三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』|読書とはノイズである
映画『花束みたいな恋をした』を下敷きに、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を論考していく一冊。サブカル好きが高じて付き合うようになった麦(菅田将暉)と絹(有村架純)。しかし、社会人となって働くようになってから、麦はサブカルから離れていってしまう。そこから着想を得て書かれたのが本作らしい。
日本の読書史を振り返っていく構成がすごい。印刷技術の発展によって本が市民のもとに明け渡されてから、現在に至るまでの日本国民の読書の変遷を描いてくれる。見えてくるのは、本とともにいつもあるのは『資本主義』だということ。いつしか本や教養は、「ビジネスとして有用だから」読まれるようになった。
『花束〜』の麦も、社会人になってから自己啓発書ばかりを読んで、“情報”だけを吸い上げていく。社会人にもなって、文学やサブカルに時間を使うのは「コスパが悪い」から、麦は好きだったサブカルを捨ててしまう。全身が資本主義に浸かってしまい、時間までが資本へと還元されていく。
「読書はノイズである」という一文が心に残る。
自己啓発やYouTubeのまとめ動画はタイパがいい。でも、そこにあるのは「有益か?」だけで判断される“情報”である。しかし、読書には“ノイズ”がある。欲しい情報、得たい情景のみならず、読者のあなたにとっては無駄な文章が書かれている。しかし、
ノイズとは、他者であり社会。本当はアンコトローラブルなものばかりで周りは溢れているのに、わかりやくて心地のよいものばかりを私たちは求めてしまう。コスパやタイパを率先することは、すなわち他者との関係を削ぎ落とすことに似ている。極限までノイズを削ぎ落としていけば、私たちは、関係する人たちまでをも益・無益の判断で削ぎ落とし、また削ぎ落とされていくことだろう。
本書は、働くことを否定しない。けれど、全身全霊ではなくて半身半霊で働こうと提案する。ノイズに触れるためには時間がいるし、せめて半身がいる。自分の人生すべてを資本主義に委ねるのではなく、せめて半身だけは自分のテリトリーとして守ろう、と言う。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』。
日本の読書史を資本主義に触れながら網羅しつつ、ノイズに触れるためのメッセージのこもった、とても面白い本でした。
Instagramもやってます🍀