物語の欠片 濡羽色の小夜篇 2
-レン-
冬の訓練は訓練場の雪掻きから始まるのだが、その量が随分と少なくなった。そろそろ、自然に解けるに任せておいても大丈夫かも知れない。
カリンをアグィーラへ送り出したその日、雪掻きを終えた頃に、珍しく土木師長のレンギョウが訓練場へやって来た。飛行台でそれを迎えたシヴァがレンを呼んだので、そちらへと駆け寄る。
「レンギョウさん、おはよう。訓練場に上がって来るなんて珍しいね」
尋ねながらも、レンの心の中には淡い期待があった。
「ああ。まずは改めて、雪解け前に水車二基が無事更新できたことに礼を言いに来たんだ。それから、レンとの約束どおり荒天の時も使える訓練場を造るならば、まずは今の訓練場や訓練の様子を見ておく必要があるだろうと思ってな」
レンの期待通りの回答をくれたレンギョウは、シヴァが声をかけて集まってきた戦士の仲間たちに、改めて水車の更新を手伝ってくれた礼を伝えた。その後、再び自分たちの持ち場や訓練に戻ってゆく戦士たちを見ながら、大したものだ、と眩しそうな表情をする。
「シヴァ。よく考えたらお前、俺なんかよりずっと若いのによくやってるよ」
「いや。土木師たちも良くまとまっているじゃないか。昔の土木師たちは知らないが、レンギョウさんが長い時間をかけて作り上げてきたんだろう?」
「そうでもないのさ」
「ここで話せる話か? それとも……」
シヴァの問いに、レンギョウは肩を揺らして笑い「そんな話をしに来たわけじゃないんだが」と言ったがシヴァは笑わない。
「大事な話だ」
どうやらレンが考えていたほど事は簡単に運ばなさそうだが、それ以上にレンにとってはシヴァとレンギョウの会話が興味深かった。
シヴァが戦士の仲間だけでなく、村のあちらこちらで人々に声をかけていたのは知っていた。しかしそれを遠くから目撃したことはあっても、自分が会話の中に居たことはこれまで無かったのだ。
マカニの村の中には、レンの実家の食堂のようにまったく個人で店を営んでいる者たちも居るが、翼技師や土木師など、集団で仕事をする者たちも居る。翼技師などは工房が幾つか在り、自らが選んだどこかの工房へ弟子入りするのが普通だ。ポプラのように独立してひとりで工房を営む者は少数派だった。しかし、いずれにせよ、自ら仕事をする場所を選べるということでは共通している。
一方、土木師に関しては、土木師の集団は村にひとつだ。土木師長というひとりのリーダーの元、それぞれの仕事をすることになる。たとえ個人で工房を構えたとしても、土木師長の指示なく仕事を請け負うことはない。土木師も翼技師も、共にマカニの根幹を支える職業だが、翼に比して土木師の仕事というのは、個人の好みや体質ではなく、村全体の構造に関わる仕事であるためだろう。
戦士も土木師とほぼ同じ構図だが、戦士の仕事の範囲の方がずっと広く、広義で村全体の治安を維持することを目的としている。土木師やその他の職業の危険な部分や困難な部分を請け負うのも、そのひとつだった。「困難な部分」というのは技術的なことだけでなく、人間関係も含む。だからこそ、その戦士を束ねるリーダーがそのまま次の族長になることが多いのである。
レンはシヴァの前のリーダーのことはよく憶えていない。だから他のリーダーがどのような振る舞いをしていたかは知らないのだが、少なくともシヴァは、相談を持ちかけられるのを待つだけでなく、自分から声をかけるようにしているように見える。それを、レンは素直に凄いと思うのだ。
しかしよく考えてみればそれはシヴァがリーダーになってから身に着けたものなのではなく、元々の性格によるものである気もする。シヴァが、頻繁に訓練場を見に行っていた子供の頃のレンに声をかけてくれたのは、まだシヴァがリーダーになる前だった。
「マカニの土木建築技術は、間違いなく優れたものだと思う」
結局、訓練を見学している体をとって、そのまま会話は続けられた。レンギョウは遠くの的を見ながら続ける。
「あのクコ殿が褒めて下さるんだから間違いない。王国全体の中でも高い水準を保っていると言えるだろう。しかしな、まあ、それほど新しいものは要らないんだ。少なくとも、今のマカニの暮らしを維持していくためにはな」
なるほど、とシヴァが相槌を打つ。
「外から新しい技術が入ってくると、いい意味でも悪い意味でも刺激を受ける者が出てくる」
「そういうことだ」
「知識欲が在ることは良いことではある」
「それもシヴァの言うとおりだ。実際、太陽光発電などは有難い技術だった。それを受け入れるだけならまあいいのだが、中には自らも新しい発明をしたいという者が出てくる。いや、分かってる。それも悪いことばかりではない。しかし……」
レンギョウは大きく息を吐いた。そのまま、何と続けて良いのか分からずにいるようだ。少しの間、三人は黙って他の面々が訓練をする様子を眺めていた。
「レンギョウさんは、この村をどうしたい?」
やがてシヴァが口を開いた。レンギョウは苦笑を浮かべる。
「俺は古い人間だからなあ。このままでいいって思ってしまうんだよ。今の生活が、そのまま続けられればいいって。もちろん不便な所は改善したいが、今はそれほど不便も感じていない。それは、上に立つ人間として、どうなんだろうか」
