世の中に呪詛を垂れ流す人々

どうもこんにちわこんばんわ

つかもとです

最近、というかここ何年か、SNSが身近な存在になってからずっとですが、

こと何かある毎に世の中に対して不満をぶちまける人が後を断ちませんね

不満をぶちまけるのはいいんですよ別に。僕も会社で疲れたとかめっちゃ言ってたし



ただなんか僕が、僕が嫌なのは

他の何かと比べて特定の物、団体を貶める発言

あの人はこんな事をしてて凄いのに、あの人は…

あそこはあんなに良い行いをしてるのに、ウチはなんだ、この体たらくは…

あると思います。そこら中で吐かれている

僕はこれらはどうしようも無い、現状に苦しむ人々の呪詛だと思う

呪詛、呪いの言葉

世の中を変えたいという提言、前向きな意見、ではなく

ただ、現実を呪い、納得出来ないものを呪い、引き摺り下ろそうとする。

僕が呪詛と感じる発言というのは、とにかく強い言葉を使う、こんな事ではもう終わりだ、どうしようもない、死ね

強く、吐き捨てるような、全てを諦めるような言葉

気持ちはわかります。

日々の生活でどうしようもない事、世の中の納得出来ない事、そして自分の過去のトラウマとリンクさせ、敵を作り、攻撃する

そういえば攻撃対象にも特徴がありますね

とんでもなく主語が大きく、誰にでも当てはまりそうな物

自分が直接関わるのが難しい規模の大きな団体、事象

これらは対象がデカ過ぎるため、かえって攻撃される事もない

個人に呪詛をぶつけると必ず反撃されますからね

それはコンクリートの壁をひたすら蹴って、落書きして、ストレス解消してるようなもの

僕がこのような呪詛を振り撒く行為に対して思うのは、

ただただ、見ているのが辛い

呪詛を撒く人は現状に満足してなくて、納得してなくて、何とかしたいと思っている

思っていた

その、どうにもならない想いを、酷くデカい対象にぶつける

その様は滑稽にも映り、主語が大きいので僕の心に刺さる事もあり、鬱陶しくもある

だが、その湧き上がる呪詛の根元を探ると、とても哀れで、可哀想で、辛い

固く丸めて、ぶつけるしか無くなった感情

呪詛を撒いてる人を見かけるたび、どうにかならないのかと、思う

呪詛を振り撒く人が、現状を打破するために、効果的な一手を、何か少しでも前進出来る手立てを掴み取れる事を、僕は願います

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つかもと
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