聡明な元アイドルが自覚的に過去・現在・未来をつなぎ始めた
初めてKyon2のライブを観にいった。
KYOKO KOIZUMI TOUR 2024 ”BALLAD CLASSICS”の千秋楽・山形公演(2024年12月21日、シェルターなんようホール)。Kyon2が出演する演劇を観に劇場に足を運んだことはあったけど、歌手・小泉のライブを観たのは初めてだった。
当日のステージは、千秋楽ならではの昂揚感が横溢したいいムードの楽しいライブでした。今回のライブは、ツアータイトルの通り、Kyon2の数あるレパートリーの中からバラード調の名曲をピックアップして歌っており、観客は最初から最後まで座ってじっくりきくスタイルだった(但し、アンコール曲はディスコ調の最新曲で、Kyon2の煽りでスタンディング!)。
58歳の小泉今日子が、過去の名曲たちに対していまの解釈のもとで新しい光を当てる。ほとんどの曲がオリジナルとは異なるアレンジで演奏されており、過去の再現という雰囲気は全く感じられなかった。Kyon2のボーカルは、リリース当時と比べて表現力にますます磨きがかかっていて、凛とした佇まいで一曲一曲を丁寧に歌い上げていた。
今回の選曲、歌唱、アレンジにはそれぞれに意図が感じられ、そこに思いを巡らせ、味わいながら鑑賞する楽しみがあった。
各曲の歌唱・演奏や曲間のKyon2のMCを通じて、まさに2年前のKKPP公演(30年ぶりに敢行したデビュー40周年のホールツアー)の中でKyon2が発していたコメントと同じメッセージを感じ取ることができた。曰く、「16歳の私が頑張ったから今の私がある。逆もアリで今、56歳の私が頑張ったら16歳の私も報われるし、70歳の私にも感謝されると思う。今の私が一歩前に出ると、過去の私も未来の私も一歩前に出る。時間はタテだけではなくて、ヨコにも広がっている、と思う」。う~ん、深い。
あと印象に残ったこと二つ。一つは、途中の詩の朗読で発した社会的なメッセージ。
今回のライブは、懐メロの合唱とかリズムでノリノリというコンサート的要素が少なくて、珠玉のバラードの世界観を堪能し、歌と演奏による表現をじっくり味わうという演劇性の高いステージだった。途中でKyon2が朗読という表現手法で挟み込んできたのが、空爆で爆死したガザの詩人レファアト・アラリールの詩「もし私が死ななければならないなら」だった。特段の説明なく朗読された詩は、一編の詩として強烈なインパクトを残した(今夏、坂本美雨主催のガザ人道支援を集めるオークションにKyon2は黒猫同盟として参加)。
もう一つは、自身の“世代”に対する強い意識と自覚。
今回のツアーでそれぞれの会場で行っているという、挙手による観客の年代調査。山形会場では、10代~20代はパラパラ、30代~40代で徐々に増えてきて、Kyon2と同年代の50代が圧倒的な最大勢力で、60代~70代も相応、最高は80代の方が一人という幅広い年齢構成だった。
そこでKyon2のMC。「後ろの世代のために獣道を切り拓いて道を作るから、みんなしっかり着いて来いよ!」。
元アイドルであるが故の強い風当たりを承知のうえで、積極的に様々な社会的メッセージを発している背景には、こんな覚悟もあるのだろう。
ということで、音楽と音楽以外の両面から、聡明であること、自覚的であることを通じて、大人の円熟を感じさせてくれるコンサートだった。還暦を目前にしたKyon2は、タテとヨコの時間軸を強烈に意識して、自身のこれからをデザインしている。
同じく還暦を前にした自分(Kyon2の2学年下)としても、深いところで考えさせられ、かつエールを送ってもらったなあと感じる2時間半だった。