「編集者になろう」と思ったあのころの圧倒的な尊敬を忘れてはいないか。
「編集者になろう」と決めたのは大学2年生の4月でした。松家仁之さんの授業を受けて、編集者に強烈にあこがれてしまったんです。松家先生は新潮社を退職なさったあと、当時ぼくが通っていた大学で特別招聘教授として勤務されていて、エッセイを書く授業、インタビューをして記事にまとめる授業、出版のこれまでとこれからを考える授業などをご担当されていました。
ぼくは運よく出版社に入社して、紆余曲折ありつつもなんとかいま編集者として働いています。営業と兼務しながらではありますが一般書編集部に在籍してもうすぐ丸5年になります(その前に児童書で、すこし絵本の編集もしていました)。
本をつくるのは楽しいし、変わらず熱い気持ちで働いているつもりですが、編集の仕事に対しての新鮮な気持ちがだんだん薄れていっているかもしれない。本への愛情とか、読書への渇望とか、かつて抱いていた気持ちがだんだんピュアなものではなくなってきている気がします。本を読む冊数も減っている……。ぼくは編集者になりたいと思ったあのころの気持ちを忘れてはいないだろうか。
先日、新宿の立ち飲み屋でひとりビールを飲みながら、スマホに書き貯めてある過去のメモをなんとなく見返していました。南伸坊さんの『私のイラストレーション史』を読んだ感想が残っていました。
「最後の言葉」とは、本のあとがきで南さんが和田誠さんのことを書いているところです。
おこがましいけどぼくが松家先生に抱いた気持ちは、この南さんが和田誠さんに抱いた気持ちに似ているかもしれないなと思ったんです。めちゃくちゃおこがましいですが。
松家先生の授業の中で、ぼくがはじめて受けたのはエッセイの授業。松家先生が選んだ5人のエッセイストたちを紹介して、その方々のエッセイをみんなで読んで感想を言い合います。そのエッセイストたちとは伊丹十三、殿山泰司、色川武大、須賀敦子、モンテーニュの5人。恥ずかしながら当時のぼくは誰ひとり知らなかった。松家先生から見た5人それぞれのエッセイの特徴を紹介してくれます。その特徴は、ぼくたちがエッセイを書くときの重要なヒントになっているのでした。
この授業の醍醐味は全4回のエッセイを書く課題。「家族」や「好きなもの、もしくは嫌いなもの」など、毎回テーマが違います。それを締め切りまでに提出して、その中から先生が3本か4本の学生のエッセイを選ぶ。次の授業で選ばれたエッセイが匿名で共有され、みんなで感想を言い合います。
この3本か4本のエッセイの中になんとしても選ばれたいわけです。当時のぼくは文章に技巧を凝らすことがだいじだと思い込んでいて、それはそれはきどった文章を書いていました。そんな姿勢で提出した1本目のエッセイなんて選ばれるわけがない。
選ばれた学生たちのエッセイは悔しいけどおもしろかった。細かいところは忘れちゃいましたが、すくなくとも「見て、わたしの技術!」みたいなエッセイはありませんでした。きっと素直なものが多かったと思います。みんな自由に書いている感じもあったな。なにかにとらわれていない感じ。
それからこれまでのエゴイスティックで自己満足的な考えかたはなるべく捨てて、素直にとにかく一生懸命、課題にとりくみました。大学の授業でいちばんがんばったかもしれない。そのあと、ぼくのエッセイは2本選ばれました。とてもうれしかったからよく覚えています。
自分で読んでも2本目以降のエッセイは1本目のエッセイとは全然ちがう。ファッションにめざめた中学生の「過剰なおしゃれ」から、加減がわかりかけてきた大学生の「節度のあるおしゃれ」に変わったような感じです。(それでもいま読んだらまだまだ相当にカッコつけたエッセイです。)
なんでこんなにがんばれたかというと、純粋に松家先生にあこがれてしまったからです。先生がこれまでやってきたお仕事の話はなにからなにまでおもしろい。たたずまいも、しゃべりかたも、学生とのふれあいかたもスマートだった。圧倒的にあこがれてしまいました。
それから伊丹十三、殿山泰司……紹介してくださった方々のエッセイをブックオフや古本屋で見つけては買って読むような生活になりました。ブックオフの100円文庫コーナーになんど行ったことか。
インタビューの授業もすっごくたのしかった。新潮社の雑誌『考える人』編集長時代のお話を中心に、先生がインタビューしてまとめた記事を読みながら、インタビュー原稿のまとめかたを学んでいきます。村上春樹さんへのロングインタビューの話はとくにしびれました。
(松家先生が書いた編集後記を載せておきます。)
こちらも3回の課題がありました。身近な人、自分とはちがう人、いまいちばんインタビューしたい人、それぞれにインタビューして原稿をつくるというものです。
いちばんインタビューしたい人の課題では、当時だいすきだった椎名誠さん(ぼくの高校の先輩でもある)にインタビューをご依頼することに。テーマを決めて、ご著書やインタビュー記事をたくさん読んで依頼状を書きました。断られてしまったけどマネージャーさんが直接お電話をくださって、それだけでもなんだか前に進めている感じがしました。
エッセイの授業もインタビューの授業も、松家先生は学生たちの課題を出力して、えんぴつでコメントを入れてくださるんです(この漢字はひらがなで書いたほうがいいよ、とか細かいことも)。
最後に提出した課題に「人柄と姿勢がしっかりと自然体で伝わってくるいいインタビューです。原稿のまとめかたもうまいものです。感心しました」と書いてくださったときはめちゃくちゃうれしかったなあ。いやあうれしかった。思い出しただけでもうれしい気持ちになる。ぼくはこれまで3回引っ越ししたけど、えんぴつを入れてもらったぜんぶの原稿をいまもだいじにとってあります。
松家先生に会ってなかったらぼくは出版社に行きたいと思っていなかった。松家先生に会ったから編集者になりたいと思ったんです。こうして書いてみると、当時の気持ちを思い出すものですね。書いてよかった。
昨年、ぼくが編集を担当した『世界で最後の花』という作品の翻訳を村上春樹さんがひきうけてくださいました。本をつくり終わってからすこしだけお目にかかる機会をいただきました。そこで、松家先生の授業を受けて、村上さんとのインタビューのお話を聞いて、いつかお仕事がしたいと思っていましたと村上春樹さんに直接お伝えすることができたのでした。松家先生にほんのちょびっとだけ、近づけたような気がしました。