ともだちの話、など
最近考えて、書いておこうと思ったこと。
「かか、いちばんすきなともだちってだれ?」
長男に問われて、ドキッとしました。
こう見えて(どう見えて?)私は至近、たとえばいわゆる子の保育園や小学校つながりやご近所で、腹を割って話せる友達や腹を割らずともそれなりに誘い合ってはしゃげるような友達がいません。こんなに積極的に色々やってそうなのに?とけっこうびっくりされることが多いように感じますが、や、ほんと、どう見えてるのかな?
お隣さんと醤油の貸し借りとか、はおいといて、電車乗り遅れちゃって間に合わないからごめんお迎え一緒にお願いできる!?みたいなやりとりとか、ちょっとお茶でもどう?とか、次のお休みに公園で遊ばない?に憧れはあるのだけど、連絡先をきくのもハードル高い。なんていうか、何話していいの?ってなります。
というのも、私は幼いころから他者と自分との距離の最適がつかめず、幼稚園の頃には先生に虐められ(と、私は感じてた)小学1年生で一時不登校となり、ひとりひとりを慮ることが大変に不得手で、調子に乗って語った言葉で人が傷ついたり引いたり思いもよらぬ方向から攻撃されたりすることが多くて、今もそういうことがよくあります。
息子に「いちばんすきなともだち」と言われて、ぱっと浮かんだその人から好かれている自信も全くありません。
「近さ」に何かこう怖さみたいなものを持ってる節があり、だからなのかわからないのですが、先日参加した芋ほりはとてもとても心地よい場でした。
普段近くにいないけど同じようなことを考えて活動している仲間と、そのつながりで初めましての人たちと。
全員友達でもなく全員知らないでもない、緩いつながり。お客さん過ぎることもなく、切迫感なく、ボーっとしてても許容される感じ。関係性がラフでヒエラルキーがなく「ここにいて大丈夫だよ」といる人みんなの空気の端々から出ている感じ。なんかインクルーシブを感じました。
あとは、近くにいなくてもたまに連絡を取り合うだけで安心する昔からの友人や、少し遠くに住んでいても志を同じくする仲間と話すと心からホッとします。
地域に安心できる繋がりできたらホントにいいなって思うんだけど、それができる人ばかりじゃないし、関係性を無理に構築しようとして苦しさを抱えるくらいなら、近くじゃなくても安心できる場を持てている、私のようなこういう人も居たっていいんだよな、って今は思えます。あと、もしかしたらこれからできるかも。
そう思えたのも、「私を主語にして語る」という場に、出会えたからこそかもしれないな。
蓋をしてた想いを言葉にしてみる、そこにジャッジはなく、あるのはじぶんの中に眠る希望、ありたい姿、本来持っている力。そのことに、他者との対話で気づいていく体験。
だから私は、たとえ小さくても、そういう場をつくってつないでいきたいと思っているんだな、とあらためておもうのでした。
---直近の場づくりはこちら---
▼11/14(日)13:30~15:30@東京 上石神井
親となってはたらくを語ろう
主催:東京西対話サロン
親になることによって、自分の「はたらく」って変わった?変わってない?そもそもなんではたらくの?え、はたらくって何だっけ?今の迷いを放したい人にも、誰かと話したい人にも、話を聴きたい人にも。日常の「すべきこと」から少し離れて、自分のこと「だけ」考えていい時間をともにすごしませんか。誰にもジャッジされず、話す・聴く・わかちあえる場を準備してお待ちしています。今回は久々にリアルの場で、私、進行します。
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