つじのよしひろ プロフィール
*2024年8月17日 加筆修正しました。
傘クリエイター / アンベル株式会社 CEO
辻野 義宏
傘メーカー アンベル株式会社CEOであり、商品開発も担当する。傘の専門家であり、傘のスペシャリスト。32年以上に渡り、傘・日傘に関わる活動を行っています。今までの経験で得た、傘・日傘に関する知識や役立つ情報、最新のトピックをnoteでご紹介していきます。
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ご挨拶
はじめまして。傘クリエイターの辻野義宏です。
雨の日や晴れの日を快適に生活していただくために欠かせないのが「傘・日傘」です。私は32年前から傘に携わっており、その中でも特に商品企画や商品開発を得意としております。
現在は自分の会社を起業し2024年で9期目に入りました。
日本で傘は1〜2年に1本は買い替えられていると推定されており、とても身近な商品です。ですが、私は不満がいっぱいでした。使いにくい、すぐに壊れる、重い、濡れる、雨が上がれば途端に邪魔になる、など傘にはネガティブなイメージがつきまといます。
私はそんな傘にまつわるネガティブなイメージを少しでも払拭したく、また昨今のSDG'sやサスティナブル、もったいない、といった考え方に賛同し、少しでも傘ごみを減らしたいというマインドを持っております。
傘ごみを減らすためには、使い捨て感覚で傘を購入するのではなく、「あなたのお気に入りの傘になる」ことが必要であると考え、少し価格が高くても品質がよく、丈夫で長持ちし、機能性が高く快適に使える商品、を世に出さなければならないと考えております。
私はそんな傘や日傘を日々研究開発しており、また少しでも私の会社の製品を知っていただきたいという思いでnoteに執筆しております。
経営・所属している企業・団体・協会
アンベル株式会社 代表取締役 CEO
株式会社シューズセレクション 執行役員 最高開発責任者 CDO
一般社団法人 日本日傘男子協会 理事
その他の活動
傘に関する個人発信をSNSを活用し積極的に行っている関係で、大学生のビジネスコンテストの相談であったり、課題の協力を求められることがあり、すべて無償で対応しています。また海外のMBA(経営学修士)課程の学生に「日本の傘市場について教えてほしい」といった問い合わせなどにも対応しました。
メディア掲載実績
日経ビジネス2021年2月1日号
ゲームチェンジャー「破産」が生んだ世界最軽量
想定外の長編になってしまったので、サクッと知りたい方はここまでの閲覧でよいです。
重要な関係サイト
傘のOEM
多分傘のOEMについて、業界で一番詳しくかつ熱く書かれているページです。
AMVEL UMBRELLA STORE
私の会社のオリジナル商品を販売するD2Cサイト。
アンベルが目指すのは、機能性による差別化です。
「使い捨てから、常備へ」というコンセプトのもと、革新的な機能を追求し続け、折りたたみ傘に特化したブランドを目指します。
アンベルは、お客様の日常生活に寄り添い、その想像力を刺激するような傘づくりを目指します。
雨の日も晴れの日も、お客様の生活をより豊かに、より快適にする価値を創造し続けること。それこそが、アンベルの目指す未来です。
Makuake
定期的に新開発商品をリリースしています。
一般社団法人日本日傘男子協会 理事
2020年3月に設立。
猛暑日が年々増えており男性が躊躇することなく、日傘が差せるような社会を目指す社団法人です。
パーソナルな情報としては、
・1973年生まれ、名古屋市出身、2児の父
・愛車はミニのクロスオーバー
・趣味はルアーフィッシング、ウォーキング、サウナ、読書
といったところです。
傘業界に入る〜2016年の起業に至るまで
ここからは長くなるので、本当に興味のある方だけお読み下さい。
1991年4月
私は高校卒業後、進学せず就職しました。
勉強もできなかったのですが、「早く就職してクルマを買いたい!」という気持ちが強かったです。
