2024-12-05 リアルとの乖離
8時頃起床。朝食は豆乳青汁とバナナに、やっすい乳酸菌飲料。
まだ乳酸菌飲料の味のことを考えている。
昨日の日記に「ヤクルト味を感知する味蕾で、直接、ヤクルト味として感覚されている」というようなことを書いたが、やっぱりそうとしか思えない。今朝も僕の舌にあるヤクルト味を感知する味蕾に電気が走った。
「甘い」とか「酸っぱい」みたいに単味として表現できないのはもちろん、「甘酸っぱい」のように組み合わせても、表現しきれない不思議な味だ。
文学フリマで売ったエッセイ集のことをまだ考えている。
あれは前作よりも多く売れた。
試し読みスペースからブースに来てくれる人が多かったことから、「本らしい」デザインを心がけたことがその一因だと踏んでいる。縦書きで、堅いフォントを使い、紙もキンマリにした。
しかし、読んだ人から「塚岡さん、元気出してください」と言われてしまった。そう、僕も何となく気付いていたのだけど、縦書きにすると文章に「深刻さ」が現れてしまう気がするのだ。
とくに、僕の文体はそもそも軽さがなく重めなのでなおさらである。文章から受ける印象よりも実際の僕はずっと元気だ。
そこには、。横書きでは流し読みできたことが、縦書きだと脳の芯で受け止めざるを得ないものとして流れ込んでくるような現象があるように思う。
「本らしく」と考えて縦書きにしたことで重みが目立ち、人を心配させてしまっている。
このことから、リアルな僕とエッセイの中に存在している僕との間に必要以上の乖離が生まれしまったようにも思う。
リアルの僕は基本的に明るい人間で、人を笑わせることが好きで、病的なほど前向きなのだが、文章から受ける印象はたぶん違う。
エッセイにおいて、文章の中とリアルとで人物像が違ってしまう現象についてもう少し考えてみたいのだが、今はまだふわふわしてうまく言葉にならない。
前作を作ったときにもこの予感があって、あれは横書きでフォントも柔らかいものを選んだのだったな。しかし、そのために商品としての価値は低くなってしまったという反省もある。今回、お客さまに求められても「売れません」と言ってしまった。
今夜これやります。
よろしくどうぞ!