人生の回り道をすることの価値は、どうすれば見い出されるのか?
ブラジル国内の企業や団体でインターンをする日本人の若者のお手伝いをしています。
1年間、ブラジルの企業や団体に受け入れてもらい、ブラジル社会の中で生きてもらうというプログラムです。主役はもちろんインターン生。そして制度の趣旨に理解いただき引き受けていただける現地企業や団体の協力で成り立っています。
私自身、このプログラムを通じてブラジルにやってきたOBです。今は黒子として、ブラジル側で制度の運営をボランティアで手伝っています。留学、あるいは駐在員として来るよりも、現地社会との深い関わりを持つことができるのがこの制度だと、自らの経験からも自信を持って言えるからです。
インターン生を育てるのは、我々運営メンバーではなく、取りも直さずブラジル社会です。貧富の格差が激しく、生き残りも厳しい社会でもたくましく前向きに生きる周囲のブラジル人らから刺激を受け続け、1年後には、まるで「千と千尋の神隠し」の主人公のように、日本からやってきた時と比べるとほんの少し強い人間となって、彼らはブラジルを後にしていきます。
しかし、1年間という長期間のインターン、それも非英語圏のブラジルともなると、なかなか今の日本社会ではその意義が見いだせないようです。
実際に、応募者数も減ってきています。今年は7名がインターン中ですが、来年にはその半数程度になりそうです。私が参加した14年前には、60人もの応募があったのですが。
にじみ出る同調圧力
今年のインターン生の1人と、サンパウロ市内でブラジル料理を食べながら談笑していた時のこと。鞄の中からおもむろに1冊の本を取り出してきました。それは、SPIの対策書でした。
パラパラとめくると、そこには一般常識問題が並んでいます。その中に、上野動物園のパンダの名前まで出題されているのを見て、思わずため息をついてしまいます。
私も2000年頃の就職活動中に、SPIという新卒採用向けの筆記試験を何度も受けた立場です。SPIの本を見せてくれたそのインターン生は、現在大学3年生。帰国したら就職活動が待っています。そのために、ブラジルに居ながら対策勉強をしていると言います。大学の同期は既に就職活動に取り組んでいるタイミングであり、海外に居てそれに乗り遅れていることで更に不安が増す、とも話します。
もし自分が同じような立場でブラジルにインターンに来ていたとしても、きっと同じことをしていたでしょう。私は決してそこを批判するつもりはありません。
しかし、ブラジルくんだりまで来て彼らが抱えている不安を目の当たりにすると、新卒一括採用という制度がもたらす同調圧力や、それが皆が通るべき道であり、慣習として片付けられてしまう日本の風潮に、もどかしさを感じてしまいます。
そこには、あまりに短絡的に結果を求める風潮がどうも蔓延している気がしてなりません。
回り道をした人は、回り道の価値に気付ける
例えば、こちらのCOMEMOの他の方々の投稿を拝見していても、皆さんそれぞれが紆余曲折を経て今の自分になっているというのが、普通ではないでしょうか。もしかすると、今でも回り道の最中なのかも知れません。
それまで皆と同じような道を歩むことが当然のように刷り込まれて生きてきた若者に、そうした生き方のイメージができないのは仕方がないとも言えるのでしょう。しかし、それでも人とは違った体験をしていることに、もっと自信を持ってもらえないものかと、何とも歯がゆい思いがします。地球の反対側まで来て、こんなに多種多様な人に囲まれた素晴らしい舞台に立っているのに、上野動物園のパンダの名前を覚えている場合ではないのです。
企業の多様性と声高には叫ばれていますが、こうして日本からやってくる若者の吐露を目の当たりにし、実態はまだまだだと感じます。
地球の反対側で1年間暮らそうと決めた勇気と決断力、そして現地では言葉の不自由さに日々戸惑いながらも、しかし周りのブラジル社会の人たちのサポートを一身に受けてインターンに力を注ぐ中で、一体どれだけの強さや、日本では得ることのできない世界観が育まれているのか。
自ら進んで人とは異なる経験を積んだ若者に積極的に目が向けられ、彼らが人や企業に出会えるチャンスが増えるといいなと思います。
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