでオレたちを見ているかもしれない。咲良だって、オレだって、あいつに申しわけ……」
「そんな、そんな終わり方なの?」
「ゴメン」
えーっ、こっちも修羅場になっちゃったじゃない。
どどど、どうするのよぉ……と私は探偵メトロを見る。
あ、コイツ。こんな時にも冷静なんだな。ゆっくりとコーヒーをすすっているぞ。
「まずは落ちつきましょう。直人さん、おかけください」
探偵メトロが声をかけると、直人さんが腰かける。
「咲良。まだミチルに会えていないじゃないか」
「でも彼女、私たちに会ってくれるのかしら。私たちを許してくれるのかしら」
「わからない。でも、言えることは……いい機会だから、オレたちの関係を一度見つめ直さないか。そうでもしないとオレ、ミチルに申しわけない」
「……だよね」
呟くように言うと、咲良さんはうつむいてしまった。テーブルの上に涙の粒が、ポタ、ポタと落ちる。
わぁああ、何なの、この展開。まったく予想していなかったんですけど。
もはやコントロール不能と私が思っていると、やはり探偵メトロは冷静だった。
「そうですねえ。ミチルさんがここにいらっしゃれば、また話は違ってくるのかもしれません……ところで、お二人に伺いたいことがあります」
この修羅場で、まだそんなことを……。
「卒業式の前から、お二人は付き合っておられたと、ミチルさんからありましたが、その……卒業式というのはいつだったのでしょうか?」
はあ? という顔を咲良さんも、直人さんもしている。おそらく私もだ。何の関係があるの。
「私は覚えています」と咲良さん。「三月九日です。レミオロメンの歌と同じでしたから」
「ウチはその前日、三月八日だったと」と直人さん。
「そうですか……ありがとうございます」
探偵メトロが立ち上がった。
「今回の依頼は、ミチルさんからのクイズみたいなものが本題でしたので、私たちの役目はこれで終わったと思います。それとミチルさんがお二方のことで海外に行かれたことも分かったので、それも解決ということでよろしいかと……なので」
行こうか、と探偵メトロが私に目で合図してくる。
「は、はい。では失礼します」
私も彼に促されて立ち上がる。
「それと最後にひとつだけ……直人さん」
「はい?」呼ばれた彼が不思議そうな顔をする。
「バカの壁って言葉、ご存じですか?」
「いえその……勉強不足ですみません」
「でしたら、ご自身でお調べいただければ、私が申し上げたいことの意味がわかると思います、ではこれにて」
スタスタと出口に向かって探偵メトロが歩き出す。何のことかさっぱりわからない私は、二人に「失礼します」と頭を下げてから彼を追いかけた。
店を出た彼に「探偵メトロ、いったい何があったの?」と後ろから声をかけると、彼は不機嫌そうな顔を見せた。
「え、私なんか怒らせるようなコト、言いました?」
「ハル、君にではない。あの男だ」
「直人さんが、どうして?」
「説明するから、ついて来たまえ」
さらにスタスタと歩を早める。
到着したのは、九段下駅の下のホーム。4番線の半蔵門線押上方面行きと、5番線の新宿線新宿方面行きがある。
前を歩いていた探偵メトロが、振り向いた。
「さっき言ったバカの壁は、このホームにあった。君も覚えていると思うが」
「ええと……」と私はホームを眺める。
このホームは東京メトロ半蔵門線と、都営地下鉄新宿線という、ことなる事業者の地下鉄がホームで面している……あ。
「わかったか」
「はい。私が小学生のときだったと思うんですが、この……半蔵門線と、新宿線のホームは一緒ではなく、間に壁があったと」
「そう。それがバカの壁だ。一枚を隔てて、乗り換えしたい人がわざわざ階段を上がって改札を抜けなければならなかった。それを当時の都知事の指示で取り払われることになった」
「覚えています……でも、さっきの人たちの関係は?」
「その前にハル。君はミチルからのリプが、本人からのものだと思っているのか?」
「え……?」
そんなこと、考えてもいなかった。
「だって、そうじゃないですか。七年前、定期券を交換して会っていたことは、本人たちしか知らない」
「本人たち、だろ。ミチルと限ったわけではない」
……そうなのか。
「カフェで自称ミチルに、私がこう答えを返したのだが──二人は住吉駅の同じ改札口で定期券を交換した」
「それが、どうしたんですか?」
「カマをかけたんだ。相手はまんまと引っ掛かった──実はな、リプの相手が本物のミチルなら、その答えに反論があったはずなんだ」
「?」という私の顔を見て、探偵メトロはスマートフォンを操作する。画面に示したのは……、
「住吉駅なんだが、都営新宿線の改札口は一個所ではないんだ。新宿方面行きと、本八幡方面行きの二個所ある。ミチルと咲良が、行きと帰りに定期券を交換するなら、本物のミチルであれば同じ改札には行かない」
「なるほど……ということは、リプのミチルはニセモノということがわかり、その正体は、咲良さんのかつてのカレシだった翔太郎さん……」
「それも違う」
「じゃあ、さっきやって来た、直人さんなんですか!」
「そこでバカの壁の話だ。あの壁が撤去されたのは、2013年の3月16日、彼らの卒業式のあと」
「つまり、こういうことですか──卒業式前、咲良さんと直人さんが新宿線のホームで手を繋いでいたのを見た──は、『バカの壁がまだあったから見えていない』から嘘である」
「さよう。半蔵門線を利用していたミチル、そして翔太郎も、バカの壁があるから、咲良と直人の姿は見えていない」
「消去法でいくと、手を繋いでいた事実がわかるのは、咲良さん、直人さんの二人だけなんですね」
「自称ミチルからのリプが来たとき、咲良さんはそれを自分のスマートフォンで見ていただろ」
「ですね。それと、自称ミチルからの返事があったあとに、直人さんが登場した」
「リプの存在を咲良に教えたのも、直人だ」
──すべて直人さんの仕業なのか、でも。
「どうして、そんなことを?」
「わからない。だが、最後の方のやりとりを思いだしてみれば、アイツは咲良と別れたくて、工作したんじゃないかな」
《……いい機会だから、オレたちの関係を一度見つめ直さないか。そうでもしないとオレ、ミチルに申しわけない》
直人さんの言葉が蘇ってくる。
「なるほど、そうかも知れません」
「バカの壁に、直人……だけでなく咲良も気づけば、話は動くのかも知れないが、私たちの関与する話でもない。もう馬鹿馬鹿しくなって、あの場を去ったというわけだ」
苦い顔をした探偵メトロを、私はただ見ているだけだ。なんか、後味の悪い謎解きだったな……今回は。
「私も君も勉強になったということだ」
バカの壁(があった場所)で、二人はうなずいていた。
《T−07 九段下駅 おわり》