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つまらない大人になっていないだろうか
私は人と比べたら、無趣味に近いような人間だと思う。
昔から、人と考えや話題を共有することが皆無と云ってもいいくらいない。それはおそらく、子供時代に経験してきたことに、少なからず影響しているのだと思う。
特に小学生だった時は、同級生と遊ぶことがほとんどなかった。学校から家に帰ればそこから塾に行くか、宿題あるいはゲームをやろうとひとり部屋に閉じこもることが大半であった。
休日といえば、一日中家で過ごす他に、家族一同で親戚の家に行くことが時々あったものの、子供の遊びらしい遊びをさせてもらえず、ただその場で繰り広げられる大人同士の話を延々と聞かされることばかりだった。
元から友人と呼べる人間関係が少ないまま、社会人になって単身で上京してからは、よりひとりでいる時間がさらに増えていった。
見方によっては、群れから離脱した羊が故郷を離れては見知らぬ場所を放浪しているような、なんとも滑稽な絵面だと揶揄されてもおかしくはない。
けれど、今もひとりでいることを、私は苦としていない。むしろ、異端の者だと思われても構わない。そう云い聞かせなければ、何らかの拍子で躓いてしまった時、二度と立ち直れなくなってしまうのではないかと、そう危惧しているぐらいだ。
とはいえ、これまで様々な困難を乗り越えてきたが、再び今を楽しむ頂きに来ているのかもしれない。心から自分を楽しませるという気持ちが、思いのほか溢れてきている現状である。
ただ、その楽しいという感情が、いったいどこまで続くのかはわからない。もしかしたら、ふとしたことで土砂降りに見舞われるかのように、それまで保ち続けていた気分がどうしようもないくらい、降下してしまう時が訪れる。
それでも歩みは止まらない。いや、止めてはいけないのだ。
人と考え方、かつ歩み方が異なるからこそ、私は私で私しか進むことのできない人生をいく意味がある。他人のためではなく、他人と比べるためのものでもなく、自分を生かし続けるための。
それに、自分がいざ走りたいと思って行動に移さなければ、この先もずっと立ち止まったまま動けなくなってしまう。あるいは誰かにいつまでも動かされていては、本当に守るべきものすら守れなくなってしまうのかもしれない。
そうした無気力に陥っては自身を苛まれてしまわないよう、転ばぬ先の杖として云い聞かせている言葉がある。そして、ときめく方へと動かしていくために、心の底から自分自身を楽しませるために、新しいステージへと一歩踏み入れていくのだ。
私は、つまらない大人になっていないだろうか、と。
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