見出し画像

日記|0212-0218 ケアだった



2月12日(水) ケアだった

 今日から東畑開人さんの『雨の日の心理学』をオーディブルで聞いているのだけれど、「心のケアはいつも行われている」という話に膝を打った(まじで)。ケアは、何も落ち込んだときだけに行われるわけでなく、個室で話をじっくりと聞くことで行われるわけでもなく、ただ毎日の暮らしの中にある。それは、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、身だしなみを整えたり、歯を磨いたりするセルフケアはもちろん、パートナーを気遣ったり、ご飯の準備をしてもらったり、部屋を暖かくしてもらったり、今日の出来事を話したり。ただそんなことが実はケアになっていて、だから私たちは翌日も歩き出すことができている。

 そんな話を聞いたあとに、妻によって用意されたご飯は、とても暖かかった。今日一日の、妻と息子にあった出来事のあれこれを、じっくりと聞くことができた。東畑さんはいつも、そこらへんにあるケアを掬い上げてくれる。


2月13日(木) どう生きるか?とは

 お昼休みを利用して読み進めていた『暇と退屈の倫理学』を読了する。まじで名著だった。文庫本で500ページある本書の結論は「結局、人間は退屈と付き合いながら生きていくしかない」というものであり、だからこそ「どう生きるか?」という倫理が問われる。本書で國分さん自身が語っているが、この本は結論が重要なわけではなく、その結論に至る道程と、知識が重要であり、著者の國分さんをリーダーに、古今東西の賢人たちの「退屈論」に触れながら、暇と退屈の姿をかたどっていくことが肝要だと感じた。國分さんの筆力もあって、その道程は決して退屈しなかった。

 重要なのは自分の目の前にある「退屈=自由」を消費社会に搾取させず、そして目的の奴隷にもさせないことだ。“今”をしっかりと楽しみながら、時には何かにとりさらわれてみる。真に退屈と向き合うことができれば、真の暇ができる。そこに何を呼び込むかは、自分次第。

 つまるところ、「どう生きるか?」とはすなわち、「暇と退屈をどう生きるか?」ということ。だから本書は「暇と退屈の倫理学」なのだと納得をした。


2月14日(金) 脳内狭窄

 最近、考えるということがどうしてもアホくさく感じてしまう。いや、考えることは好きすぎるくらい好きなのだけれど、自分が考えた末にたどり着いた解は、自分が飛びつきたかった、自分にとって快な解かもしれず、それが真実なわけでないのに、それで納得してきた自分のしょーもなさみたいなものを感じてしまっている。現実はトライアンドエラーで、何事も考えては行動して失敗して、考えては行動して成功して、の繰り返しなのだろうとは思うのだけれど、考えるためのハコである自分の脳内自体がそもそも狭窄しているような気がしてならない。だから今は、考えないということを実践してしまっている。考えるより、感じるほうが強くなってしまっているのかも。


2月15日(土) 『敵』

 『敵』。面白かった。終始モノクロで描かれる手法は、作品にとても合っていると思った。主人公の渡辺儀助は一人暮らし。きたるXデー(寿命)に向かって、貯金残高を計算し、ご飯を自分で作り、たまには友人と酒を飲み、それなりに丁寧な暮らしをしているように見える。だが、「敵がくる」というメールが届いてから、彼の生活はどんどんおかしくなっていく。

 「敵」とはなんだろう? 私は「欲」だと思った。妻に会いたい欲、誰かと一緒にいたい欲、教え子と寝たい欲、何もかもが暴露されてほしい欲、誰かに頼りにされたいという欲、隣人がうるさくて早く死んでほしいという欲、本当は寂しくて早く死にたいという欲、欲があることを認めたいという欲……。

 彼は自分自身を「真摯」で「誠実」で「真面目」だと勘違いしているがゆえに、これらの欲に襲われる。欲は次々と襲ってきて、彼に欲を認めさせようとする。もしかすると、本当の敵とは「自分自身」だったのかもしれない。欲を認めず、跳ね除けようとする自分自身が敵だったのかもしれない。そう思えば、彼の余生そのものがまるで夢のようで、だから色彩を持たなかったのかもしれない。


2月16日(日) 循環

 7時30分起床。息子もそれくらいの時間に起きる。息子の中に漂う時間経過もだいぶと掴めてきて、今は息子のための時間! と割り切って思いっきり遊ぶ。消防署が公園の近くにあって、たまたまイベントで空いており、消防車を模した遊具で遊ぶ。無線機の玩具もあり、それで救助要請をしていた。「かじです! かじです! はいはーい! いまいきますねー!」。たぶんギリ消火に間に合わない。

 午後からは銭湯へ。相変わらず龍や虎を背にしたおっちゃんが多い。あとはマッチョ。息子は龍や虎が書いてある人間にあまり興味はないようで、風呂ばかり入りたがる。それで良い。

 夜ご飯は焼きそばを作った。適当にソースを混ぜて作ったが、まあまあ美味かったんじゃないか? 妻は仕事帰りにミスドを買ってきてくれた。何やら期間限定の美味しそうなやつ。最近、夫婦関係は悪くない、と思う。よい感じに回っている気がする。気がするだけかもしらんけど。互いのケアがうまく循環していたら嬉しい。


2月17日(月) 逆恨み

 晩御飯はマクドナルド。仕事終わりに家族3人で歩いて買いに行く。私たちに挟まれる息子は、心なしかいつもの1.5倍はテンションが高い。正直鬱陶しいんだけど、この鬱陶しさも今だけだと思うと、眉をひそめながらもニヤリとしている。期間限定の「バーベキュー&肉厚ビーフバーガー」を頼んだのだけれど、肉厚ビーフが一枚しか入っていなくて、とても薄々のハンバーガーだった。あのマクドナルドめ!またやりやがった! と思ったが、宣材写真をよぉく見ると、ビーフだと思っていた部分が実は茶色のソースで、肉厚ビーフは一枚で良かったことが判定した。ただの見間違えの逆恨み。誰にもバレてないけど、恥ずい。

2枚には…見えないか…


2月18日(火) 消極的な理由

 夜は、よく読書会をする友人とスタエフの録音を行った。今日は朝井リョウさんの『生殖記』を使っての読書トークだった。この小説は、共同体の成長・維持・貢献みたいな思想が、全て生殖からきており、だからその生殖に寄与しない者たちは共同体からはみ出された感覚に陥るのではないか、という小説だった。自分の中で、全ての事柄が生殖に起因するのかが疑問で、今日はそれを放ってみたのだけれど、思った以上に難問で、互いにうーんうーんと悩んでしまった。

 正味なところ、今日はこの本の話が楽しかったと言うよりも、本を介することで互いの視点の違いが明らかになったのが楽しかった。自分が思っていたよりも、自分が他人に感情移入しようとしていたことに気づかされた。「社会も人間も変わっていくし、しゃあないやん」と思いつつも、じゃあそこにいる当事者たちの心情はどうなっているのだろう? と考えてしまう。

 じゃあ、それは優しいからかと言えば、そうではないと思う。あくまで自分が傷つきたくなくて、傷つけたくないから。わからない状態でいる自分が不安定だから、という消極的な理由からだと思う。


#雨の日の心理学
#暇と退屈の倫理学
#生殖記
#ケア

いいなと思ったら応援しよう!