ディスラプト世代と協調世代 - サム・アルトマン氏のイーロン・マスク氏評に浮かぶ隔たり

アルトマン氏はこの日のインタビューで、「マスク氏の人生は全て、自信のなさに由来しているのだろう。気の毒だ」と述べ、マスク氏について「幸せな人」だとは思わないと付け加えた。

アルトマン氏、マスク氏はオープンAIの「進展遅らせようとしている」 - Bloomberg

この記事を読んで、ふと、ニューリーダーの中でも、イーロン・マスクらの世代は世の中に対する反骨心や負けてたまるかと言った思いがあるが、サム・アルトマンらの世代はそれがない、といった指摘をどこかで読んだ、と思った。

ただどこで読んだのだったか思い出せず、Googleで検索してみたけど見つからない。ChatGPTに聞いてみたら、出所の情報はくれなかったけど、なかなか読ませる解説をしてくれた。思わぬ副産物だけど、共有しておきたい。


確かに、イーロン・マスク(1971年生まれ)やジェフ・ベゾス(1964年生まれ)といった世代の起業家たちは、挑戦的で反骨精神に満ちたエネルギーを持ち、既存の権威や市場に対して「破壊者」としての立場を取ることが多いと言われています。彼らは90年代から2000年代初頭のテクノロジー革命の中で、シリコンバレーの伝統的な価値観(リスクテイク、ディスラプション、自己実現)を体現した存在でした。

一方で、サム・アルトマン(1985年生まれ)やマーク・ザッカーバーグ(1984年生まれ)などの世代は、より協調的で、システムの内側で影響力を持ちつつ、持続可能な形で変化を生み出そうとする傾向があるという指摘があります。例えば、サム・アルトマンはOpenAIの設立にあたり「AIの安全性」や「人類全体への利益」といった倫理的な側面を前面に出しており、これはマスクやベゾスの「市場を破壊して勝ち上がる」姿勢とは異なります。

この違いの背景として、いくつかの要因が考えられます。

1. 時代背景

  • マスクらの世代は、90年代~2000年代初頭のドットコムバブルや金融危機などを経験し、既存の産業構造に対する不信感を強く持っていた。

  • アルトマンらの世代は、シリコンバレーのエコシステムが成熟し、既に巨大企業がテクノロジー産業を支配する時代に育った。そのため、ゼロから破壊するのではなく、協調しながら影響を与えるアプローチを取る。

2. 経営スタイルの変化

  • マスクやベゾスは「カリスマ的リーダーシップ」を重視し、トップダウンでビジョンを押し通すタイプ。

  • アルトマンやザッカーバーグは「組織としての影響力」を強調し、パートナーシップや政策との連携を重視する。

3. 倫理観と社会的責任

  • マスクは「人類を火星に移住させる」「化石燃料から脱却する」など、壮大な目標に向かって突き進むスタイル。

  • アルトマンは「AIが人類に利益をもたらすかどうか」「技術の規制と民主的なコントロール」といった、より慎重でシステム内部からの改革を志向。

このように、世代間でアプローチの違いはありますが、「反骨心がない」というよりは、「戦う対象が変わった」と言えるかもしれません。マスクらの世代は「既存の産業・市場」に対して反発したのに対し、アルトマンらの世代は「技術が社会に与える影響」そのものを考慮しながら動いている、というのがポイントでしょう。


TwitterがXに変わって、もっとも大きな変化は「モノ言うオーナー」がすべてを決めているという印象だろう。それまでのTwitter経営陣は、利用者コミュニティや後期は出稿者コミュニティなどの意向を伺いつつ、開発と運用を専らにするサーバント・オーナーシップとでも呼びたいスタンスだった。一方のマーク・ザッカーバーグも、Facebookの顔としての姿は徐々に潜め、気がついたら小さなチームを率いてThreadsを開発してたりした。そういえば、本邦ではmixiの笠原氏が、やはりあまり目立たなくなった後で、小さなチームを率いてmixi2を開発していた。それだけに、マスク氏がTwitterを買収してXと改称したことをはじめ大ナタを振るっていった姿は、あらためてディスラプターの印象を焼き付けた。

いま、ニューリーダーとかテクノリバタリアンとか呼ばれる人たちも、決して同質じゃない。世代論でくくるのも雑ではあるけど、しかし変化の激しいVUCAの時代で、彼らがそれぞれ世に出てきた時の環境が大きく違ったのは確かだろう。アルトマン氏の「気の毒だ」「『幸せな人』とは思わない」などの評は、揶揄や攻撃の意図はなく、ただ隣人を思いやるように素直な心情がこぼれ出たもののように思えた。それぐらい、本当に価値観が違ってて、噛み合いもしない気がした。

いいなと思ったら応援しよう!