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マイルス・デイヴィス「枯葉」は、何を歌う
キャノンボール・アダレイ 『Somethin' Else』
録音:1958年3月 Van Gelder Studio (Hackensack)
L:Blue Note NY:Alfred Lion
このアルバム、「ジャズの名盤50」とか、「このジャズを聴け」などという時に、必ず出てくる。マイルスの名演はあるし、ジャケットデザインもリード・マイルスが、これ以上ないほど、完璧なスタイリッシュさで完成させている。ジャズを語る時に欠かせない、ジャズファンにとっては忘れられない作品になっている。
自分としても、通常盤の他に、ルディ・ヴァン・ゲルダー盤とか、SHM-CDなど、違ったヴァージョンを見かけると、入手して聴いている。
『Somethin' Else』の違和感
だが、何度か聴いていくうちに、最初は小さかった違和感が、どんどん大きくなり、拭いされなくなった。
それは「マイルスとキャノンボール・アダレイが、まったく違った音楽を演っている」から。その理由は簡単で、名目上はキャノンボール・アダレイのリーダー作だが、実質はマイルス・デイヴィスが取り仕切っている。成立の土台が、ギクシャクしている。
アダレイは「これはお前のリーダー作だ」ということで話を聴いているから、自分の流儀でアルトを吹く。マイルスはアルフレッド・ライオンへの忠義で、このアルバムを企画した人で、クレジットこそサイドマンになっているが、実質的には自分のアルバムだと思っている。選曲も自分が行ったし、バンドメンバーも自分が声をかけたミュージシャンで固めている。誰がリーダーなのか判然としない状態で走っている。
収録曲
1曲目は「枯葉」。これがジャズ史上に名を残す名演。元々は、ピアニストのビル・エヴァンスがマイルスに教えた曲。
トランペット・プレイに関して、特に新しいこと、野心的な試みはしていない。しなくていい。自分のリーダー作じゃないから、気楽に好きに最高のトランペットプレイをすることだけを考えている。
このセッションに参加したアート・ブレイキーも語っている。「あの時は、マイルスから細かな指示は何も出ていない。マイルスの音楽を演奏したというよりは、ブルーノートらしい、くつろいだハードバップをやったという記憶しかない」
ピアノが低音部で、ゴスペル調のうめくようなフレーズを繰り返す。ホーン2本が、ユニゾンでそれに寄り添う。ミュート・トランペットが鋭いアクセントを加え、”うごめき”に戻る。一瞬の間合いの後、マイルスのミュート・トランペットが主旋律を吹き始める。
マイルスは、原曲のメロデイを崩さずに、孤独な散歩者のように吹き進む。これがたまらない。1950年代前半のブルーノートへの吹き込みで完成させた、マイルス独自の音色、サウンドの究極形が、ここで披露される。
マイルスのソロを受けてキャノンボールのソロとなるが、ここでアダレイは彼の代名詞的なファンキー・フィーリングではなく、オーソドックスなサックス・プレイを披露する。
巨漢に近い容姿とキャノンボールというあだ名から、そういう評価が表にはならないが、キャノンボールのトリビュート盤に参加したトム・スコットは、「バード以降、彼の技術水準に近づけたサックス・プレーヤーは、ジョン・コルトレーンとキャノンボール・アダレイしかいない」と語っている。
M2「Love for sale」はコール・ポーター作。ハンク・ジョーンズの流麗なピアノのイントロからの1stソロはマイルス 。ブレイキーのドラムスで区切りを入れて、キャノンボールのスモーキーなソロ。 マイルスは「コード進行がクールだ」とこの曲を気に入っていた。『Somethin' else』をレコーディングした2ヶ月後、自分のバンドで再録音している。
M3はマイルスのアルバム・タイトル曲「Somethin' Else」。のっけからマイルスのトランペットが勢いよく入り、アダレイとのやり取りが始まる。
M4は、キャノンボールの弟ナット・アダレイの曲。メインはキャノンボールで、最初のソロで凛々しく吹きまくる。マイルスのソロは、どこか集中力を欠いているような気配。曲終わりにマイルスのしゃがれ声が入っている。「さぁ、キャノンボール、このあと最後に1曲やれよ」と、親分風を吹かしているよう。
M5「Dancer in the dark」は、最初から最後までキャノンボールがメイン。イントロもなく、彼のアルトが鳴り響く。実に気持ちよさそうに吹く。これが本来の「キャノンボールがリーダーであるバンドの音楽」なのだろう。
