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金融講座ⅴ1「銭(通貨)の話」

満を持しての登場である。
金融機関で半世紀の間、働きながら学び経験した独自の「金融論」について語る。などと恰好を付けているが、ごく当たり前のことを解説する。
今回は、「銭(通貨・貨幣)」について簡単に所有する紙幣を添付して解説する。

        皇紀2682年’(令和4年)西暦2022年1月19日
        さいたま市桜区
        金融・相続コンサルタント 田村 司

はじめに(百聞は一見に如かず)

紙幣の現物をご覧あれ!

日本銀行兌換券(拾圓)である。


文言には「此券引換に金貨壱拾圓相渡可申候」とある。
金貨と取り換える(兌換)紙幣である。
つまり、金貨:拾圓が担保(保証)されたものである。
金(ゴールド)がこの価値の裏付け(担保・保証)されていたのである。
難しい言葉では金本位制とも言われていた。
その次の紙幣は兌換の文言もなく不兌換紙幣である。

兌換紙幣と不兌換紙幣

金本位制の解説

一国の貨幣価値(交換価値)をに裏付けられた形で金額を表すものであり、商品の価格も金の価値を標準として表示される。この場合、その国の通貨は一定量の金の重さで表すことができ、これを法定金平価という 。19世期後半の大不況期に採用が進み、20世紀には国際決済銀行ブレトン・ウッズ体制の礎となった。しかし、1971年の米ドルの金兌換停止以降、先進国のほとんどは管理通貨制度に移行した。

米ドルの金兌換停止(ニクソンショック)の解説

 ニクソンショックによって金とドルの交換が停止され、各国は固定相場制を放棄。 現在は多くの国が変動相場制に移行しています。
第二次大戦後、アメリカはドルを中心とした国際金融の仕組みを構築した。しかし、欧州や日本からの輸出増ベトナム戦争への財政支出増加赤字が拡大
諸外国の保有するドルアメリカの保有する金の総量を上回った結果、アメリカから金が大量に流出金とドルの交換は不可能となった。

ニクソン・ショックとは

ニクソン・ショックとは、1971年に第37代アメリカ合衆国大統領のリチャード・ニクソンが発表した衝撃的な経済政策のことです。

ニクソン大統領は7月15日に中国訪問を含む新規外交政策
を発表した後、同年8月15日に、金とドル紙幣との交換停止は金融関係者を大いに驚愕させました。別名ドル・ショック。
ニクソン大統領がテレビとラジオで演説した経済政策の内容は事前にアメリカ合衆国議会にすら通達されていなかったため、その分ショックも倍増。特に、取引市場が開いていた日本の為替相場は大混乱に陥りました。

ニクソン・ショックの歴史的背景

アメリカは第二次世界大戦後、世界に存在する金のおよそ7割を保有していました。
古来からリスクヘッジ資産として世界中の投資家の間で取引されてきた人気商品の金を1オンス=35ドルの固定比率でいつでも交換することができたため、米ドルは各国の通貨と固定レートで交換される国際的な基軸通貨の地位を確立していたのです。

ところが1960年代に入り、アメリカ経済に陰りが見え始めます。ベトナム戦争などをきっかけに大幅な軍事力強化に着手した結果、アメリカは巨額の財政赤字を抱えてしまう
国際収支も目に見えて悪化し、米ドルがどんどん海外に流出していく事態に発展。もはや金本位制を維持できなくなり、抜本的な経済転換策を余儀なくされたのです。

為替相場への影響

1971年12月に主要10か国はドルの切り下げを容認するスミソニアン協定を締結。それまで1ドル360円に固定されていた日本円は、一気に308円まで切り上げられた。まんまとアメリカの思惑通りに事は進みますが、それでもアメリカの財政赤字は解消されず。そして1973年になると、市場の需給によって為替レートを決定する変動相場制へ完全に移行し、固定相場制は終焉を迎えた。

政府紙幣の存在はご存知ですか

政府紙幣はデフレ対策としての不況対策として検討さてた時期もある。
次にご覧いただきたいのは次の通貨発行者である。
政府紙幣とは、「通貨発行権」を持つ政府が直接発行する紙幣、または、持たない場合において中央銀行が発行する銀行券と同じ法定通貨としての価値や通用力が与えられた紙幣のことである。国家紙幣ともいう。近年、不況対策としての通貨発行益をめぐって、さまざまな議論を呼んでいた。

