物語の欠片 天鵞絨色の種子篇 9 ユウガオの話
-ユウガオ-
セダムは律儀にユウガオの元へ「雑談をするために」通っている。こんなところまで真面目なんだな、ということが分かった。最近では薬師室に来る時間まで大体決まっている。今日も、おそらくそろそろだろう。
少し前に、カリンから書簡を貰った。長い付き合いの中で書簡を貰うなどというのは初めてだったから多少驚いたが、カリンに驚かされるのには慣れていたので、そういえばカリンはそういう奴だった、ということを再認識しただけだった。
最初にセダムを雑談に誘ったのはユウガオ自身だったが、カリンのその書簡には、セダムのカリンへの歪んだ憧れを補正するために、なるべくカリンの昔話をしてやって欲しいと書かれてあり、もっと気楽に構えていたユウガオは仕方なく、よりふさわしいであろう話題を探すようになった。
カリンの面白い逸話には事欠かなかったが、下手に英雄視させないように話題を選ぶのには苦労した。なんだかんだ言ってカリンはどんなに騒ぎを起こしたとしても、最終的には誰かの役に立ってしまうからだ。印象に残っていた話はもう随分話してしまった。次はどんな話をしてやろうかと思いながら、ユウガオの思考はカリンと出逢った頃へと戻っていった。
*****
薬師室に型破りな奴が来るという噂を聞いたのは、中級官吏になって少し経ち、医局内含めた城の内部事情が随分と分かり始めた頃だった。この巨大な組織は、たとえ高潔な志を持った有能な人物が一人くらい居たとしても、変革を起こすのは難しいだろうというくらいに硬く凝り固まっている。元より壮大な志など持たないユウガオがちょっとした提案をしたところで、ある一線以上は決して超えることができないというのもよく解った。早々に上級官吏を目指すことは諦め、中級官吏の立ち位置で、好きなように仕事をするのが良いだろうと考え始めていた。最近命じられた受付の業務は嫌いではなかった。
そんな医局に、「型破り」と言われる人物が来る。噂によると、まず年齢が十だという。見習いにしたって若い。せいぜい何処かの我儘貴族の息子で、断れなかった局長が厄介者として薬師室へ押し付けたのだろう程度に考えてはいたが、少々興味が湧いた。
そして、密かに情報収集を図ったところ、なんとまず「息子」ではなく女だという。しかも貴族ではない。訳あって王族に気に入られているのだというが、その理由は定かではない。怪しげな魔術を使うのだという者すら居た。「カリン」という名前を、何処かで聞いたことがあるような気もしたが思い出せなかった。
俄然、面白くなってきた。
その日、わくわくしながら受付の席に座っていたユウガオの前に現れたカリンは、想像以上に変わった奴だった。
明らかにどう扱って良いか困っているように見えた薬師室長は、連れて来るだけ連れて来て、受付に居たユウガオにカリンを押し付けた。
「話をしてあった新人だ。ひとまず薬師室を含めた医局を案内して『常識』を教えてやってくれ」
話をしてあったと言われても、新人が来るということ以外、大した話は聞いていなかった。どのように教育する予定なのかも聞かされていないし、ましてやユウガオが案内係だとも聞いていない。どうせたまたま受付に座っていたユウガオを見て思いついたのだろう。この室長は何かにつけてユウガオに面倒な仕事を押し付けようとする傾向があった。
しかしその時のユウガオは、面倒なことになったと思う気持ちよりも好奇心が優っていた。一応不満そうな顔はしてみたものの、心の中では快諾していた。
「名はカリンというと聞いている」
「はい」
真っ直ぐにユウガオを見返す瞳は落ち着いていて、こんな眼をしている奴は本当に賢いか狂人かどちらかだなと思った。
「歳は?」
「……十歳です」
「本当に十歳なんだな。驚いた」
やや気後れしたように答える姿を見ると、異例であることは認識しているようだ。
「あの、異例だというのは知っています。ですが、士官を申し出た時に、試験に受かったらと言われて……」
「すげぇ。じゃあ、お前、あの試験受かったのか?」
これには本当に驚いた。ユウガオが十四の時にやっとの思いで通った試験だ。育ててくれたじいさんが死んだのが十二の時。もし自分が十で医局に士官していたら、じいさんは医局での治療を受けただろうか。
感心した反応を見せたつもりなのに、カリンの表情は何故か哀しげに見えた。
「どうかしたか?」
「えっと……あの、すみません」
「なんで謝るんだよ」
