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イザベル・ファウストの「シューマン・ヴァイオリン・ソナタ集」

このアルバムは、ジャケットが、イザベル・ファウストにしては似つかわしくないB級感があるが、そのことがこのアルバムの良さを表している。

イザベル・ファウストというと、バッハを聴いてもベルクを聴いても、エッジの効いた音色と演奏が独特で個性的。ギドン・クレーメルのような鬼才方向に進んでいる。アグレッシヴで攻撃的。だが、このアルバムでは、彼女のそうした面は表に現れず、繊細なシューマンの世界が広がっている。

『シューマンのピアノ音楽』(マルセル・ボーフィス著)の冒頭には、ロラン・バルトのエッセイ「シューマンを愛す」がある。そこにこう書かれている。「シューマンを弾くのに必要なものは、”ある技術的な無垢”である。だがこの境地に到達する演奏家は、今ではほとんどいない」。
巻末の推奨演奏リストには、「ここに提示した”注目すべき演奏”リストでは、つねに脚光を浴びている”大演奏家”の評価は必ずしも高くない」という文章もある。
彼らが言おうとしているのは、シューマンのピアノ曲を弾く時に必要になるのは、ヴィルトゥオーゾ的な技術の披瀝、強い自己主張ではなく、”透き通っていくような無私”だということ。ファウストのこのアルバムは、そういう理想的なシューマン演奏に近い。意外なほど素直で透明な音楽がそこにある。

使用楽器は、彼女の名を高めた演奏(録音)で使われている1704年製ストラデヴァリウス「スリーピング・ビューティ」だが、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」録音の10年前なので、余計な重圧やポジショニングを意識せずに演奏できたのかもしれない。

シューマン愛好家にとっては、クレーメルがアルゲリッチのピアノで録音した演奏よりも、好ましく、心地よく聴くことができる。


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