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1枚目にして理想的なシューマン

内田光子 シューマン「クライスレリアーナ」「謝肉祭」
録音:1994年 イギリス

『シューマンとロマン主義の時代』の著者マルセル・ブリオンは、「交響的練習曲」についてこう書いた。
「ここでシューマンは、ピアノという言葉の達人であることがはっきりする。彼は、他のどんな人よりも、リストよりも、それどころかショパンよりも、それに精通している」

「クライスレリアーナ」については、「シューマンの性格の全てを、最もはっきり生き生きと表現している楽曲を選ぶとしたら「クライスレリアーナ」をおいてほかにない」と述べている。

「クライスレリアーナ」を作曲している時、シューマンは愛するクララとの交際を父親に激しく反対され、ライプチッヒで孤立無縁になっていた。だから曲の全体的な雰囲気としては悲壮感と憂鬱がみなぎっている。

それに対して「謝肉祭」は当時の恋人、エルネスティーネ・フォン・フリッケンとの交際中に書かれているので、作曲者の心情は、恋する幸福な若い男のそれ。それに加えて、シューマンは音楽上の仲間たち(ダヴィッド同盟)を集め、雑誌の創刊にも成功する。公私ともに絶好調のイケイケムードの中で書かれた「謝肉祭」。その冒頭の曲「Préambule(前口上)」は、当時の彼の充実と歓喜を表している。

上記ブリオンは、この曲について書いている。
「直接的で純粋な愛情の吐露が、この作品の源泉である。問題になっているのは音楽そのものであって、そこを支配しているのは音楽上の創意と歌の自発性だ。作曲者が使いこなせる手段の豊富さ、旋律上の着想の新しさ、幸福な表情と共にあらゆる旋律が流れ出る喜び。この曲こそまさにシューマンだと思わせる貴重な調和の取れた完璧さに達している」

内田光子さんの演奏は、ブリオンの指摘を、そのまま思い出させてくれる。1音1音が、その響きと余韻と、タッチと強さとニュアンスが、シューマン時間にリスナーを連れて行ってくれる。
内田さんの演奏は「謝肉祭」でも、曲の世界を見事に表現し、ラストの「フィリシテ人と闘う「ダヴィッド同盟」の行進」で、有頂天の歓喜を歌い上げている。

これが彼女の最初のシューマン・アルバム。ここで、すでにこういう表現に達していることに驚く。と同時にシューマン偏愛者にとっては大きな喜びでもある。彼女はここからさらに音楽性を深めて、シューマンの魅力的なピアノ独奏曲の世界を、リスナーに届けてくれるようになる。

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