日本銀行創立以前の政府紙幣

江戸時代には、地方の諸侯が領内での流通に限定した藩札を発行していたが、これも一種の地方政権の発行する政府紙幣であった。発行目的のひとつに領内の殖産興業があったが、藩によっては濫発した為額面よりも実際の価値が幕府発行の貨幣に対して著しく低い場合も少なくなかった

明治維新後の明治政府は、何度も政府紙幣を発行した。最初は戊辰戦争時の太政官札であり、西南戦争時には明治通宝が発行されたが、いずれも戦時支出のために大量に発行された。ついで発行された国立銀行紙幣もうまく機能しなかったことから、1883年に旧紙幣と交換された神功皇后が描かれた改造紙幣が発行されたが、この紙幣の名義は「大日本帝国政府紙幣」であった。その後日本銀行が設立されたことで、各種の政府紙幣は流通が停止し使用禁止となった。

明治の維新政府は、税制など歳入システムが未整備のままスタートした。政府支出の大部分は、太政官札などの政府紙幣の発行によって賄われていた。当初は、デフレギャップが存在していたので、物価も上昇せず、経済も順調に拡大した。しかし1877年(明治10年)の西南戦争の戦費がかさんだ。このための政府紙幣が大量に発行されたことが原因でインフレが起った流通通貨の増大でインフレギャップが生じたのである。農産物が高騰し、農村は潤ったが、都会生活者、特に恩給暮しの者達は困窮した。そこで政府は、増税などによって政府紙幣の回収を始めた。この結果、物価動向も落ち着いた。しかし新たに登場した松方内閣松方首相大蔵大臣兼任)はさらに多くの政府紙幣の回収を行った。この結果、大幅に需要が減り、デフレになった(松方デフレ

第一次世界大戦中には、戦争により価格が急騰したため、銀貨の発行継続が困難になり50銭、20銭、10銭の政府紙幣が発行された。この措置は戦争終結により銀価格が落ち着いた為に解除された。

しかし日華事変勃発後の1938年以降は、またしても銭単位の補助通貨が金属物資の戦争優先使用のために発行できなくなり50銭の政府紙幣が発行された。当初は富士山を描いた紙幣であったが、紙幣増産のために民間印刷会社に委託されたことに伴い靖国神社に図案に変更になった。終戦後50銭硬貨が復活したが、戦後インフレーションのためにコスト割れになるおそれがあったため、板垣退助の図案の政府紙幣が再び発行された。なお、これら50銭の政府紙幣も1953年小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律により廃止されたため、現在では日本の政府紙幣で有効なものは存在しない。上記のように日本銀行発足後に発行された政府紙幣はいずれも小額政府紙幣であり、前述のような戦時での金属不足などの特殊な状況下日本政府が発行する硬貨の代替との性格が強いものであった。

新円切替の経緯解説

1946年昭和21年)2月16日夕刻に、幣原内閣が発表した戦後インフレーション対策として行われた金融緊急措置令を始めとする新紙幣(新円)の発行、それに伴う従来の紙幣流通の停止などに伴う通貨切替政策に対する総称である。
第二次世界大戦の敗戦に伴い、物資不足に伴う物価高及び戦時中の金融統制の歯止めが外れたことから現金確保の為の預金引き出し集中の発生、また一方で政府も軍発注物資の代金精算を強行して実施したことなどから、市中の金融流通量が膨れ上がり、ハイパーインフレーションが発生した対策が背景としてある。

この時同時に事実上の現金保有を制限させるため、発表翌日の17日より預金封鎖し、従来の紙幣(旧円)は強制的に銀行へ預金させる一方で、1946年3月3日付けで旧円(5円以上の紙幣)の市場流通の差し止め、一世帯月の引き出し額を500円以内に制限させる等の金融制限策を実施した(ここから「五百円生活」という流行語が生まれた)。これらの措置には、インフレーション抑制(通貨供給量の制限)とともに、財産税法制定・施行のための、資産差し押さえ・資産把握の狙いもあった。このとき従来の紙幣(旧円)の代わりに新しく発行されたのがA百円券をはじめとするA号券、いわゆる新円である。また新円切替の結果、「日本銀行兌換券」と表記されている紙幣は全て無効となった。

