やがて浮上する未来を思い浮かべて
その日の日曜日は、昼過ぎまで寝てしまっていた。
ここのところ、東京の自宅と実家の間との移動であったり、外出する用事などが頻繁に続いてなかなか充分な休息を取れていなかったのもある。
加えて最近では、悪友と地元の駅前にある居酒屋を中心にサシで呑むことも増えてきた。それでもって、帰りのタクシー代をケチろうと実家まで徒歩で帰ったりもしている。
家にいるときも毎日筋トレやストレッチなどと、現在進行形で抱えている不満と不安をかき消すかのように、常に体を動かし続けていた。
そして今に至る。ここは、私が東京に構えている自宅ではない。紛れもなく、青春時代を過ごした地元にある実家のうちの一部屋だ。
目を開くと、視界には一つの円盤らしきものが映し出されている。同時に目覚まし時計を見ると、時刻は午後1時をとうに回っていた。
今の私を取り巻いているようなその部屋のレイアウトは、あのとき私が上京するために出て行った時とほぼ変わっていない。
周りは子供の頃からある、コミックス本いっぱいに敷き詰められた本棚と、社会人になってから新たに設置したハンガーラックが見えている。
その上には、中学生の時に父親に買ってもらったMDコンポと、昔から見慣れた景色が広がっている。
そこにベッドはなく、私が体を横にして寝ていた布団は万年床と化していた。
まるであのときから、時間が止まっているような感覚があちらこちらに漂っている。
いつになればこの不安定な生活から抜け出せるのだろうか。今が現実なのかそれとも夢なのか、わからなくなってきている。
人間としての意識や心臓の鼓動が止まっていない以上、これは現実である。しかしそれと付け加えるのであれば、両脚に鎖を無理やりつけさせられ、海の底に深く沈められているのと同じようなものだ。
このまま溺れて息絶えるのが先か、もがいて海面まで這い上がるのが先なのか。私の中のカウントダウンは、会社から半ば強制的に異動させられた時から既に始まっている。
これまでのことを考えると、私はいったい何がしたくて上京したのか、どんな理想を追い求めて此処から離れたのか。
今も元の日常に戻れない日々が続いていると、希望を諦めていないとはいえ、不安に駆られてばかりでその目的すら忘れてしまいそうになる。
鉛のように重たくなってしまった心を抱えた状態で、odolの「未来」を聴くとほんの少しだけ、身体が浮いているような不思議な感覚になる。
自力では這い上がることができなくなっている今の私にとっては、精神安定剤の一つとも言える処方箋だ。
先が見えないのは今も変わらないが、願わくばこんなふうに少しずつ海の底から浮上してくればいいと、何のアテもないことを思わない日はない。
そして私は今日の夜、いつもの習慣と題して東京へと戻っていくのだ。