「人の上に立つ人間だって、思うことは自由だ。それに、上に立つ人間が、全てを決めなければならないわけではない」
シヴァは即答した。
「しかし……」
「もちろん、最終的に決定を下すのは上に立つ人間だが、その判断の元になっているのはその人個人の想いではなく、その他の人間たちの意見であり、その時の状況だろう? リーダーは、その責任を負うだけだ」
「ああ……そう、そうだな。俺は、多分、若い世代との意見の乖離に、自信を失くしているのかもしれない」
「その気持ちも解る」
そこでふと真面目な顔を崩して爽やかに笑ったシヴァが、「俺もレンにリーダーを譲ろうと考えたことがある」と言ったので、話を聞いているだけのつもりだったレンは慌てた。
「レンに一蹴されたけどな」
「シヴァさんっ! あれは……」
しかし時は既に遅く、レンギョウが興味深そうな顔で先を促したので、シヴァはあの時の二人の会話をほとんどそのまま話してしまった。あの時はシヴァに思い留まってもらおうと必死だったが、今改めて聞くと随分と生意気を言ったと思い、恥ずかしかった。
「はっはっは。そりゃいい話を聞いたなあ」
「僕は自分がリーダーになりたくなくて必死だったんだよ。どう考えてもまだリーダーの器じゃない」
「そこだ」
シヴァはレンの頭をくしゃくしゃと撫で、視線はレンギョウへと向けた。
「人の上に立つうえで一番大切なのは覚悟だと思う。その覚悟がない者が、意見ならばいいが、上に立つ者への不満だけを訴えるのは違うんじゃないかな。そして、上に立つ者は最後まで逃げてはならない。あの時俺は、おそらく責任から逃げていた。レンは、俺がやるべきことは逃げることではなく、最後まで責任を全うすることだと気がつかせてくれたんだ」
「覚悟……か」
レンギョウは腕組みをして飛行台の手すりにもたれ、戦士たちの居ないただの青空の方向を見つめた。
「俺が持っているこの気持ちが覚悟なのか……今の立場に固執しているのかが、正直分からない」
「レンギョウさんは、土木師長でなくなったらどうする?」
「土木師の仕事は好きなんだ。他に取り柄が無いとも言うが……しかし、新たな土木師長が立って、その下に俺が居たらやりにくいだろう? そういう意味で、まだ退きたくないと思ってしまう自分も居る」
「あのさ……」
レンは、話に巻き込まれたついでに、あまり意味は無いかなと思いながらもレンギョウに声をかけた。
「僕は多分まだ若い世代に入ると思うんだけど、僕も今のマカニの生活をできるだけ維持したいと思ってる。新しい訓練場ができて、そのために太陽光発電が役に立つっていうのは凄く嬉しいんだけど、でも例えば、電気が潤沢になったからといって、村に街灯を立ててほしくはないと思ってる。若いとか古いとか、あまり関係ないんじゃないのかな」
「ほお。それは初めて聞いたな。いや、レン。お前は間違いなく若い世代だ。俺と意見の食い違う奴らより若い」
「いや、うん。僕の方が変わってるのかもしれないんだけど……」
「お前、マカニの外へ出てみようと思ったことはなかったのか? しょっちゅう出かけてはいるみたいだが」
ない、とレンは間髪入れずに答える。
「もちろんそれは僕が偶々、成人とほぼ同時にアグィーラや他の地方へ行く機会が増えたからかもしれないけど、でも、外を見たからといって外の方が良いと思った事は一度も無いよ。僕は、マカニが好きだ」
「そうか。まあ、一度外を見て、憧れと現実の差を見てみるのもいいのかもしれんな」
「そうだね。あまり無責任なことは言えないんだけど、外を見てみたいっていう人は出かけていけばいいんじゃないかな。個人の生活の充実と、村としての方向性は、また違う気もするし」
「いいこと言うじゃないか、俺もレンの意見に賛成だ。最終的に村としてどこまで新しいものを取り込むのかは考えなければならないし、それを伝えてやらないと若い技師や土木師たちも自らの人生と照らし合わせて考えることができないが、そこは、族長もすでに考えておられると思う」
それを聞いたレンギョウは、そうか、と頷いてようやくすっきりとした笑顔を見せた。
「実はさ、白状すると、新しい訓練場を造るっていうのも、ただレンの技術に感動したからだけでもないんだ。もちろんそれがきっかけだったんだが、比較的大きな仕事があれば、若い奴らも満足するんじゃないかと、そんな思惑もあった」
「あはは。僕は荒天の日でも使える訓練場ができればどちらでも構わないよ。なんなら最新式の訓練場にしてよ。アグィーラ城の訓練場にも負けないような」
「はは。そりゃあいい」
「おいおい、あまり大それたことをやって、マカニ族が良からぬことのために戦力を高めようとしているなんていうおかしな噂が立たないようにしてくれよ」
シヴァがたしなめたが、その顔も笑っていた。訓練場の飛行台にレンギョウの笑い声がひときわ大きく響き渡り、訓練をしていた戦士たちが振り返る。その戦士たちに向かって、レンギョウはひと声叫んだ。
「最高の訓練場を造ってやるから、楽しみに待ってろ!」