インフレの抑制にある程度成果はあったものの、抑えきることはできなかった。そのため市民が戦前に持っていた現金資産は、日本国債等債券同様にほぼ無価値になった


また新円紙幣の印刷が間に合わないため、回収した旧円紙幣に証紙(10円・100円・200円・1000円の4種あり。詳細は日本銀行券#証紙を参照)を貼り新円として流通させた。この際に証紙そのものが闇市で出回っていたという証言がある。



軍用手票について解説


戦争時において占領地もしくは勢力下にて軍隊が現地からの物資調達及びその他の支払いのために発行される擬似紙幣である。
政府紙幣の一種と解されることもある。略して「軍票(ぐんぴょう)」と呼ぶことが一般的である。軍隊が通貨の代用として使用する手形ないし占領軍の交付する代用貨幣であり、最終的には、その軍隊が所属する政府によって軍票所持者に対し債務支払いを行う必要があるが、敗戦国の場合、支払能力がないため反故にされる場合もある
また第二次世界大戦の敗戦国である日本の場合、かつて戦時国際法上、個人に対する戦争被害を敗戦国が補償する義務がなく、また連合国側が軍票の支払い義務を免除したため、後に国際問題になったことがある。軍票の性格について、有賀長雄は徴発証券説をとり、軍票は貨幣ではなく徴発物件および労力に対して国際法規に基づき占領軍の公布する証券であるとの説を採る。これはハーグ条約附属陸戦法規規則52条3項に根拠をもとめているが、軍票は同規定にいう現金ないし現地通貨ではないが、定額証券なので「受取証」とは言い得ない。森武雄(元陸軍主計中将)は「軍票なる特殊の貨幣代用券」とし、津下剛は日清日露戦争時の軍用手票について「日本政府が満州の占領地に於いて発行した紙幣」と規定する。大蔵省理財局は軍票の法律的性質を次のように説明している。

  1. 法律ノ根拠ニ基クモノニ非ズ且、法律上ノ強制通用力有セザルヲ以テ、厳格ナル意義ニ於ケル通貨ニハ非ザル

  2. 無期間、無利子、無記名ノ定額証券ニシテ債務者ガ之ニ依ル支払ヲ受諾スル限リ有効ナル弁済ヲ為シ得ルモノナルヲ以テ

  3. 専ラ国外ノ派遣地ニ於ケル軍費支払ノ便ニ供セラレ法律上ノ強制通用力ヲ有セザル政府発行ノ兌換紙幣ニ準ズル性質ヲ有スルモノト謂フコトヲ得ベシ


軍用手標


中国の通貨表示「圓」についての独自解説

中国の紙幣の貨幣単位を見てみよう。一般には「元」と言われているが紙幣への表記は「圓」であることに驚く。
中華民国(台湾)そして中華人民共和国の紙幣も「圓」であることに驚く。
そして、それはなぜだろうか。中国大陸のそれぞれの王朝の貨幣単位は、明、清の時代は「圓」は貨幣単位として使われなかったが、中華民国の孫文(日本に留学した経験者)の貨幣改革で壱圓銀貨が作られ、貨幣単位は「圓」となったようである。次の紙幣の貨幣単位は「圓」である。

そして、明治以来の日本の政治・経済・文化の影響で、「圓」が未だ使われている。中国大陸では日本由来の言葉が70%以上使われているのは一般常識化されている。

貨幣は「圓」が信用できるという意識が中国人にも深く染みついているのであろう。


My  Opinion.

今回の解説で分る通り、通貨・紙幣の変遷をみると貨幣価値が下がっていることがわかる。今、デフレでありインフレ政策をとっているが、詰まる所、収入が年金生活だけの者にとっては、デフレは物価が上がらずに消費生活には良い環境である。これがインフレになったら、年金収入では生活費が賄いきれず、貧乏生活になる。次回は貨幣価値にも言及する予定である。


To be continued .  See  you  later !

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