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#16 夢掴み人


「夢追い人って思われたくない。」

1年半ぶりに再会した彼の口からの、らしくもあり、らしくもないような言葉だった。


体操選手である僕の親友。
彼はパリ五輪を目指してきたが、それには及ばなかった。

身も蓋もない話をすると、スポーツの世界では過程に価値はない。

頑張ったから。
努力をしたから。
ここまで続けたから。
そんなログインボーナスで地位や名誉が与えられるワケもない。
そこに曖昧な境界線なんてなくて、白黒が付く、微塵の血も涙も感じない。

見られるのは、結果、数字。
体操という星では、より一層の数字社会で生き抜かなければならない。

「今日できたモノがあなたの全てです。」
なんて言われてるも同然。
儚い。儚すぎる。

少し前に、こう聞いたことがある。
「どの演技もPKみたいな感じ。」
嫌だね?できることなら蹴りたくないもん。笑


僕もスポーツ選手の1人だから、少なからず痛みは知っている。
奇しくも同じような時期に、同じような苦しみも背負ってきたから。

2022年、僕はモンゴルで、彼は日本で、プロとしての初試合で。
手術を経るほどの大怪我を負い合った。
冴えない顔して連絡をしたが、お前もかい!とツッコミを入れた。

You will never walk alone
と、メッセージ付きのユニホームを送ったが、1人じゃないと思いたかったのは、本当は僕の方だった。

逃げ出すことは簡単だった。
目を背けたい現実ばっかだったし、こんなの挑戦しなくたって生きていける。
それでも彼が、勇気を体現するから。僕に理由をくれたようなもん。

そして、あの日。
インドネシアでの夜。
足を止めることを決意し、泣きじゃくって電話した先も彼。

多分、同じ痛みを理解してくれてのことだったのかな。
何も否定せずに、お疲れ様と言ってくれた。


久々の再会、飲み会も中盤。
もう1度、もう1回、足を進めることを話した。

中々会えずで明け透けにできなかったけど、さして会話の衝撃はなく、同じような十字架を背負ってきたことを実感。

目標を決めて突き進むことの尊さの裏で、きっちりと手段を選ぶ愛される選手にもなりたくて、その狭間で取りこぼしたモノたち。
あくまでもアスリートとして、前者の姿勢はいつまでだって持たなくてはならない。

「夢追い人って思われたくない。」
そう、僕らは何かを掴むところを見せたいんだ。


また1つ、上を目指して走ることにした、理由ができたような気がする。


渡邉 宰



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