というように、アルバムの最初の方と、後半では雰囲気がガラリと変わってしまうし、その二つが水と油のように分離している。
アルバム・タイトル曲をM1に置いて、「Dancer in the dark」のような曲を2、3曲やり、最後に「枯葉」と「Love for sale」にすれば、キャノンボール・アダレイがメインのアルバムになっただろう。
この曲順でも優れたモダン・ジャズのアルバムにはなる。しかしマイルスは「表現とはエゴだ」と言い切る男なので、そんな殊勝なことはしない。それにそんな曲順では、今の『Somethin' Else』 が持っているインパクトは無くなってしまう。
ジャズ愛好者の多くは、このアルバムについて、こんなことを言う。「これは『枯葉』だけを聴いていればいい」「このアルバムは、M1とM2で終わっている」「いつもLPレコードのA面だけを聴いているから、B面はピカピカ」。確かにそれは事実。だが、それほど突出している、人の心を捉えるマイルスの「枯葉」とは、いったい何なのか?。
ライオンとマイルス 男の友情物語
『Somethin' Else』成立の源は、6年前にさかのぼる。この頃のマイルスは重度の麻薬中毒者で、生活は零落し、音楽関係者からはそっぽをむかれていた。ミュージシャンとしての仕事はほとんどない。そうした中で、ブルーノートのプロデューサー、アルフレッド・ライオンは、マイルスを見捨てず、年に1度のレコーディング・セッションを3年間持ち続けた。そんな人は彼の他にいない。スタジオに入ったマイルスは、筋金入りのジャンキーだったとしても、きっちり彼のジャズを演り、その演奏はマイルスの音楽的な業績の中でも際立っている。
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その後、復活したマイルスは、プレスティッジからアルバムを出し、ジャズ・シーンのフロントに戻り、最大手のCBSコロンビアと契約するところまで来た。これ以上のポジションはない。そういう時に、彼が思い出すのは、最低の日々に光をくれたブルーノート、アルフレッド・ライオンへの恩義だった。借りを返すタイミングは、今しかない。自分が表面に立つことはできないが、ブルーノートで1枚、フェアウェルの土産を残しておこうということで、『Somethin' Else』になる。
と言うのがよく語られる経緯だが、本当にそうなのか? だとしたらもっと早くこの話が出ていてもよかった。この時点で、マイルスはコロンビアに数枚のアルバムをレコーディングしている。
ブルーノートへの恩義を感じていたのは事実だろうが、直接的なきっかけは、「枯葉」だったのではないか。なぜなら、このアルバムで、「枯葉」だけが突出しているから。
マイルスはある日、「枯葉」に対する最高のアプローチを思いつく。それはロマンチックで、ノスタルジックな、甘く切ない世界。どこまでも都会的で、これぞマイルス・デイヴィスというバラード演奏。それは彼のミュート・トランペットが歌う「ラブ・ストーリー」。では誰との? 誰への。
愛の証し パリでの甘い生活
マイルスにとっての初の海外旅行は、1949年のパリ国際音楽祭への参加だった。マイルスは、ジャズ史の中の名作のひとつ『クールの誕生』を出した後、ジャズ・ピアニスト、タッド・ダメロンのバンドに加入する。そしてこのバンドが、チャーリー・パーカーやシドニー・べシェらと並んで、パリに呼ばれた。
パリは、黒人への差別もなく、”ジャズ”という新しい時代の音楽を、両手を上げて歓迎した。人種差別に鋭い意識を持っていたマイルスにとって、これは驚きであり、大きな喜びだった。自分たちの音楽が、広く熱く受け入れられていると同時に、肌の色で差別されない環境と社会がそこにあった。
どこに行ってもジャズファンに囲まれ、さまざまな質問を浴び、サインをせがまれた。大スターのような扱い。マイルスは、音楽好きたちに注目されただけでなく、この街ならではの文化的な大物とも時間を共にする。それは哲学者ジャン=ポール・サルトルであり、画家パブロ・ピカソ。そこに、新人のシャンソン歌手、ジュリエット・グレコの姿もあった。
グレコは新人歌手ながら、1947年に「枯葉」を歌い、ヒットさせていた。彼女もアメリカからやってきた”ホットな”ジャズを聞こうと思ったが、チケットが手に入らなかった。知り合いだったボリス・ヴィアンの妻に連れられ、会場に入ることができた。コンサートの後、楽屋にいき、グレコはマイルスに紹介される。「楽屋で彼の横顔を見た途端、私たちは恋に落ちました」。
二人は、言葉の生涯はあったが、マイルスがパリに滞在している間、ずっと一緒に過ごした。マイルスにとってそれまでは、生きる全てが音楽のためだった。だがここで初めて、それと同じかそれ以上に夢中になれる存在を知った。
