物語の欠片 天鵞絨色の種子篇 5 ネリネの話
-ネリネ-
「セリ、見て。今年の星祭りの衣装。素敵じゃない?」
仕事をしていたセリはゆっくりと顔をあげ、穏やかに微笑んだ。
「ああ、素敵だね。よく似合っている。衣装が華美でないから、錫杖は少し華やかにした方が良いかな」
「手直ししてくれるの?」
「あるいは新しく造るか。今のものは、もうずいぶん長く使っているだろう?」
「だって、気に入っているんだもの」
セリと初めて会ったのは、随分前の星祭りの準備の時だった。さすがに初代の錫杖は使い続けてはいないが、最初にセリに造ってもらったそれを、今も大切に保管してある。
「今のより気に入るものを造ればいい」
造ってみせる、と自信満々に宣言するのではなく、さりげなく提案するように穏やかに話すセリの態度は、仕事だけではなく私生活でも同じで、ネリネは尊敬すると同時に、ついつい甘えてしまうのだ。
「ありがとう。嬉しい」
*****
その年、ネリネは巫女になって初めて、星祭りの星姫に選ばれた。十五歳だった。それはとても名誉なことで、祝いに族長が星姫の舞に使う錫杖を贈ってくれるという。愛想は良くないが腕の良い職人としてセリを紹介され、ネリネは、少し緊張しながらセリの工房を訪れたのだった。
「ネリネと言います」
迎えてくれたセリに挨拶をすると、想像していたのとは少し違い、穏やかな微笑みを向けられた。
「ネリネ殿。話は族長から聞いています。星姫に選ばれたとか。おめでとうございます」
セリは年下のネリネにも丁寧な言葉遣いで接してくれた。確かに口数は多くなく無駄な話はしなかったが、特に愛想がないとは感じなかった。あの族長に比べたら誰だって愛想がないのではないか、と心の中で考えて、思わず吹き出しそうになったネリネは慌てて真面目な表情を作った。
「何か?」
「あ、いえ、えっと、工房はおひとりでやっておられるのですか?」
「ええ。ひとりの方が自分の好きなように時間を使えますから」
「それは少し分かる気がするなあ……あ、分かったようなことを言ってすみません」
「いや。気になさらないでください。巫女は、なかなかひとりになるのは難しいのでは?」
「誰も居ないところでひとりで稽古をするの、結構好きなんです。でもおっしゃるとおり、巫女はひとりでは成り立ちません。それに、誰かと舞うと、ひとりではできないことができたりするので、それはそれで好きです」
「舞が、お好きなのですね」
「唯一の取り柄ですから」
「取り柄はひとつでもあれば十分ですよ」
そんなことを言われたことが無かったので、ネリネは驚いて目を丸くした。セリはその反応を見て余計なことを言ったととったのか、無駄話が過ぎたことを謝り、錫杖の意匠を決めるための紙とペンを取り出してネリネに椅子を勧めた。ネリネは、もう少しセリと話していたかったな、と少し残念に思い、そんなことを思う自分に再び驚いた。
仕事の話になると、セリの表情の温度はやや下がったように感じられた。口調も慎重に、ぽつりぽつりと言葉を選ぶように話す。しかしその分、内側に熱が籠っているのがなんと無く感じられた。依頼人の意図を正確に汲み取ろうとしてか、静かな瞳でじっと見つめられ、ネリネは落ち着かない気持ちになった。
「お茶を淹れましょうか。温かいものと冷たいもの、どちらがよろしいですか?」
しばらくしてからふとセリが言った。
ネリネの方も自分の意図を伝えようとして知らず知らずのうちに熱くなっていたらしい。ひどく喉が渇いていることに気がついた。
「冷たいものを。なんだか喉が渇いちゃった」
緊張を解こうと声を出して、言葉遣いが適切で無かったことに気がついたが、セリは気にしている様子も見せず、少々お待ちください、と言って奥の部屋へ入って行った。あそこがキッチンなのだろうか。
ひとりになると、俄然セリの生活に興味が湧いた。
工房をひとりで営んでいることは分かったが、ここは住居と一体になっているようだ。ひとりで暮らしているのだろうか。そもそも、ネリネよりは年上だと思うが、幾つだろう。それとも落ち着いているから年上に見えるだけで、そんなに変わらないのだろうか? いや、でもひとりで工房を持っているのだ。成人はしているだろう。
セリへの疑問符で頭がいっぱいになっていたネリネは戻ってきたセリが出してくれたお茶を、お礼もそこそこに一気に飲み干し、そして何度目かの驚きを感じた。
「美味しい!」
「そうですか。ありがとうございます」
「いえ、本当に美味しいかった。一気に飲んでしまったのが勿体無いくらい」
「よろしければ、おかわりをどうぞ」
「ええ、是非!」
勢いよく答えたネリネに対して、セリは相変わらず穏やかな笑顔のままで、涼しげなガラスのピッチャーからお茶を注いでくれた。
「ああ、本当に美味しい。あ、何度もごめんなさい」
「難儀な性格でね、仕事もお茶も料理も、好きなものはとことん追求してしまう癖があるのです。知り合いにはよく呆れられます」
セリがほんの少しだけ砕けた口調になったのが嬉しくて、ネリネは思わず質問してしまった。
「おひとりで暮らしていらっしゃるのですか?」
いきなりなんという質問だろうか。口に出してから失礼だと思い、顔が赤くなる。しかし、今更言葉を引っ込めることはできない。
