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君は君で大丈夫だから、3章から「よーいスタート」

最近サブスクでいい邦画をいくつか観た。

全然大丈夫

恋人も友達も家族も、人が影響し合って明るくなったり心が楽になったりする存在に便宜上名前がついているだけだなと思った。名前のない固有の関係も、自分と自分以外の相手でコミュニケーションがとれればそれで楽しい。関係の名前に当てはめていくことではなく、関係を作ることを大切にしたいものです。

木村佳乃さんが大声出すシーンで数分ヘラヘラしてしまった。大喜利なら1番最初に思いつくであろう芸人さんが避けるような回答でも、映画になるとめちゃめちゃおもしろいんだよな。これが視覚芸術の強みであり、舞台のお笑いの難しさでもある。その画を描けるのが映画制作の人のすごいところだし、想定外をついてくれるのがお笑いのすごいところ。各方面に偉そうに生意気言ってすみません。

あとこの映画の岡田義徳さん、映画史上最も善良な人物だった。いい人だから素敵だったと言いたいわけではなくて、無理していい人であろうとする人(私)とは大いに異なっていた。自分らしくしてたら、周囲からいい人とされているだけ。自分らしくいることが最大の生きやすさだという持論が強化された。

君が君で君だ

これはあらすじ読んでも予告編見てもよさが伝わらないのでとにかく観ろとしか言えない。最初は気持ちわかんね~とか思うけど、観進めていくうちに分かんないけど分かるって感覚になる。池松壮亮の演技がそうさせる。

姫の警護として盗聴やストーキングをしているのだが、姫と一体化する池松さんまじで目がそっくりなんだよ。海のシーンもよかった。往々にして海は名場面になりがちだが、私の中で相米慎二の『お引越し』と並ぶくらい印象に残った。

松居監督の映画のタイトルが好きだ。『くれなずめ』も好き。この作品は尾崎豊の「僕が僕であるために」を、姫のために伝えるなら……みたいなひねり。だと思う。変わり続ける姫を変わらず見ていた男が伝えたいことが、このタイトルに集約されている。そして監督や制作に携わった人たちが、自分たちにしか作れないものを作ろうという気概をびしびし感じた。

サマーフィルムにのって

これも自分にしか作れない映画を作ろうという制作チームの気概をばしばし感じる。作品内もそういうストーリーな以上、メタ的にもそういう作りにせざるを得ないのだろうなと思う。しっかりなってました!すばらしい!

主人公のハダシが時代劇オタクで、友達と友達でない人たちと映画を作る話です。ハダシの活力が周囲を反照させる様子がグッとくる。主演にぴったりな凛太郎を追いかけるハダシ、後半に自分が映画を作る意味を見失ってしまうハダシを追いかける凛太郎。恋愛映画を撮っている同級生・花鈴に手を差し伸べたことで、「眼中になかった」と言っていた彼女が「勝負しようよ」と好敵手になったり。

ハダシは自分の中の変化に影響され、ラストシーンを悩み抜く。2択で迷うが悩んで悩んでついに決断し、さらにその決断を塗り替える。そのシーンは爽快で、青春映画を馬鹿にするような気持ちを持っていた冒頭のハダシとは明らかに違う。こんな短い期間で人って変わるのか、と10代のまぶしさと伊藤万理華さんのかっこよさに心が動く。


あとは邦画じゃないけど、『憐れみの3章』を映画館で観て来た!おもしろかった!2024年のマイベスト5くらいに入る!


邦題の通り3つの短篇作品を、同じ俳優で撮っている。1篇が終わるたびにクレジットが出るのだけど、その映像がスタイリッシュでかっこよかった。それぞれの章に小題が付いていて➀R.M.Fの死 ②R.M.Fは飛ぶ ③R.M.Fサンドイッチを食べる というなんとも文学的なタイトル。R.M.Fは人の名前です。多分めちゃくちゃ考察されている。

予告にある「愛と支配」に尽きる。これをここまで押し広げて演繹し、かつかっけえ映像で、しかも笑わせてくれるのまじすごい。笑えるって言っていいか分かんないけども。

原題が「Kinds Of Kindness」。ヨルゴス・ランティモス監督の映画は毎回邦題が気になる。そんなに悪い意味じゃなく。『哀れなるものたち』は「Poor Things」でこれは再現度高い。『籠の中の乙女』が「Dogthooth」なのは驚いた記憶がある。多分直訳だとウィットの利いた日本語に出来ないのだろう。翻訳って難しいよね。若干見方が邦題に寄ってしまうのは仕方なくなってしまう。そのこととタイトルの惹きを比較してこうなるのは大いに分かる。翻訳家すごいって話です。

映画おもろい!どんどん観るぜ。



息苦しさが晴れてきた。10月になった。

大学を卒業してから1年間はアルバイトを3つ掛け持ちしていた。クリスマスの日、アルバイトの帰路がとても苦しかった。

街の人々が楽しそうなのに私は一人で働いているという劣等感ではないことだけは分かっていた。だが当時は理由が分からなかった。

陽気そうに見えるもの、賑やかそうに見えるものが、幾組となく彼の心の前を通り過ぎたが、その中で彼の襞を把って、一所に引張って行こうとするものは一つもなかった。彼はただ饗宴に招かれない局外者として、酔う事を禁じられた如くに、又酔う事を免れた人であった。

夏目漱石『門』


何年後かにこの感覚に近いなと思った。言語化されると楽になるのは何なのだろう。私だけじゃないという安心なのだろうか。

これがあるから本を読むし、音楽も聴くし映画も観る。自分を分かってくれる人が身近ではないけど、いた・いるということが救いなのかもしれない。身近にいるに越したことはないが、誰かが読書は孤独な人の行為って言っていたような。太宰?

新しいバイト先は休みの日を自分で決められるので、毎週水曜日を休日にした。

連休はないけど、週に2回「明日は休みだ~」って気持ちが味わえる。至大な甘美だ。

前の仕事より早く帰れるし、誰も私に興味がないことに今は満足。この気持ちが続けばいいけど、それは難しいだろうな。流動性こそ感情だから。

今日は金曜日だしランチ外食するかと思いカフェに入ったが、食べたくないものを食べちゃった。ここまでくるとケーキとかワッフルとか食べればよかったな。甘いものならいつでも食べたいから、今度飯に迷ったら思い切ってパンケーキとか食べることにする。決めましたよぉ~☝

休憩中にノンアルコールビールを飲む人と休憩中にお茶する私は相似だと思う。こうして工夫して生きていくのですね。

いつも記事のタイトルは1週間で思ったことをメモしてつけているけど、今週は何もメモしていなかったからSHISHAMOのツアータイトル風味でお届け。(合ってる?)

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