就職先はバイト先オーナーから紹介をしていただいた、某大手自動車系列の部品メーカー会社の下請け工場。
当時は慣れない土地での寮生活がとても苦痛でした。
またその年は湾岸戦争勃発、バブル崩壊など、社会情勢が不安定だったのが印象深いです。
結果、慣れない土地での生活がどうしてもイヤで1年ちょっとで退職してしまうのだけど、今思えば某自動車メーカーの「カイゼン」や「QC」を学べたことは、今でも自分の根っこの部分として役立っています。
1992年5月
株式会社マルト長谷川(現在は閉業)へ転職。この会社は創業明治16年の傘の老舗企業。当時は営業を募集しており、営業として中途入社。
営業職として人と接する仕事がしたかったのと、傘という商材なら
『地球上で雨が降る限り、需要がなくならないビジネスだ!』
という考えで傘業界に入りました。
当時はバブル崩壊後というタイミングでもあり、手堅いビジネスに魅力を感じたのだと思います。
「入社して三ヶ月は商品を覚えろ!」という昭和のノリ(当時は昭和なのだけど)で上長や先輩には出荷業務を言い渡され、粛々と値札付け作業を行いました。
しかし前職でのパソコン経験が評価され、当時の常務からは翌期の予算作成を依頼されるなどし、入社早々デスクワークが中心の業務となりました。
そこから試用期間を終え、大手量販店の営業担当補佐となり、週2回ペースで東京へ出張する生活に。
1990年代中盤
営業補佐として紆余曲折し、のちにメイン担当となる。
しかし大手量販店はプライベートブランドブームとライセンスブランドブームでした。当時は傘メーカーではあったものの、企画が弱く問屋色が強かった会社でした。
プライベートブランド商品が受注できるメーカーは、商品知識があり中国の縫製工場とパイプが強い会社でした。
傘生地や傘骨の素材知識、商品企画提案や新規開発ができるのがプライベートブランド生産に参加できる最低条件で、問屋色の強かった当時の会社は当然ながら売上は低迷。しかも急激にではなく徐々に低迷するのは、本当に辛かった。
また当時はライセンスブランドブームでもあったので、売れるブランドを持
っている会社はどんどん売上を伸ばしていました。
*KANGOLが無茶苦茶売れてた時代です
当時の会社はライセンスブランドも持っておらず、本当に売上獲得が難しい状況でした。
そこで会社へ『企画力を強化し、中国縫製工場との直貿易体制を作らないと、XX社さんとの取引がなくなっちゃいますよ!」と提言したら、返す刀で「じゃあ、お前がやれ!」と言われてしまい、流れで商品企画担当に転向となりました。
ただ、これが傘業界に入ってからの転機で、しばらくしてから自分は営業よりも企画立案、商品開発、素材探しをするのが好きなのだと気付いたときでもありました。
1990年代後半
商品開発業務で二ヶ月に一度ペースで、中国、香港、台湾、韓国の工場や展示会へ訪問。海外出張が急激に増えはじめます。
お酒に強くない私は、夜のお付き合いは本当に苦手でした。
さまざまな工場へ訪問し、製造現場を視察。
中国の方の名刺は恐らく1,000枚以上はあると思います。
傘の縫製工場のみならず、パーツや資材、乙仲さんの倉庫へも訪問するなどし、徹底的に中国の製造現場を理解することに努めました。モノを売るよりも、『モノ作りが好き』な自分を深める期間だったと思います。
2002年
この頃には傘の基礎知識を習得し、自分のアイディアを形にしていくことを実施。
2001年頃から世間でブームになっていた、ナノテクノロジーの技術を応用した『強力撥水持続加工』の生地を、台湾の大手生地メーカーと共同開発。
共同開発と言っても私の要望をずらっと並べ、それをメーカーさんに形にしてもらったという程度。しかし当時の私なりに試行錯誤した結晶で、製品化できた時は素直に嬉しかったです。
また当時はデザインやブランド、価格に重点が置かれていた傘という商材に、『機能』という新しい価値軸を打ち出せたのは、自分にとっては大きな変化でした。
2007年夏
傘フレームを開発していく過程で、ドイツ発祥の傘ブランド(オーナーは台湾人で、かつ傘フレーム開発のエンジニアでもある)の社長と知り合い、協力を依頼する。
