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【第六回】ウィスパー
宛先なんて要らなかった。
感情が伝わるように感情を伝えることが昔から苦手だ。というか、感情が伝わるように感情を伝えなければならないという意識が昔から低い。
例えば友人がプレゼントをくれた時、「ありがとう」という感情が伝わるような「ありがとう」の表現が間に合わず真顔で受け取ってしまう、みたいな事がざらにある。心は確かに動いているし"嬉しいな"とか"有難いな"とか感情自体は私の中に存在しているのだが、それを認識しながら相手へ伝達するという、普通の人間なら無意識にできるマルチタスクが極端に下手なようなのだ。
「本当はこんなことを思っているのに、また間に合わなかった。」
そんな苦しみの繰り返し。誰かに伝えたもん勝ちのこの世界で負け続けた私は、いつしかその苦しみにも慣れて、感情や思いを誰かに伝えようと頑張ることをやめてしまった。
伝えるつもりのない感情なんてもう用済みだろうと本気で思ったこともあったが、どういうわけか私は一向にそれらを殺す気にはなれなくて。
感情を殺すにも感情が必要だから、と言われればそれまでだが、おそらく心のどこかで「こんな大事なもの殺してたまるかよ」という気持ちが抗っていたのだと思う。
表現には「伝達」と「表出」の側面がある。私にとっては後者の方が重要で、目に見えない感情を言葉に置き換え記録するという作業にこそ生きがいと得手が隠れていたようだ。
例えば豆電球みたいに真っ赤に燃える冬の朝日、踏み出す一歩目がやけに重たい都会の交差点、日に当たると霜のように白く透き通るまつげ......
意識しなければ簡単に通り過ぎてしまうような景色や出来事に対して、そっと優しく、時に粗雑に感情の原石は生まれ来る。私はそれらをまるで自分だけが魅力を分かっているがらくたみたいに見つめ、文字にして愛してきた。
磨かずとも光る宝物から他人事にしてしまいたい掃き溜めまで、ごちゃ混ぜに身を寄せあっているそれは、誰にも読ませられない日記のようだとも言えた。
私の感情に、きっと宛先なんて要らない。
大声も要らない。
誰かに分かってほしい訴えでもないし。
ただ私だけを諭すささやきのままでいいんだ。
そう割り切って、紙の上、液晶の中、心の内など、とにかく表現を留めておくことを選んだのが私という人間だった。
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......でも時々、これをもし声に出して叫んだら世界はどうなるだろうかと考えることがある。
誰に伝えるわけでもなく心の内を明かしたら。
まるでその先の瞬間を待ちわびているかのように、自分が今こんなことを思い感じているんだと解き放ったら。
そんな私にとって、音楽は救いだった。
音楽を聴いていると、かつて感情に追いつけないまま脱落していった言葉たちがゆっくり拾い上げられていく感覚があった。メロディに絡め取られていくとでもいうべきか。私の中で完全に負の沈殿として受け入れ終えたつもりだったものが続々と日の目を見て生命を吹き返すさまに、ああ、本当はずっと報われたかったのだなと気づかされる。
メロディーに乗せて口ずさむ歌詞はまるで自分の口から出た言葉のように思えて、その歌詞が自分とリンクするものであればあるほど、その前向きな"思い込み"は私に多くの希望を与えてくれた。
それらはきっと私だけのために存在するものではないけれど、私だけのためのものではないという事実がむしろ心強かった。
音楽は私に寄り添い、私から離れた後も私を一人にはしないのである。
SONYとSony Musicの協同プロジェクト「PLAY the MUSIC」のポストを見つけたのは10月12日、仙台でキタニタツヤさんの単独公演に初参戦してほくほく顔で帰っていた時のことだった。
キタニタツヤさんと一曲限りの協演が叶うスベシャルライブ「JUST ONE PLAY」のパフォーマーを一般公募するというもので、その課題曲こそが新曲「ウィスパー」だった。
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弱さを抱えた僕たちに
でも孤独を愛せる僕たちに
おまじないのメロディをくれるような
秘密の逃げ場所があるよ
教科書を閉じた僕たちに
悪いことを知りたい僕たちに
自分らしさのリズムをくれるような
小さく響くささやきを
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読んだ時、聴いた時、しばらく動けなかった。
黙って心臓の震えを感じていた。
私が声にもできなかった感情を歌にして鳴らしている人がいる。音楽を通して、その言葉と勇気を自分事にするチャンスをくれる人がいる。
たった19小節の30秒にも満たない音楽、でも確実にひとりの人間を動かす音楽だった。
