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選択的夫婦別姓について
衆議院で与党が過半数を取れなかっただけでなく、自民党が連立を組む公明党も選択的夫婦別姓導入に賛成しているようだし、自民党内部にも導入に賛成している議員は相当数いるようだ。国連や経団連も選択的夫婦別姓を導入するよう勧告なり提言なりをしていることを考えると、立憲民主党あたりが法律案を提出して成立する、などということも、ありえない話ではないと思う。
国連の勧告は女子差別撤廃条約の観点からのもので、日本では慣習的に「夫婦の姓を男性の姓に合わせる」ことが行われてきており、この慣習を打破するために「選択的夫婦別姓」を導入しようというものだ。日本の慣習の中に「女性差別」が含まれているから、現実的にそれが可能なのだと思う。
「強制的夫婦同姓」それ自体が、女性を差別しているわけではない。夫婦は男女どちらの姓を名乗ってもよいからだ。「選択的夫婦別姓」を導入しないからと言って、それが「女性差別」だとは言えないと考える。「女性差別」をなくしたいのであれば、「日本の慣習」そのものを打破すべきであろう。
一方、経団連の提言は「ビジネスにおいて姓を変えることの損失」を避けるためのものだ。だから、「選択的夫婦別姓導入」が理にかなっている。しかし、それは「旧姓に法的効力を与える」ことによってなされるべきだと私は考える。
もちろん、そうしたとしても、個人の土地や金融資産などの他、パスポートのような外国との関係などに「不便」が残るのだが、それは「国民の管理」を「姓+名」で管理するのではなく、マイナンバーのような「数字」で管理するようにすれば、そういった「不便という損失」も避けることができるのではないか。つまり、経団連が提言すべきは「選択的夫婦別姓」ではなく、「戸籍のデジタル化」である。
そもそも日本において、「法律婚」は「戸籍上の姓を同じくすること」である。「姓」は家族の名前であって、それが選択的であれ、何であれ、別姓を認めることは、「姓による家族の一体感」が失われるのは当然のことだ。
「別居婚」だけでなく「同性婚」すら認められつつある現在、「定義とも言うべき制度」をあえて変える必要があるのだろうか。選択的であれ何であれ「夫婦別姓」は、「夫婦同姓」が進化したものではない。したがって、どちらが新しいとかいうものでもない。「選択的夫婦別姓」を導入することを積極的に賛成する人の主張に、どこか「的外れ」の印象を受けるのは私だけではあるまい。
それでも、どうしても「夫婦別姓」を導入したいというなら、入籍段階で「子の姓」を夫婦のどちらの姓にするか決めておくべきである。どちらの姓が家族の姓であるかがわかるからだ。それによって、「姓による家族の一体感」は守られることになる。
「姓を同じくすることで法律上の家族になること」自体を変えるのは、我が国の社会の仕組みそのものを根本的に変えることにつながりかねない。