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結婚生活の証(5月しぐわか祈祷会にて)
社会人5年目です。
KGKは2017年卒です。
社会人5年目です。
今日は証ということで、僕らの結婚生活のことをお話したいと思います。
まず、このみことばをシェアしたいです。
箴言27:17
鉄は鉄で研がれ、人はその友人の人格で研がれる(教会共同訳)
箴言12:18
あたかも剣で刺すかのように軽率に語るものがいる。知恵ある人の舌は癒やしを与える。
この言葉が本当に本当に真実だと、結婚生活を通して思うことができました。
恋愛や結婚生活の中で、仕事でもそうですが、神様がやっかいごとを用意してくれていて、
それを乗り越えていく時に、新しいアイデア、考え方をくれるような気がします。
新しいアイデアが与えられる時には毎回、目からウロコが落ちる気がします。
そのようなアイデアによって僕は優しい人に変えられていっているなぁ、と感じています。
それは友恵との結婚生活を通して、日々角が取れて、優しくなれている気がします。
卒業した当時を振り返ると、自分の中から焦りやイラつきが減っているのを感じます。
ふたりの間にある、様々な誤解は喧嘩に繋がります。
またそれを「焦り」と「照れ」が加速させるのです。
個人的にはこの二つが、多くのカップルの敵だと思います。
これはある日の喧嘩の話。
タイトルは「世紀の大発見」
ある時、僕が掃除をしてと頼まれて、「嫌です。」断ったことから大げんかが始まりました。
僕は掃除が嫌いなのです。
ここで多くの人には引かれます笑
そういった女性の頼みを断ってはいけない、怒らせてはいけない、と言うことが男性の中で暗黙のルールみたいになっているかもしれないと感じます。
僕の中にも「絶対怒られるな。。。」と言う気持ちがありました。
でも、我慢する事は結局ふたりのためにならないな、と結構勇気を出して断ったのです。
我慢がつのると、奥さんへの愛に影響を及ぼす可能性がありますから、それでは本末転倒なので勇気を出したのです。
感情は自分の支配下にはないですからね。
ここで奥さんに質問したいですが、家事を断られた事についてどう思いますか?
妻の回答:「やっぱり断りやがった!!」「専業主婦のため、基本自分の仕事とは思ってるのに怒ってしまった」「私の掃除に関して要求するレベルはかなり低い」「かりそめの平和じゃなくて頑張って正直に言ってくれたのはのちに感謝した」
普段から「え~、別にそんなに汚れてないねんから汚れてから掃除すればいいやん」派の僕と、
「できるときに掃除しておきたい」派の妻の対立はありました。
長い長い話し合い、何度も何度も話し合い、
最終的には僕の実家に泊まったときに朝の四時まで話し合い、戦いは終結しました。
解決に至らなかったとき、時間をおいてまた喧嘩するというのはおすすめです。
そしてその時のルールは「何度でも意見を変えていい」「前回言っていることと違うことを言ってもいい」としておくのがオススメです。
何度でも話し合いをやり直せる、と言う安心感が得られるのです。
僕は、(男性はそうなのかな?と予想してますが)一度言ったことを曲げるのはカッコ悪いというなんかよくわからないこだわりがあります。「男に二言はない」みたいな。
それも割と無意識にそれを信念に持っています。やっかいです。
なので、ちゃんと言葉にしてこれはOK、と言っておいたほうがいいなと思っています。
そして世紀の大発見をしたのです。
「僕は掃除をしなくてもいい」タイプと僕自身も思ってたし、妻も思っていました。
実はここに大きな誤解がありました。
実は僕は、「自分の労力を使ってまでは掃除したくないけど、部屋が綺麗になる分には気分はいい」タイプだったのです!!
自覚ありませんでした。
でも、こんな主張は許されないことだと思って無意識的に排除していたのだと思います。
「ふざけるな!」って言われちゃう。。。みたいに思ってそんなことは言えなかったのだと思います。
だけど彼女はずっと、僕が「掃除をするなんて無駄だ」と思っていると思っていたのです。
なので彼女が掃除をするときも、僕にとっては無駄なことをしているのかな~?と寂しさを抱えながら掃除をしてくれていたのです。
だから掃除を断られた時、余計にショックを受け怒りになったのです。
その誤解がまず明らかになりました。
そして、彼女が画期的な解決法を思いつきました。
断るときに
「掃除についてはいいと思うけど、今はやる気が起きないからできない」
と言ってくれたら嫌な気持ちがしない
と、言うのです。
目からウロコでした。
もちろんこれは他の家庭に適応できる解決ではないと思います笑
でも彼女はその言い方だと自分がやってあげようと言う気になると言うのです。
驚く僕に妻は「だって、やりたくてもやる気が起こらないことはあるでしょう?」と、言ってくれました。
「やる気が出ないからやらない」なんて言ったら怒られるじゃないか!と思っていた自分に気づきました。
ここで「やるべきこと」への向き合い方にも違いがあることにも気づけました。
僕はやるべきと思っていることをできるのにやらないなんてありえない!と思っていたのです。
やるべきと思っている=やる、やらない=やるべきでないと思っている、と言う方程式が頭の中に勝手にあったのです。
ここに僕の傷があったのだと気づきました。
自分の怠惰な部分を憎む心です。
そこがバレて怒られることにビクビクしていたのです。
それを隠すために、掃除を無駄と言い張っていたのです。
でも、この喧嘩を通して、やるべきと思っているけどやる気が出ないことは許されることだと知ったのです。
ダメな自分でも嫌われないことを知ったのです。
奥さんが「ダメなままでもいいよ。実はダメな事じゃないよ。」と教えてくれ、その傷が受け入れられ、癒されたのです。
このように自分でも気づいていなかった傷が表に現れてくる。
夫婦生活における喧嘩はそんな役割があります。
傷を認める事は、僕にとってめちゃくちゃ苦痛です。
そもそも「そんな事ない!」って思っていることが多いです。プライドが高いので。
でも共に祈り過ごす中で確実に表されていくのです。
そしてその傷を認め、その傷が癒されていくとき、毎回感動します。
二人で泣きながら祈ったこともあります。
彼女に対して優しい僕でいられないとき、そこには傷があることが多いのです。
この喧嘩を経て、二人の喧嘩はめちゃくちゃ減りました。ちなみに掃除はだいぶ手伝うようになりました。
喧嘩は大変だし疲れるけど、乗り越えた先に神様の計画があると思います。
解ける誤解があり、気づく傷があります。
その傷が癒されていく、良いコミュニケーションを通してそんな奇跡が起こるのです。
そんな結婚生活ができていることを日々神様に感謝です!
証、以上です。ありがとうございました。