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芸術を考える
芸術が好きです。
最近、「芸術的に読む」という言葉がしっくりきてます。
それは矛盾の奥にあるんじゃないかと思います。
それは自分で考えることと、閃くことが、大事なんじゃないかと思います。
芸術とは、神の光の溢れるところなんじゃないかと思います。
その光が溢れている、漏れ出ている。
それが芸術、だったらいいなぁという希望を持っています。
言葉も絵も音楽も知恵も
その光を捉えるためにあって、
世界はその光に満ちているから、その真実を現すのが芸術じゃないかと
期待しています。
光を見えなくしているものを引き剥がすためにあるんじゃないか。
そして、どれだけ美しいものを見つけるか、なのかもしれません。
とすると、プログラミングも芸術なのかもしれません
『王様のバイキング』見てて思いました。僕のプログラミングは芸術のかけらもないレベルです。
ヨハネ福音書を読むと、たくさんの「矛盾」に思える表現が出てくる。
「初めにことばがあった。ことばは神であった。」
「わたしが道であり、真理であり、命である。」
「わたしを見たものは神を見たのだ。」
箴言にも、こんな二文が続く。
26:4 愚かな者には、その愚かさにしたがって答えるな。あなたも彼と同じようにならないためだ。
26:5 愚かな者には、その愚かさにしたがって答えよ。そうすれば彼は、自分を知恵のある者と思わないだろう。
でも人は、その矛盾の中に深みを覚えるんだと思うんです。
相反する両方を持つことが本質なのかもしれない。
大きくて小さいものが本物なのかもしれない。
白黒はっきりしているものなんて、世の中にはないのかもしれない。
この矛盾を深いイメージの中でつなげる、それが芸術なのかもしれない。
絵を描く牧師の言葉を覚えている。
「言葉から絵を描き、絵が言葉を深める」
教師の友達が教えられた教師が言っていた言葉を覚えている。
「知性は感性の上にしか育たない」
言葉を深めること。
それが芸術であり、
人格を深めること、なのかもしれん。
芸術家でありたい。芸術家になりたい。