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メロウベージュに浸かる

今週も盛大に音楽に救われた。

好きなアーティストのグッズ、とりわけ身に着けられるものや持ち運べるものはお守りになるのですね。今まで知らなかったよ。

先週誰かに悪口言われたとかではなく、勝手に自分の孤独を痛感して泣いてしまった。

翌朝、THE BAWDIESのロンTを着た。上からトレーナー着るから見えないんだけど、着てるだけで仕事中もなんとなく機嫌がいい。

後ろはHELP!の手旗信号みたいなやつ

この着ていったグッズのコンセプトが「We  will help you」で、本当に助けてくれたと嬉しくなっちゃった。まじで私にとってアンパンマンみたいなバンドなんだよ~。


休日は「リブ・フォーエバー オアシス30周年特別展」と「SPITZ, NOW! ~ロック大陸の物語展~」をハシゴした。

どっちも超~~~~楽しかったです。

Oasisほんとおもろい。展示でフューチャされている曲を聴きながら見るスタイルで、ところどころにインタビュー映像とか小話が書かれてある。1アルバムにつき1個はロックスター伝説がある。

あと自分が作った曲をあんなに自信満々に「最高」「全部傑作」など言えるの頼もしすぎる。生きる力に満ち溢れた人間を見るのは元気が出る。

ノエルが「Live Forever」を「今までも最高の曲を作ったが、これは俺が初めて書いた傑作だからな」(ニュアンス)って言っていた。もっとロックチューンとかを褒め称えるかと思っていたから意外だった。

あとリアムが「音楽は共感できるのがいいところ」(ニュアンス)と言っていたのも印象的だった。ザ・強者だと思っていたのでこういうこと思うのが意外だった。

「Don’t Look Back In Anger」のジャケ写で使われたカーネーションを押し花にした人、いい仕事するぜ……。私がスタッフだったら1輪持って帰るくらいが関の山だろう。その機転が後に多くの人間を喜ばせたと思うとロマンチック。

かわいい!

「Definitely Maybe」のジャケ写再現と「Live Forever」のPVの宙に浮くリアム再現記念撮影もした。ハズかった!

総じて、私がギャラガー兄弟を勘違いしていたということが分かった。ちゃんと人間味があった。


スピッツの展示ももっとスピッツが好きになるものだった!

ひみつスタジオツアーやラジオ「ロック大陸漫遊記」のこと、アルバムのジャケのあの子たち、ライブのVR体験などワクワクした。

こちらもメンバーのガイドを聞きながら巡るもので情報多くて忙しかった。でも帰ってからも聞けるようになっていて「この続きは4人でワイワイトークボタンから聞けます。閉館時間まで聞けるので後でゆっくり聞けます」(ニュアンス)とメンバーが言ってくれる。優しくて嬉しいね。

ツアー中の楽屋再現にあった鼻セレブがスピッツ仕様でかわいかった。

「スピッツ秘宝館」コーナーすごい楽しかった……!ラジオブースの再現に草野さんの名言?を募集したものが吊られていて、その中の一つに「中学生の頃って来週くらいのことまでしか考えられなかった」とあった。その感覚を覚えていて言葉にできるところが、そりゃみんな好きになるよ~と思った。

あと「また会いましょう」じゃなくて「また会いますよ」って言うんですって……。言葉の魔術師すぎる。嬉しい言葉研究科博士号取得してるでしょ、絶対。またラジオ聞こうかな。

アルバムのジャケ写の実物や再現も楽しかった。「小さな生き物」のグライダー、「醒めない」のモニャモニャ、「見っけ」のミノムシさんがいた。あと「美しい鰭」ジャケ写の再現も、水色のうろこのようできれいだった。

VRは初めて体験した!会期ごとに曲が異なるのだが、私が行った日は「跳べ」でした。「跳べ」の演奏かっこよくて好き~。草野さんの足元に座って見てるような、崎山さんの目の前に立って見てるようなアングルだった。テツヤさんと田村さんはワイヤレスを満喫しにお客さんの近くに行っており、私からは遠かった。


最後にスピッツからの質問コーナーみたいなのあった。今思っていることをなるべくそのまま書きたいと思いすぎて、若干縁起でもないこと書いたのが悔やまれる。「この先何があってもスピッツがくれた曲たちを聴きます」を最も悪い言い方してしまった気がする。何書いてんねん、私😿

会得した教訓を生かし、身に着けられるグッズも買った。靴下とハンカチとカセット。ホクホク!


泣いた日、湯船に浸かった。目の前に「メロウベージュ」のシール。新品のときのまま30年くらいずっと貼ってあり、湯船が何色なのかを私に教え続けている。

人を好きにならないから、抱きしめたい人がいない。なんだかそれが悲しくなった。

久々に会った友達と別れるときにハグをした。自分から愛情を表現する人を目の当たりにして、私は私の愛を誰にもあげることはないんだなと思った。

また別の恋人の話をする友達のその笑顔に、私は何も本当には分かれないんだと悲しくなった。物語の上で、他人事としてしか受け止められない。

「1つ分の陽だまりに2つはちょっと入れない」(バンプの「カルマ」)感覚もある。例えば悩みができたとき私に相談されていたことが、恋人に移行されるとたまらなくなる。醜い嫉妬みたいだ。

人といても孤独というのはこれかと、分かりたくないことが分かってしまった。

あと自分が自分じゃない時間が長い。仕事中の自分が他人のような感覚。この年でも自分を持て余す。

誰のことも好きにならないから自分だけが頼りなのに、自分が頼りにならない。金を稼ぐのも苦手、コミュニケーション能力も低い、夢もない。

音楽と映画が好きな自分は好き。それも学問的にではなく、心から愛して支えてもらっている点で好きという意味で。それだけで今はやってます。

私はただ、私自身として、生きたいだけだ。
私は風景の中で安息したいとは思わない。又、安息し得ない人間である。私はただ人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛す。徹頭徹尾、愛す。そして、私は私自身を発見しなければならないように、私の愛するものを発見しなければならないので、私は堕ちつづけ、そして、私は書きつづけるであろう。神よ。わが青春を愛する心の死に至るまで衰えざらんことを。

坂口安吾「デカダン文学論」

「アケホノ」あったかくて、嬉し泣きしちゃった。

体だけじゃなく心もあったかくしてね!

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