こういう経験があるマイルスにとって、「枯葉」という曲は、パリでの日々と切り離して考えることはできない。
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アーマッド・ジャマルが、自分のピアノトリオで「枯葉」をレコーディングしたのが1956年。マイルスはすぐにそれを聴いたはず。そこから数年、マイルスの中で何かが結晶し、『Somethin' Else』のレコーディングとなったのだろう。
だが、それは、彼がその時、メインで作り出していた音楽ではなかった。すでにマイルスは『マイルストーン』を発表し、その後のモード・ジャズにつながるアプローチをし始めていたし、ギル・エヴァンスと組んだビッグバンド・ジャズのアルバム(『マイルス・アヘッド』や『ボギーとベス』)もリリースしていた。
でも、なんとかして、自分の頭の中で鳴っている「枯葉」をレコーディングしたい。どうしたらいいか。”なんでも言うことを聞いてくれる相棒、キャノンボールをメインに立てればなんとかなりそうだ”。レコード会社はブルーノートがいい。これで思う通りに1枚、アルバムが作れるだろう。
ということだったのかもしれない。マイルスに真相を聞いても、彼の性格から本音を語るとは思えない。はぐらかされて終わるだろう。
どこか”いびつ”で、だからこそ抗えない魅力で輝く『Somethin' Else』には、こんなことをつらつら考えさせる何かがある。
27年後、繰り返される物語
そしてもうひとつ。
マイルスは1960年代末から、切込隊長となってジャズの電化に向かっていく。これは、その頃、メジャーとなっていたロックやポップスといった新興大衆音楽への挑戦でもあった。そんなことを強く意識して、自分の使命だと思い込むジャズ・ミュージシャンは、彼以外にいなかった。それは時代の流れに棹さす、玉砕必至の突撃でもあった。事実、マイルスは燃え尽きて、1975年に活動停止に追い込まれてしまう。
長い半引退期間を経て、復活したマイルスは、1985年にアルバム『ユア・アンダー・アレスト』を発表する。ここにはシンディ・ローパーが歌った名曲「タイム・アフター・タイム」が収録されている。
ベッドに横になり 時計の音を聞きながら あなたのことを想う
何度でも 何度でも
暖かな夜の温もりがフラッシュバックする
どこかに置いてきたはずなのに
思い出でいっぱいのスーツケースがある
そんなふうに歌われる。マイルスは、かつてフランク・シナトラが歌ったスタンダードをレパートリーとして取り上げ、よく演奏した。その際に彼が重視したのは「歌詞」であり「歌心」だった。
マイルスは、それについてこんなことを話している。
「音符を吹くというのは、オレにとってはまず”良いサウンド”出なけりゃダメなんだ。ビバップの頃は、みんながとにかく速く演奏しようとしていた。俺はやたらスケール(音階)を吹くのは嫌いだった。コードの中から、一番重要な音を拾おうとしていた。
音楽はスタイルがすべてだ。オレはあの頃、シナトラやナット・キング・コールの節回しを聴いて、随分フレージングを勉強した」(『マイルス・デイヴィス自叙伝』)
「タイム・アフター・タイム」は、それ以降、マイルスのほぼすべてのステージで演奏され、静かなバラード曲ではあるが、観客を圧倒するクライマックスになった。
『ユア・アンダー・アレスト』の7曲目に収録されている「タイム・アフター・タイム」を聞くと、イントロはなく、いきなりマイルスの切り裂くようなミュート・トランペットが飛び込んでくる。
この切なさは、どんな鈍感な人でも感じるだろう。バックは静かにレゲエのリズムを刻み、マイルスはメロディを崩さずにたどっていく。このアプローチの仕方は「枯葉」と同じ。
スタジオ録音では、演奏時間は3分38秒だが、ライブでは7分、8分、それ以上にもなる。マイルスの晩年のワールドツアーからの演奏を集めた『Live Around The World』では、9分56秒のパフォーマンスになっている(ただこれだと、あまりに感情のダダ漏れ状態だから、スタジオ録音との間の5分くらいが、ちょうどよく思える)。
ともあれこういう演奏を聴いていると、”ただの即興で、ここまで演奏が深くはならないだろう”と思う。マイルスの「個人的な思い入れ」が、聴くものに伝わる。マイルスは、自分が最も純粋で、燃焼し切った、かつての記憶に帰っている。それは時間が経っても色褪せず、消すことができない。いつでも、何度でも、そのまま蘇る。
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