#19 2022.6.20
2年前。
2022年6月20日。
祖母の命日。
兆候があったのは4年前。
帯状疱疹を患ったことが引き金となり、心身の闘病がスタート。
当時はコロナが上陸して間もなく、病院への面会も条件付きだった。
マスクをして面会に行ったもんだから、僕のことを正確に認識していなかった。
話しかけると、他人のような素振りをされた。
完全に衰弱し切っていた。
正直、ここで覚悟していた。
それでも回復の兆しが見え、退院し実家での療養に切り替わった。
奇跡だ。回復したことが、奇跡だとすら思った。
しかし、何も闘病が終わったわけではない。
ここから母と祖父による、懸命な介護生活が始まった。
そもそも、祖父自身が介護が必要な体であった。
遥か昔に交通事故に遭い、足は正常ではない。
それも1度の話ではなくて、体からは多くのボルトが出てくる。
最初こそスムーズだった介護も、祖母の認知症が進行してからは、それは手を焼いたそう。
次第に手が回らなくなり、介護施設と実家の行き来をするようになった。
元から神経質な上に、認知症が重なったのがまた厄介で。
食べ物を拒むことからスタートだった。
ご飯を食べる資格がない。
寝ていい身分ではない。
みんなに悪口を言われている。
付きっきりで面倒を見ていた母さん。
自分の母親だからこそ、より辛かったに違いない。
それを見ている側の僕でさえも、こんなにも辛かったのだから。
2022年1月の祖父の死をきっかけに、祖母の認知症が益々進行した。
自分のせいで祖父が死んだと言う祖母を、誰も止めることができなかった。
訃報を崩れ落ちるように聞き、繰り返し、私のせいだと豪語する。
小さく、丸くなったなと感じた背中は、葬儀場ではより強くそう感じた。
日に日にエスカレートしていく言動。
一切の食べ物、水、薬も放棄し、点滴のみの力に頼ることになる。
そんなのは、死までの時間稼ぎである。
食べなければ痩せ細り、間もなく点滴の針は刺さらなくなる。
後は時間の問題で、終わりを迎える。
そして施設からの一報。
最悪のシナリオ通りに進み、その日が来てしまった。
葬儀当日。
あんなにも人は小さくなってしまうのか。
棺に入った、小さく、弱った体を見て、言葉が出なかった。
命って呆気なくて、儚いんだ。
一瞬にして消え去ってしまう。
この年、僕ら家族は4つの命を失った。
すごいよね。15周くらい回って、笑いが出てしまうレベル。
使い古された言葉だけど、伝えといた方がいいよ。
伝えられなくなる時が、すぐそこに迫ってるかもだから。
ちょうど3回忌を迎えたタイミングで、僕を形成してくれる過去として、少し受け入れられるようになってきた。
当時は苦しかったし、痛かったし、背中を向けたかった。
でも全然忘れられないよ。
だから、思い続けることにする。
渡邉 宰