<石巻南浜津波復興祈念公園>
ちょっと想いが詰まりすぎているので場所ごとに分けて書こうかと。これは自分のための記憶の記録。
それに、場所ごとに分けて書かないと本当に誰にも読まれないまま書き残しておくだけになりそうでwwまぁ、それでいいんだけど。
評判がよくないのは知っていたけど、実際にその通りで、なんのために作ったの?と思わずにはいられなかった。
福島の双葉町、宮城の石巻、岩手の高田。
県ごとに象徴する施設になるはずだったのに。。。
建築的に意味がまったくわからない。構造体でないはずの柱が多すぎる。プロジェクタなんか、まったく意味がない。地震が起こった時間に影ができるっていうラインがあったけど、それ建物に合わせられなかったの?
日和山から伝承館、慰霊の水場っていう軸を通したのかもしれないけど、日和山の鳥居は違う方向向いているし、水場だって向きがあっていない。せめて水場までの通路もこの軸にあわせられなかったのか?
館内の展示内容については、なんというか、、、石巻 っていう地名を違う地名に変えても通じるような内容で、、、。ほんとひどい。意匠も展示も大失敗だと言えるんじゃないか?
(「軸」については想うことがある。伝承とかのトレンドになっているのか?わりと多い。シンメトリーになっていないものでも軸を通したがる。これが高田松原の施設ではなにか逆効果に想える部分もあった。詳細は後に記そうかと思う。)
この施設を見て、震災で最大の死者・行方不明者を数えた自治体なのか?と、言わずにいられない。伝承館という施設を見ていつも思うことは これは50年後、100年後に見た人たちはどうおもうのか?ということだ。
以前、女川に人を連れて行ったときハマテラスができたすぐの頃で ここに津波が来たの?もとからこうだったの?と言っていた。素直な感想だとおもった。でも、病院の二階にある展示を見てビックリして震えていた。そういうものだ。
日和山から見た震災直後の光景を覚えてるぼくがあの展示を見て「そうじゃない。こんなもんじゃない。」と思うのはとうぜんのことだ。
シラス で五十嵐太郎さんが話してたのがあった気がする。検索したらまさに、これだった。
https://shirasu.io/t/kenchiku/c/kenchiku/p/20211216
石巻の津波伝承館は、なぜ「失敗」したのか──展示を監修した山内宏泰氏に聞く
山内宏泰氏はリアスアーク美術館の学芸員であり館長。そしてリアスアークの常設展を作った人。リアスアークについても後述する。(学芸員という呼び方もどうなのかな?と以前から思っている。南相馬市の二上文彦さんや山内さんを見ていると学芸員ではなく研究者の方がふさわしい気がする。)
シラスの鼎談を見てみると、ぼくの想っていたことをほとんど言ってくれている。
石巻の伝承館は国が主導して(金を出して)県が施行した施設。石巻市はやりたがらなかった。らしい。建設当時はまだ大川小の裁判をかかえていた(大川小のことも後述する)。
なら、そういうことで裁判が終わってからということにはできなかったのか?
とはいえ、それもわかる気がする。大川小のことはここで何度も言ってきてる。遺族の思いを散々踏みにじる答弁や態度をしておきながら伝承館をつくるなんて、ね。でも、今からでもどうにかできるのではないのか?と思わずにいられない。被害を繰り返さないという強い気持ちがあればあの意味のわからない展示もなんとかできるはずなのに。
近くにある 門脇小学校 は一部削られて小さくなっていた。これも、工事前に見に行けてよかった。どうして小さくする必要があるの?どうしてそのまま残せなかったの?
石巻の市場にある食堂で海鮮丼。これで2180円。少し前まで1800円だったらしい(税込み)。ぼくからしたら1800円くらいの感覚なんだけど、この内容で場所によっては3000円こえるものもある。仮設商店街の頃はみんなそんな値段だったのに、恒久店舗になってからどんどん値上がりしてるもんなぁ。観光客しか食べないよね。女川の○○清とか、以前は地元の人普通にいたのになぁ。
半日くらいの時間で牡鹿半島の浜をドライブして回った。大川小も雄勝も石巻市ではある。これはまた後日。
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