あなたとなら、この音楽となら、
"僕たち"になれる気がする。
帰った次の日の朝、急いでPCを起動して「ウィスパー」のメロディーと自分で思いついたコーラスラインをMusescoreにカタカタと書き起こし、スマホに向かって自分の歌声を多重録音。読まれるかも分からない応募フォームの備考欄にびっしり思いを綴って演奏動画を提出した。突き動かさるとはこの事、ものすごいスピード感だった。
出演が決まったのはその数日後のことで、運が良かったのか、はたまた有難いことにパフォーマンスが刺さったのか、私はキタニタツヤさんと「JUST ONE PLAY」という舞台で協演する機会を得たのである。
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大きなホールスタジオ。
マイクスタンドの乗った白い円形ステージが一つ。
それをぐるっと囲むように一般公募で選ばれた総勢116名のパフォーマーが並ぶ。ダンス・吹奏楽・軽音樂・合唱……それぞれがそれぞれの方法で「ウィスパー」と向き合った一日、その集大成を前に各自入念にウォーミングアップをしていた。練習で仲良くなった合唱隊の子たちと共に緊張と興奮を分かち合いながら、スタジオ全体をゆっくりと俯瞰する。
……これまで私はずっと、言葉や感情に受け取り先はいらないと割り切ってきたけれど、よくよく振り返ってみると"行き先"はずっと探していたのかもしれないなと思った。
思いを解放するための手段や道のりは人によって様々だというのは承知の上で、それでも自分と同じような音楽愛や感情の出発点を持つ仲間がこの世界にいてほしいという祈り自体はやめたくなかったのかもしれない。
「私だけのもののようで私だけのものではない。」
それが私にとっての音楽への信頼でもあったから。
音楽を聴くだけではいられなかった人たち。ここに集まっている皆はきっとその仲間というやつなんだろう。
ありがとう。この場所を見つけられてよかった。
きっとここは私の、"僕たち"の出発点だ。
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いよいよ本番。
キタニタツヤさんが皆の待つスタジオに登場する。
最初こそ私もファンらしく「本物だ……」とか「今日の衣裳かわいいな、六花亭みたいな小花柄……」と浮足立っていられたが、いざキタニさんが白い円形ステージに立ちスタジオから拍手の余韻すらも消え去ると、途端に緊張と高揚がぐわっと血管を駆け巡った。
静寂の中、黙っていられない心臓が200個余り。
ああ今すごいことが起きている。
もちろんご本人が目の前にいることがもう十分すごいことなのだが、私たちはこれからまさにその"すごいこと"の中に演者として飛び込もうとしているのだ。
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いつも
泣いている君の 目頭を拭って
笑っている君の 今を彩って
いつも
開いた口から溢れそうな弱音を
歌が上書きして、 少し楽になる
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サビを歌いながらふと歌詞にア母音が多いことに気づく。大きく口を開けるたびに重たい果実のように感情がごろっと落っこちてしまいそうでどきりとした。重力に引っ張られるように言葉と涙がどんどん込み上げてくる。
私たちがこんなにも楽しくて苦しくて、こんなにも足りなくて満ちていることを、ただただこの空間に解き放っていたい。誰に伝えようとするでもなく、ただ私たちがそうであることをこの世界の片隅で鳴らしていたい。やけに心が痛く叫んでいた。
メロディーに乗せるだけでどうしてこんなにも届きそうな気がするんだろう。ものすごく自由だった。
いつの間にか私は、"私たち"だった。
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自分にしか聞こえないささやきにこそ本音や揺らがぬ決意が宿っていることがある。今回、キタニさんをはじめとする皆と音楽でそれらを解き放つ機会を得たことで、直接的でないとしてもこのささやきが世界で色と形を得られたような気がした。
私はまぎれもなく音楽に救われてきた人間だ。不器用で、未だに感情との向き合い方は分からないし相手に投げかける言葉もおぼつかないし、揺らぎの多い不安定な生き物だけれど、いつかこの生命を終えるまでに私らしい恩の返し方を見つけたいと思いながら日々を送っている。
音楽、それは生きることを手伝ってくれる存在。
音楽への究極の恩の返し方は、きっと生きることなんだと思う。
音楽がその翼で私たちを救ってくれるように、私たちはその音楽がいつまでも自由に羽ばたける空でありたいし、時にその羽を休める枝でありたい。
それが私の、音楽に捧げる小さなささやきだ。