知り合っていく過程で、そのドイツ発祥傘ブランドの日本総代理にならないか?とオファーがあり契約。
今までは量販店がメインチャネルだった会社でしたが、そのブランド導入をきっかけに、高級雑貨店や専門店の新規取引先が開拓されていきました。
2007年秋
『風に強く壊れにくい折りたたみ傘』を開発。
当時は構造的に、折りたたみ傘に耐風性能を持たせるのは不可能、という考え方が常識で、まさに常識を覆す商品の開発に成功しました。
2008年
上記に書いた『風に強く壊れにくい折りたたみ傘』が日本経済新聞夕刊に掲載をしていただきました。広告ではなく、ライターさんが購入して良かったものとしてのコラム記事でした。
発刊後は会社の電話回線がパンクするほど反響があり、とても驚きました。
当時ECサイトもなく、電話やファックスで注文を受け、手書きで送り状を書いて個人へ対応するという、超アナログな対応を社員で手分けして対応したのを鮮明に覚えています。
今思えば、あれが 『高機能傘』のブレイクスルーだったと思います。
2009年
自動開閉式折りたたみ傘に、世界初の安全機構を搭載した製品を開発しました。一般市場では、自動開閉傘は事故が多いので取り扱いを中止するという得意先が増えている状況でした。
安全機構を搭載した製品は当時のマルト長谷川の独占だったので、取引のないお客様からは「安全機構の付いた自動開閉傘を売ってください」とお願いされることも多く、今までになかった販売チャネルへの開拓が進みました。
2010年
2007年の時に書いた台湾人エンジニアからの紹介で、ニュージーランドの傘ブランドと日本総代理契約。
風速32m/sにも耐える構造の傘で、当時では耐風傘のトップブランドとして扱われました。
単なる代理ではなく、商品開発や品質管理にも参加させていただきました。
*民主党政権となり、超円安の時代に突入
2013年春
有名工業デザイナーと日本総代理契約。
特徴的なデザインで、当時はGoogleのCMやNHKドラマの小道具としても採用されました。
2013年春から夏にかけて
対決バラエティ『ほこ×たて』より出演依頼があり、放送に向けての商品開発を準備。
風 VS 傘の対決第三段で予告編の撮影や放送まで進んだものの、他の対決でやらせが発覚し、同年の秋には番組そのものが打ち切りに。
あまり人前に出るのが得意でない私は、中止になってある意味ほっとしました。
2013年夏
(ポリウレタン製の遮光フィルムとして)台湾製の完全遮光生地を開発。
当時の遮光生地は高額な日本製しかなく、生地は台湾で製造、縫製を中国にすることで、製品コストを大きく下げることに成功しました。
2013年秋
商品部長を拝命。
その二ヶ月後に当時の社長から、他の取締役には話をしていない内々の話として『会社の売却を検討している』と聞かされる。
その当時、社長が体調不良だったこともあり、買収元への資料提供(デューデリジェンス)やヒアリング回答、監査法人への対応など、本業以外の隠密活動が増え、心身ともに疲弊した時期でした。
2013年末から2014年春にかけて
中規模の傘メーカーが2社続けて倒産や廃業に。
旧来型のビジネスモデルはほころびが出ており、危機感を感じた年でもあります。
2014年4月
山一株式会社とM&Aをし子会社となる。
同時に取締役を拝命。
株式会社マルト長谷川の旧役員は総退陣となり、役員を除外すると最上位の肩書があるものとして残った私が新体制の取締役を拝命する流れとなりました。
2014年11月
山一株式会社のもと、株式会社マルト長谷川が逆に旧・山一を吸収合併して山一株式会社に商号変更。
ちょっとややこしいのですが、買収した会社と合併となりました。
2015年
99gの超軽量折りたたみ傘を発表。
年間数万本売る、大ヒット商品に成長。
2016年2月29日
山一株式会社が突然の破産宣言。
結構イケイケな会社だったので、破産と聞いたときは「ウソだろ?」っていう思いしかなく、ただ驚きしかありませんでした。
2016年3月上旬
