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切迫感

学ぶことに終わりはないんだなと改めて感じました。当然なんです。やっぱりそうだよなという感じです。
自分よりも経験値が高い人もいる。若くても自分に持っていないものを持っている人がいる。子どもから学ぶこと(知識的なことも含め)も多いし、誰からも学ぶことができる。
喜多川泰さんの本◯塾を受講しました。
なんて言うんだろう。やっぱりすごいんですよね。自分が手にした「手紙屋」という本の著者という存在から、先生という存在になって、あぁもうこれは自分にとっての師だなと思いました。(すみません) 会場でお会いすれば緊張するし、一挙手一投足に、発せられる言葉を全て吸収しようとする自分が居る。いつか並び立てるようになりたいし、力になれるその時が来たときのために自分を高め続けたい。
講座の中には刺さる言葉がたくさんある。それを自分に置き換えて考えてみる。鼓舞されることがめちゃくちゃ多いし、ど真ん中すぎて苦しいこともある。自分ってちっちゃいなーと思い知らされることも多々ある。でも、それが嫌ではない。この人が言うならば、という感覚が強い。そしてそれが自分の伸び代だったりする。自分では見えない自分に気付かせてくれたり、自分では見たくないことにも向き合おうとする勇気をもらえる。そんな心強い存在。
全く先が見えていなかった大学生の頃に、手に取った一冊の本からここまで繋がるとは。全く想像していなかった。自分の直感を信じて、感覚を信じてきた先が今ここ。これから先も、きっとわからない。こんなところに来るなんて思ってなかったよーって笑っているんだろう。
だから、今はまず目の前を生き切ること。
おれは、逃げることも含めてだけど、切迫感を強く持って歩んできたと思う。そして多分この先もこの切迫感って薄まることって無い。
幕末の志士のように、国、という大きなものを掲げてる訳ではない。でも、一人が、個人として、どう生き切るかということは死ぬまで考えていたい。結果、その範囲が家なのか地域なのか国なのか宇宙なのかはわからないけど。まずは、真正面からガッツリ生き切ること。
壁にぶち当たることもあるだろう。どんなに悩んで病んで一歩も進めなくなったとしても、命だけは燃やしたい。それが、自分の後に続く代に遺せる財産だと思うから。どんな最期を迎えるかなんて、知らない。その時が来るまでは、ひたすらに、愚直に、生きる。それだけ。
31歳。まだまだ。
わからないことも知らないことだらけ。だからこそ、学び続ける。昨日より今日、今日より明日。走ることと一緒。自らエネルギーを満タンにして歩もう。そして、エネルギーを誰かに与えられる存在になろう。
本を読もう。
人から学ぼう。
おれは、生きます。

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