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これは、私の願いであり、祈りである。

わたしへ

ここは、私のための記録に過ぎない。
この時はこんなことを考えて、こんなことを思っていたんだということを置いておくためのもの、ただそれだけ。

本当は、もう少し前から始めたかったが、なんだかまたずるずるして今日になった。しかし、はじめることができたので、何も問題はない。

前置きはこれぐらいにしよう。
今回は、どうして記録を置いておきたいと思ったのか。これについて、思っていること、考えていることを記しておこう。

私は、常に頭の中で何かしらの物事について考えている。24時間365日、とは言いたくないが、何か作業に集中しているとき以外は意識しないと何かしら考えてしまうのが私だ。考えすぎて疲れることに気づいてから、意識的に「目の前のことに集中すること」「なにも考えない時間をつくること」を努力はしているが、気が付いたら脳内会議は行われている。それぐらい、私の頭の中で、わたしたちは意見を交換し合っている。
しかし、日々の大半の時間を費やして行われている脳内会議には書記が存在しない。ただ意見を言い合っているだけ。もちろんすごく大きな出来事は脳内に大きく貼り出して、目につくようにするけれど、会議の中の大事なことはそれだけじゃない。私の脳はなんでも覚えておけるほどの容量はもっていない。
つまり、せっかくたくさんの時間と労力を使っているのにその成果を忘れてしまうことがものすごくもったいないと気づいた私は、会議の内容を文字にして残しておこうという考えに至ったのだ。

それと、もう一つ。日常はインプットの連続だ。街中をふらふらと散歩をしているだけでたくさんのことを見て、きいて、感じる。家の中でも、本を読んだり、アニメを見たり、音楽を聴いたり、食事をしたり、お風呂に入ったり、とにかく何かを見て、きいて、感じて、体験するごとにインプットされていく感覚がある。それをアウトプットして私の中に空きスペース、つまりは余裕を持たせておかないと、日々のインプットの嵐に耐えられずにどんどん周りをシャットアウトして私のこころのうちだけの世界にこもりきりになってしまう。ここ数年の私はそんな感じで周りとの交流がどんどん苦しくなって新しいものを受け入れられなくなり、自分の世界にこもるようになっている。今はもう、そういう時期だと思うことにしたけれど、私はもっといろんなものに触れたい。だから、アウトプットして私の中に何かが入ってくる余裕をつくろうと、そう思ったのも理由の一つだ。

もう一度断っておくが、ここは読みやすいきれいな文章を置いておく場所ではない。ただ、わたしが思うまま、感じるまま、考えるままに、綴ったものを置いておく場所だ。だから、なにも気にしなくていい。わたしたちのこころのままに、ここを好きに使えばいい。

ただし、私からのお願いもできればきいてほしい。それは、ここに綴ることを続けてほしいということ。別に毎日やってくれとか、そんなことは言わない。わたしにそれは無理だと私は知っているから。それでも、続けてほしいと私は思う。だって、今こうしてキーボードを叩いている時間は頭の中とこころがなんだか整理されていく感覚になっているでしょう?これを忘れないで。ボイスメモを録ることで整理されるならそれもいい。絵を描くことで整理されるならそれもいい。なんでもいい、目の前のことに集中して、わたしのこころをアウトプットする時間を大切にしてほしい。

これもまた、実験である。
私があまり苦しまずにこの世界での日々を過ごしていくための方法を見つけるための、実験である。
だから、苦しい時は苦しいそれを記録してほしい。今後そうなることは控えよう。楽しい時も楽しいそれを記録してほしい。今後も続けていきたい。

この世界は、そう簡単に死なせてくれない。
これは私が今後この世界を生きていくための、覚悟のようなものだ。
ならば、マイペースに、できるかぎり苦しくないよう、努めよう。
絶望の深淵にいようが、希望に満ち溢れていようが、この世界は常に、この世界のままだ。
できるかぎり、私は、わたしを苦しめるものの少ない場所で過ごしてほしいと思うから。

これは、私の願いであり、祈りである。




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