ここから私は失業者になります。
この3月という時期は、梅雨に向けて生産ピークの時期です。
工場も超繁忙期です。
そのさなかの倒産ということもあり、傘のOEMでの製造委託をしてくれていたお客様より、
「商品をなんとか滞りなく納品してほしい」
「今更他社に転注してもレインシーズンに間に合わない」
と多数の緊急ヘルプ要請を受けます。
倒産して迷惑をかけた負い目もあり、失業中という身でありながら、なんとか納品できるようなスキームを考え始めます。
結果、商品を予定通り輸入するにしても、お客様に納品するとしても、会社という「箱」が必要ということで失業早々に起業を決意。
同業からの転職オファーもありましたが、今思えば起業するのが正しい選択だったと思います。
2016年3月中旬
早速、起業準備に取り掛かります。
失業中ではあったものの、中国やニュージーランドの取引先へ訪問し、引き続きの取引をしてもらえるよう、お願い行脚の旅へ。
この時の取引先の温かい対応は今でも忘れません。
みなさんに言われたことを総じて言うと、
と言われたのが印象的でした。
特に工場関係の方には、少なからず在庫という負債を抱えさせてしまう場合もあり、普通だったら恨まれて終わりだと思います。
この時ほど、一つの仕事を長くやっていて、良かったと感じたことはありません。
2016年4月 アンベル株式会社設立
山一株式会社時代に発注していた商品と顧客を結びつけるため、アンベル社を正式に設立。
会社が倒産するまでは、起業なんて全く考えていませんでした。
以前の会社では役員という立場ではあったものの財務的なことには全く関わってこなかったので、この頃の会社経営スタート時にはかなり戸惑いがありました。
しかし前に進むしかない状況に追い込まれると、人間は何でもできるのです。火事場の馬鹿力ってやつですね。
ここまでが、私の起業までのストーリーです。
ここから先は、起業後のメディア掲載やどんな商品を開発したかを書いていきます。
起業後から2023年6月まで
ここから先はプロフィールというよりかは、会社のこともごちゃ混ぜになっておりますが、ご了承下さい。
2016年9月
超軽量折りたたみ傘 pentagon79 を開発。
当時軽量傘といえば『100g程度』という認識が一般的でしたが、それを大きく上回る軽量化を実現したプロダクトです。
2018年1月
超軽量折りたたみ傘 pentagon72 を開発。
上記で書いた、pentagon79 の更なる軽量を追求したアップデート版です。
またマクアケに初挑戦したプロダクトでもあります。
2019年6月
「傘の達人」としてテレビ出演。
生放送でしたので、かなり緊張しました。
2019年11月
超軽量自動開閉折りたたみ傘 VERYKAL を開発。
構造的に重いと認識されている、自動開閉傘を軽量化した革新的プロダクト。
2020年9月
超軽量折りたたみ傘 pentagon67 を開発。
上記で書いた、pentagon72 の更なる軽量を追求したアップデート版です。
当時60グラム代の傘を開発したのは、アンベルが世界初だと思います。
また朝日新聞さんにも取り上げていただきました。
これまでの活動や、私のモノ作りに対する考え方なども深堀りしていただきました。とても反響の大きかった記事でした。
2021年1月
日経ビジネスのゲームチェンジャーという連載に、アンブレラベンチャーとして掲載をしていただきました。
前職の倒産から起業、成長までのストーリーをわかりやすく書いていただいています。自分的には日経ビジネスに掲載される企業にまでなったことは、大変自信になっています。
2021年7月
株式会社シューズセレクションとの戦略的業務提携を締結。
具体的なことは書けませんが、様々な技術提携などを行っております。
2023年5月
朝日新聞 連載 そばに置きたいに ALTERNA SLIM60 が掲載されました。
なぜか2024年7月現在でも、今だに問い合わせがある商品です。
長々と書いてしまい、申し訳ありませんでした。
また最後までお読みいただき、ありがとうございます。