精霊流し
お盆の過ごし方は、それぞれで違うはず。
長崎の精霊流し。
同じ県内でも、にぎやかさは様々。
市や地区が違うだけでも雰囲気は随分と違う。
6年前の8月14日。
私は、妊娠9か月の頃、今は亡き長女を緊急帝王切開で出産した。
翌日は、8月15日。
入院先は、長崎市内のNICUのある総合病院だったため
ちょうど、長崎市内のにぎやかな精霊流しの音だけが聞こえてきたのを
思い出していた。
帝王切開後は、わりと早く動く方が回復を早めるとの事と、
血栓の予防もなんだろうけど、術後1日が経過してから激痛だけど
徐々に歩いたりなどするようになっていった。
長女は、生まれてすぐからNICUにいて、車椅子ではじめての面会へ向かった。
突然の、帝王切開に加えて、長女にはたくさんの管がつながっていて
とにかく、初めての面会、いや、正確に言えば、手術室でもほんの少し見ているので二度目か。
ただ、しっかり、見たのは、初めてで、長女の置かれている現実を
ただ、申し訳ないと思い涙してしまった。
そんな面会の思い出と、長崎市内の精霊流しの音がセットになっている。
翌年は、小さな精霊船で長女を見送ることになったのだけれども。
精霊流しには、やはり特別な思いがある。
それは、故人を送る家庭それぞれに特別な思いがあると思うのだけど。
正直、私たち夫婦は、精霊流しをするかしないかで悩んでいた。
夫は、しなくても・・・と言う意見。
私は、やっぱり、出したい。
最後の最後まで、迷って、結局、ほぼ私がする!と動いて
小さな精霊船を頼みに行き、そのまま、家族分の家紋入りTシャツを
染物屋さんに発注しにいくという流れをとった。
もう、後戻りはできない!
注文すべきものは、注文した!という感じで。
それでも、やっぱり、小さくても精霊船を出してよかったと
今でも思っている。
初盆の年、娘は小さな船に乗って祖父と帰ってきた。
どんなに願っても、夢にさえ出てきてくれなかった娘は
初盆の年、お盆の入りに、夢に出てきてくれた。
あぁ。帰ってきてくれたんだと、今でもあの夢を覚えている。
そして、15日。
いよいよ、送り出す日だ。
当日は、天気がコロコロ変わってきっと娘がまだ行きたくないって
ごねてると言いながらみんなで笑った。
小さな精霊船には、1歳から2歳の女の子のサイズ90~95サイズのワンピースと髪飾り、お菓子などを載せてあげた。
いよいよ、出発。
息子たちが、笛を使いながら掛け声をかける。
家族で小さな精霊船を担ぎ、海岸まで歩いた。
送り届けたあとは、なんだか、ずっと靄のかかっていた気持ちが
少しだけ晴れた。
我が子を亡くした悲しみは、そう簡単には癒えないことも知った。
でも、少しずつ受け入れていく。
長女は、お腹の中で9か月と生まれてから29日を懸命に生きたのだから。
今年の8月14日で、長女は6歳を迎えた。
そして、9月は七回忌だ。
ふとした時に思う。
もしも、今、長女が生きていたら
どんな女の子になっていた?
どんなことが好きだった?
どんな会話をしていたかな?
ランドセル何色にしていたかな?
長女のことを思うたびに
当たり前のことが当たり前じゃないと感じる。
本当のことを言うと、やっぱり、生きていてほしかった。
成長を、見たかった。
でも、29日間を懸命に生きた、頑張った長女に
これ以上頑張れとは言えなかった。
矛盾しているのかもしれないけど。
私は、今でも、自分の選択が正しかったのか不安になることがある。
それでも、長女が生まれてきてくれて本当にうれしかった。
長女の記録を当時の手帳に記していた。
ふと、読み返すとその時の私の気持ちが蘇ってきて
苦しくなることもある。
それでも、長女との大切な記録。
何かに、記録しておくということは
本当に、後から後から大切だと感じる。
お盆ムードがまだ、しっかり抜けていない世の中。
それでも、季節はしっかりと進み始めているようです。