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エレカシとkyon2は両立可能か
エレファント・カシマシ(1988年デビュー)との出会いは、1988年頃(大学2年生頃)。きっかけはROCKIN’ON JAPANの2万字インタビューだったのかな。
自宅から大学までの往復3時間の途上、それから広いキャンパスをひとりで彷徨いながら、ウォークマンでひたすらエレカシをきくのが好きだった。初期エレカシ(EPICソニー時代、1988~1994)で最高にお気に入りだったのは、3枚目のアルバム「浮世の夢」(1989年8月)。
エレカシのライブは、1回しか見に行ったことがない。90年9月の大阪サンケイホールのライブ。楽器とメンバー以外は何もない、まるで学園祭のようなステージの上で、とがりまくっていた若かりし頃の宮本浩次は、客に対しても悪態をつき、最後はコップの水を客席に向けてぶちまけて去っていった。熱演に圧倒されました。
当時からまさに“存在がジャンルを作る”という唯一無二のアーティストだった。その後の長い歴史で紆余曲折があったが、今も存在感は当時のままであることが唯一無二であることの何よりの証となっている。
中期エレカシ(PONYキャニオン時代、1996~1999年)の代表作「悲しみの果て」(96年11月)や「今宵の月のように」(97年7月)は名曲だけどちょっと分かりやす過ぎて、初期からのエレカシ・ファンとしては少ししっくりこない面もある。
後期エレカシ(東芝EMI時代、1999~2006年/ユニバーサルシグマ時代、2006年~)以降は、わかりやすさと本来のエレカシらしさが混然一体となった熟成期と感じる。後期以降の名曲・名演として思い出されるのは、ロッキンオンジャパンフェスティバル(2003年8月)で演奏された「歴史前夜」、同年代の宮本浩次からのメッセージが腹に響く「俺たちの明日」(2007年11月)、ストリングス隊を率いてドラマチックにせつなく歌い上げられる名曲「listen to tha music」、エレカシ的応援歌の「桜の花舞い上がる道」(2009年武道館公演ライブ「桜の花舞い上がる武道館」)などがある。
大学4年(1990年)の時、ゼミ会誌のために「エレカシとkyon2は両立可能か」という小文を書いたことがあった。孤独な自我の精神世界を抉るような究極の内省ソングを発表していたエレカシとアイドルというジャンルまでも軽やかに飛び越えて疾走していたkyon2は、古い例えでいうとパラノとスキゾと表現されるごとく、真反対の特徴をもったアーティストだった。
当時の自分は、その両方にどうしようもないくらいひかれていて、自分の中で両者が確かに併存していることについて、「決して矛盾をきたしているわけではなく、むしろそうでないと成熟した大人にはなれないんだぜ」ということを、自分に言い聞かせるように、何かを吹っ切るように宣言した文章でした。