物語の欠片 白銀の大鷲篇 6
-レン-
カリンはもう城に居るだろうと思い、レンはアグィーラに着くと真っ直ぐに城へ向かった。カリンが事前に告げてあったのか、門番の戦士に挨拶をするとカリンは姫の部屋に居ると教えてくれた。
王族の住居の在る棟で面会の申請をすると、こちらも事前に知らされていたようで待たされることなく姫の部屋まで案内された。
姫の部屋には姫とカリンの他にローゼルも居た。会うのは五日ぶりなので簡単な挨拶で済ませる。
「止められることなくここまで来られたよ。ありがとう」
「ううん。来てくれてありがとう。マカニはどう?」
「変わらず。あ、この間不便だったからビャクダンさんに新しい矢を造ってもらったんだよ」
レンはそう言ってカリンに先の尖っていない矢を見せる。興味があるのかローゼルも近づいてきた。カリンはひととおり矢を眺めた後、それをローゼルに渡した。そして、城に来てからも警告や妨害が続いているのだということを話してくれた。
「想定内?」
ローゼルから矢を受け取りながらレンは尋ねた。
「今のところはね。でも、私が警告を受ける意味がはっきりとは分からないの。私が姫様に呼ばれたことが気に食わない人が居るのかしら」
「それは居るんじゃない? 何か企んでいる人だってカリンが居れば暴かれる可能性が高まる」
「……やはりそちらかしら」
「他に何があるのさ」
「自分が姫やローゼルに近づきたかった人とか、単に私が気に食わない人とか」
カリンが笑いながら言うのでレンも笑った。
「……まあ、理由が何にせよ、気をつけてよね」
「もちろん」
「ローゼルもね。君が一番嫉妬の的だよ」
「ありがとう」
ローゼルは素直に礼を言った。その表情は思ったほど硬くはなかった。カリンが居ることが功を奏しているのかもしれない。それならば自分が我慢している甲斐があるというものだ。
「でも、それなら僕は尚更マカニに居た方が良さそうだね。これ以上アグィーラの外から姫の傍に居る人間を増やしたら益々助長されるかもしれない」
「うん……」
カリンが申し訳なさそうな顔になったのでレンはカリンの頭に手を置いて、大丈夫だよと言う。
「今日は泊れるの?」
「うん、そのつもり。明日の朝帰る」
カリンはほっとしたような笑顔になった。何をしているのかと訊くと、戴冠式について必要なものをまとめているのだと答えたので、レンは邪魔をしないよう少し離れたところの椅子に腰を下ろした。
姫とローゼルは婚姻の儀を終えたら二人でこの部屋で暮らすのだろうか。それとももう少し広い部屋が与えられるのか。まさか二人は別々の部屋で、ローゼルに部屋が与えられるだけなのか。部屋を見渡しながらそんなことを考えていると、ローゼルから少し外に出ないかと誘われた。
ローゼルから人を誘うなど珍しい。レンはすぐに承諾の返事をした。カリンと姫は笑顔でいってらっしゃいと送り出してくれた。こうして見ていると仲の良い姉妹のようだとレンは思った。
どこに行くのかと思ったら、いつもの図書室前の中庭だった。カリンが城の中で一番好きな場所だ。ローゼルもそのことは知っているはずだ。
ローゼルは迷いなく歩いていき、ベンチに腰掛けた。中庭には他に誰も居ない。レンは隣に腰を下ろして空を見上げた。つい空を見上げるのはレンの癖だ。それが、いざという時にすぐ飛べるようにという無意識の防衛反応なのか、単に空が好きなのかは自分でも分からない。
晴れていたが、城の建物で四角く切り取られた空はやや窮屈な印象を与える。ここに居る自分は籠の中の鳥みたいだ。カリンもここで、マカニの空を恋しく思っただろうか。
「やはり空が気になるものなのか?」
ローゼル口を開いた。隣を見ると、ローゼルも同じように空を見上げていた。
「うん。なんとなく」
「マカニは遠いな」
「飛べば二時限だよ。馬でここから他の所に行くより近い」
「そうか。レンは二時限で来られるのか」