「すみません。自分が変なのは解っているのです……でも、仕事はします。薬師の仕事は好きなのです。ですから……」
急に年齢相応に不安そうな口調になったカリンに、ユウガオは少し安心した。これは、普通の十歳として接すればいいんじゃないのか? 歳下の扱いには慣れている。
「あのな。俺の話聞いてたか? すげぇって言ったんだぜ?」
「あの……ですから……」カリンは言いかけて、くすりと笑った。仄かに光が射すような、清らかという表現が似合うような微笑みだった。「どうしてでしょう。でも、私のこと、怖がる人が多くて、その……変なのかなと……」
「うん。変だな。変わってる」
「やっぱり……」
「でも、面白いよ」
「え?」
「いや、まださっき会ったばかりだから分からないけどさ。少なくとも今俺はお前と話していて面白い。これ、一応褒め言葉な」少し声を落として続ける。「ここ、つまらない奴が多いんだ」
カリンは目を丸くした。
これは少なくとも狂人ではない。しかし、ただの賢い奴でもない。
「薬師室に来たのは誰かにそう言われたからか? 医師を目指しているのか?」
「いえ、元々薬師希望です。母が薬師で……」
「あ!」
ユウガオの声に、カリンは再び目を丸くする。
「思い出した。カリンって何処かで聞いたと思ったんだよ。王室付きの薬師の娘か」
確か名をイリマと言った。ユウガオが薬師室に来た時には既に王室付きになっていたので直接面識はないが、遠くから眺めたことくらいならばある。娘が居ると聞いていた。同じ時期に子供を持ったことをだしにして王妃に取り入ったのだと陰口を叩かれていたのを聞いたことがあった。確かにそれならば、王族に気に入られているという噂の出所も分かるように思った。
その後、イリマは魔物に殺されたのではなかったか。そうだとすると、十歳のカリンが士官を急いだのも、その辺りに理由があるのかも知れない。
「母を……ご存知なのですね」
カリンの口調がまた一段陰る。母親が薬師室でどんな風に扱われていたか、知っているのだろうか。
「あ、この話題、嫌だったか? 母親は母親、お前はお前だもんな。嫌ならこの話題はもう、無しにしよう」
「あ、いえ。母が……薬師室で私のことをどんな風に話していたのかと思うと……」
「いや、俺の知る限り、薬師室にはあまり来なかったな。王室に入り浸っていた」
母親と、上手くいっていなかったということか。
そこで唐突に思い出した、数年前の面白くもない記憶の場面。
ーーイリマは娘に呪い殺されたそうよ
ーー少し前から魔性の娘だって騒いでいたからな
ーー子供を出世のだしに使うからだ。自業自得だ
医局の人間ともあろう者たちが、人の命を何だと思っているのだろうか。
噂話は話半分で聞くのが正しい。くだらない話の中にも何処かに少しだけ真実が紛れ込んでいることが多い。目の前の娘には明らかに魔性は感じられないが、確かにこの年齢の平均点な人間よりは大人びて感じる。おおかた、年齢より大人びた子供を子供らしくないと感じた母親の感覚が不仲の発端なのだろう。
たかだか医局を案内する小一時間で、ユウガオの頭は既に飽和しそうだった。
「ちょっと、中庭に出ないか?」
カリンがほっとした表情をしたのが、中庭に出ようと言ったからなのか、それとも、ユウガオが母親をよく知らないと言ったからなのか、ユウガオには判断がつかなかった。
中庭に出ると、カリンの表情は明るくなった。それは決して光のせいだけではない。
「薬師の試験に合格したなら、この中庭にある植物くらいは全部分かるな? お前、どれが一番好き?」
戯れに訊いたつもりだった質問へのカリンの回答に、ユウガオは驚かされることになる。カリンは迷わず一本の大きな桂の樹を指差した。
「あの子。あの子が、この中庭で一番古い子です。ここに居る皆を守っている。私のことも、見守って……」そこでカリンははっとしたような表情になり、ユウガオの顔色を伺いながら続けた「見守って……くれているような気がするのです。おかしいでしょうか」
なるほど。こういう部分を母親に否定されてきたわけか。
「いや、別に。あのさ、変わってるって、別に悪いことではないと思うぞ?」
カリンはその言葉を噛み締めるようにユウガオの顔を見詰めた。目が真剣だ。
「善悪や良し悪しではないのかもしれませんが、変わっているものは、人を不安にさせるのではありませんか?」