「ええ。両親は農家で、水車小屋の近くに住んでいますが、私は成人する少し前に家を出ました。元々十二の頃から師匠の元に入り浸っていましたしね。この工房は、師匠が譲ってくれたものです。師匠はまだ存命ですが、もう目が悪くなったからと今は仕事を受けていないのです」
「さっき、取り柄はひとつあれば十分とおっしゃったけど、セリさんは沢山取り柄があるじゃないですか」
「取り柄、でしょうか」
「ええ。職人としても素晴らしいと聞いていますし、お茶を入れるのも、お料理もお上手なのですね」
「万人の口に合うか分かりませんが料理は好きです。よろしければ次回の打ち合わせはお昼時にいらしてください」
そんな風にして三度程打ち合わせを重ね、錫杖は完成した。素晴らしい出来だった。
ネリネはこれでもうセリに会うことはないのかと思うと残念な気持ちだったが、セリは錫杖が完成した後、一度だけ稽古を見にきてくれた。自分の造った道具がどのように使われているかを見にきただけだとは思ったが、純粋に嬉しかった。稽古が終わって舞台を降り、セリのもとへ駆け寄ると、セリはひと言「とても素敵な舞でした」とだけ言った。
それきりだった。
星祭り本番も見にきてくれたと信じているが、アヒ族全員が集まるような祭りだ。舞台の上からセリを見つけることはできなかった。
星祭りのネリネの舞は評判になり、その後ネリネは急に有名になった。
言い寄ってくる男が格段に増えた。
十五のネリネはあと二年で成人だ。火鎮めの巫女は成人とほぼ同時に祝言をあげなければならない。それは元々大切な巫女の生活を安定させるためのしきたりだったのだが、現代となっては少し窮屈なものに感じられる。
声を掛けてくれる男たちを無碍にはできないし、中には良い人がいるかもしれないと思い、最初のうち、ネリネは丁寧に皆の相手をした。
巫女としての仕事も引き合いが多くなり、忙しくなった。
星祭りの前に感じていたセリへのほのかな想いは、日々の多忙の中に埋もれてしまっていた。「充実してるみたいだね」と言われる度にもやもやと燻る何かが胸の中に溜まっていくことにうっすらと気がついていたが、少し有名になったからといって甘えるな、と自分を律しているうちに、何が何だか分からなくなってしまった。
そんなある日、久しぶりに稽古場にセリがやってきた。他の巫女の衣装の飾りを届けるためだったのだが、変わらず穏やかなセリの姿を見た途端、ネリネは心の、いや、身体の奥の方から、抑えきれない何かが溢れ出てくるのを感じた。
「セリさん!」
用事を済ました後、すぐに帰ろうとするセリを、ネリネは呼び止めた。セリは微かに驚いた表情を浮かべたが、すぐに「お久しぶりです」と笑顔になった。
「もし時間があったら、少し私の舞を見ていってくれませんか?」
「ええ、喜んで。貴女の舞は火の山だけではない。人の心を動かす舞です」
ネリネはセリの前で舞った。セリのために舞った。自分でも、これまで舞った中で一番の舞だと思った。
*****
「なかなか口説いてくれないから、本当にじれったくって。でも私も若かったなあ」
「またその話かい?」
セリは呆れたようなそぶりも見せず微笑む。
「以前カリンに話したら、素敵なお話ね、だって」
「ネリネがまんざらでもない表情で話すからだよ」
「何、それ。私が惚気てるみたいじゃない。いや、そうなのかな」
「ネリネが誰かに向かって惚気るとしたら、相手がしあわせな時だ。そこは押さえているだろう? だから、いいんじゃないかな」
「セリ、貴方はその場に居ないのに、なんて正確なことを言うのよ」
「ネリネのことを少しでも理解しようと、日々努力しているからだよ」
「私は、お茶や料理と同じってことね?」
「まあ、そうかな。少し次元は違うけれど」
憎らしい気持ちと愛しい気持ちの両方がせめぎ合って苦しい。セリと話していると、よく湧き上がってくる不思議な感情だ。
「今年の星祭り、カリンとレンを招待しようかしら」
憎まれ口を叩く代わりに、ネリネはセリの顔を見ずに呟くように言った。
「良いと思うよ」
「本当?」
「私はずっと、ネリネは、アヒの小さな枠には収まらない人だと思っていた。それが、化身という役割を得て、ああそういうことだったのかと思った。何度かその場に立ち会っただけだけれど、化身のお仲間と居るネリネは、のびのびしているように感じる」
ネリネは、傍の紙に新しい錫杖の案を描き始めていたセリの首に後ろから腕を回した。
「セリは私のことをよぅく解っているのに、私はあまり解っていない気がするのが悔しい」
「そうでもないよ」
「そうなの?」
「ネリネは、私の一番の理解者だと思う。私が難解なんだ。自分でもよく解らない」
「私のことをよぅく知っているセリは、私の機嫌が悪くならないように、気を遣ってくれているのではない?」
「私がそういうことはしないことは知っているだろう?」
「ねぇ、セリ。今日は一緒に夜ご飯を作ろう」
「それは、そろそろ仕事は切り上げて一緒にご飯を作ろう、ということかな」
「正解!」
セリはネリネが一番の理解者だと言ってくれるが、セリが自分のことを理解してくれる度合いに対して自分はセリのことを全然理解していないというのは変わらない。それでも、セリの言うことを信じるということにおいては自分は優れていると思う。その自信だけはあった。案外それはいいことなのではないか、と思ったりもするのだ。
ネリネは、仕事場を片付け始めたセリを手伝いながら、満たされていく自分を感じるのだった。