「そう。だから、ローゼルが馬でマカニに来るよりも僕がこちらに来た方が早い。カリンがこの時期こちらに居るのは、まあ妥当なんじゃないかな」
「……すまない」
「僕が譲歩しているのだからしっかりカリンに頼ってよね。これで結局ローゼルがひとりで悩んだら全く意味がない」
レンは笑って言ったが、ローゼルにそういう冗談が通じないことも知っていた。レンは自分の素直な考えをそのまま話しただけだ。
「俺から頼らなくてもカリンにはお見通しだよ。反対は無いけどな。カリンが俺に頼ることはないが、俺はそんな時何もしてやれない」
「そうなの?」
「カリンはレンの前で泣いたことがあるだろう?」
カリンの泣き顔ならば嫌という程見た。レンが人柱に立つ予知夢を見て訓練場で泣いているのを朝一番で見つけるのはいつもレンだった。
「最近は減ったけれど、闇の浄化前はよく見た」
「俺はこの間、ワイで初めてカリンが泣くのを見たんだ」
「それは……城に居たからじゃない? カリンは多分ここじゃ泣けないんだ。城では精一杯自分を作り上げて頑張っている」
「……つまり俺は、城の一部なわけか」
「違う。だってワイでは見たんだろう? 例えばカリンは城の外でも姫の前では泣かないと思う。それに、カリンは僕にすらあまり頼ろうとしない。だから無理矢理ついていくんだ。……と言っても、僕も少し前カリンが相変わらず自分に頼ってくれないとイベリスに管を巻いたことがある。それは俺じゃなくてカリンと話せと諭されたよ」
「それは確かにそうなのかも知れない」
ローゼルはようやく少し笑った。
「ねえ、ローゼル」
「なんだ」
「今度、イベリスと三人で話をしよう」
「三人で?」
「うん。きっとこうして僕と二人で話しているよりもずっとすっきりすると思う」
「カリンが、レンは仲間ができたことを素直に喜んだが、俺は大切な人を増やさないように苦しんだんだと言った。……つい最近まで俺の人生の登場人物は俺とカリンだけだった。あとは風景だったんだ。それを必死に守ろうとしていた」
「そうか。ローゼルは苦しかったんだね」
「カリンに言われて初めて気がついたんだ」
ローゼルはきっと自分よりも不器用なのだなとレンは思った。レンはイベリスに感じている友情のようなものをローゼルにも感じ始めていた。
「イベリスはね、僕の前で平気でカリンの額や頬に口づけをしたり抱きしめたりするんだよ。カリンもそうだ。でも、僕は不思議と嫌ではない」
ローゼルは困ったような顔をした。レンはローゼルの感情が顔に現れるのを興味深く思ったが、気がつかないふりをして先を続けた。
「つまり、ローゼルも僕に遠慮する必要はないということだよ。僕は複雑なことが苦手なんだ。嫌なことは嫌だと言う。だからそうではない限り、ローゼルはローゼルのやりたいように振る舞えばいいのさ。あ、もちろん姫の気持ちはあるけどね。それはカリンが考えるんじゃない?」
レンは言いながら可笑しくなって再び空を見上げた。白い鳥が一羽、気持ち良さそうに飛んでいた。そういえばマカニに白い翼は居ないなとレンは思った。何故だろう。特に禁忌はないはずだ。戻ったら族長に訊いてみよう。
「俺はやはり、城の一部だったのだ。カリンにも、王配が立つのは初めてなのに、何故こう在らねばならないと決めつけるのだと言われた。確かに、レンやイベリスと話をして自らの常識を壊す必要があるのかも知れないな」
「いいんじゃない? 僕もイベリスも族長にはなりそうにないけれど、他種族と積極的に交流をした王配と言うことで名が残るかも」
「レン。お前の心は自由だな。本当にどこにでも飛んでいけそうだ」
「そうでもない。自分のことしか見えていなくて時々シヴァさんに叱られるよ。……ああそうか。ローゼルには叱ってくれる人も居ないんだね?それはますます僕やイベリスと話をするべきだ」
「そうだな」
「よし。僕が次に城に来た時に早速決行しよう。ローