今の日向坂を見ると「トラウマから自由になろうとして一時的に成功するも別のトラウマを抱える」厳しさがある
前回はいまの櫻坂のなにがいいか、ということを考えて「欅坂のトラウマに向き合うから」みたいなことを書いた。
トラウマを持つ子供のそれから、という意味では日向坂もそう。でも、あっちが人気を得ていく流れと現在を見るに「トラウマ持ちの姉を反面教師としようとして、実際に明るく振る舞うことに成功するも、姉の影が見えなくなってから別のトラウマを抱えることになった妹」グループみたいで表の印象よりも悲劇的な感じがある。
欅坂がてちのボロボロな状態に活動が依存してて、運営サイドも密に見てるファンもダメージ受けてたのに対して、日向坂の前身けやき坂がその方向から離れて明るく頑張るしファンに優しい方向になったことで、トラウマシックな部分から離れていく方向が固まってたのかな、と思う。
こうして明るく楽しいイメージでできていくんだけど、例のドキュメンタリー映画2作目で描かれたようなグループ破綻の予兆みたいなものを見てると別のトラウマを抱えているというのを見てしまう。
しかも、そのトラウマは欅坂みたいに「10代の社会に馴染めない苦しみ」をパフォにしちゃうみたいな感じじゃなくて、普通に職場の内部崩壊を表の明るくアットホームですという雰囲気で隠そうとするみたいな、ドメスティックなトラウマを思わせる。しっかりしているように見えた家庭が自己破産しましたというか、離婚や別居直前の夫婦みたいなというか。でも顔を合わせて喋っていると基本明るいししっかりしてるからわかんない。
「絶対的第六感」のMV見た。けっこう言われてることにMVのポップさと楽曲の方向性など一致してないんじゃないかというのは同意。
韓国のTripleSのMVをパクリじゃんとか言われてるけれど、それより一貫性とか抜けた状態で外しをやる意図のほうが気になる。TripleSでもニュジでも「めちゃくちゃクオリティを作り込むKポップだからこそ、その前提からあえてハズす要素を入れて抜けをよくする」からああいうのは意味ある。でも第六感の場合は言い方が悪すぎになっちゃうんだけどハズしのアプローチが「もしや予算少ない問題あるのでは・・・・・」とか思ってはらはらする。
前作ハニデュの「やっぱり明るくいるのが自分なんだ」と頑張るも、根本的な問題が解決されていないから揺り戻しがすぐ来る感じ。ほんと難しすぎる。
なんだかそういう難しさってなんだかんだエースの皆さんに出てる気がする。小坂さんの暗さと新エースしょげこのついつい空回りしてしまう暗さを見ながら、日向坂は日向坂のトラウマをどうしていくんだろうと思う。