「おお、なるほど。お前、よく考えてるのな。じゃあ、言い方を変えよう。俺はそういうことで不安になる性質ではないから、俺の前では気にするな。いちいちお前が普通か変わってるかというところで躓いていたら、面倒だし時間の無駄だ。この言い方が嫌だったら申し訳ないが、俺は面白いことが好きなんだ。面白いというのは俺にとっては褒め言葉な。お前は、面白い」
カリンはふわりと再びあの、仄かに光が射すような微笑みを浮かべた。
「嫌ではありません。ユウガオさんが、悪意で言っているのではないことは分かります」
「うん。それならいい。よし、じゃあ中庭に出てきたからこのまま早めに昼飯を食べてしまおう。食堂、昼時になると混むんだ。その後、いよいよ薬師室についてみっちり教えてやるから覚悟しておけ。お前は教え甲斐がありそうだ」
「はい」
*****
「受付って見た目地味な業務なんだよ。ただの受付だって思うだろう?」
訊かれたセダムはどう返して良いか分からないという曖昧な表情で微笑んだ。今日はセダムとも中庭で話をすることにした。
「いや、いいんだ。大抵の奴はそう思ってるのが伝わってくる。でもカリンは違ったんだ」
ーー受付って、すごいですよね。薬師室のことも、外からやってくる人のこともよく知っていないと成り立ちません。特にユウガオさんは、どんな方がいらしても、正確に相手のお話を聞いて適切な対応をしていらっしゃる。尊敬します。
カリンはほんの数日で、薬草の処理室に馴染んだ。カリンが薬草から抽出した薬の元の出来は、当時でさえ他の者とは一線を画していた。室長はこれ幸いと、薬師室の隅にあるその部屋にカリンを常駐させ、ほぼすべての薬草の処理をカリンに任せたのだった。
ユウガオは受付に座っていたから、朝と帰りには必ず顔を合わせた。そんなある日、突然カリンが言ったのだ。薬草の処理室に籠っているくせにどうしてそんなことに気がつくのだろうと思ったが、世辞を言っているようでもなかった。
「カリン殿は、何ものにも惑わされない眼をお持ちなのですね」
「うん。いや、自分に近いこと程見えてないけどな」
「母上のことも、母上だからではなく、ひとりの人間として客観的に見た時に、違和感を感じたからその感覚に従って行動されただけなのですね」
「あ、それそれ。お前やっぱり理解が早いな」
「私はあまりにも周りに囚われ過ぎている。昔も、今も」
「いや。まあ、仕方ない部分もあると思うぞ。特に昔は、まだ小さかっただろう? 自分で生活する術が無かった」
「ユウガオさんもです」
「俺はほら、じいさんとばあさんが良い人だったから」
「そういう意味ではなくて、ユウガオさんも、他に流されない眼をお持ちだということです」
「そうか?」
「局長の息子だからとか、問題を起こしたからということだけで私への態度を変えない」
「いや、まあ、中身を知ってるしなあ」
「嬉しかったんです」
「え?」
「あんな風に叱ってもらったことが無かった。自分の理想に従って私を変えようとせずに、私自身に気がつかせようとするような、あんな叱り方、初めてでした」
「ああ、なるほど」
最初の親は愛想のなかったセダムを切り捨て、今の親であるリリィはセダムを自らの理想の息子に仕立て上げようとしている。自分の意思に反した時に怒りはしても、セダムのことを思って叱るなどということが無かったのだろう。
「もっと早くユウガオさんと出逢いたかったです」
「馬鹿言え。お前、今幾つだよ。まだ十四だろ? 俺の半分も生きてない。これからだよ。確かに十四にしては、随分人生経験積んじまったけどな。それはむしろ強みだぜ? まだ幾らでも、取り戻せる」
「はい。まずは、公平な眼を持てるように頑張ります」
「うん。無闇に反発しなくてもいいが、自分の眼に自信持てよ」
「はい」
ふわりと笑った表情が、昔のカリンと重なる。仄かな光の射すような微笑みは、少し似ているかもしれない。
「明日はさ、お前が家でのツツジ様やリリィ様のこと話せよ。聞いてて絶対楽しいと思うし、お前もちょっと話したほうが楽になるんじゃないか?」
「そう……かも知れません」
「楽しみが増えたな」
ユウガオが笑うと、セダムも明るい表情になった。
まずは楽しいことを知ることから始めればいい。ユウガオはそう思う。セダムに楽しいことをたくさん教えてやろう。そうすれば、自ずと均衡が取れるようになるだろう。これまでは、辛いことが多すぎたのだ。
そのためには自分自身もまだまだ楽しまなければならない。
医局へ戻る道を歩きながら、ユウガオは雲ひとつない空を見上げた。
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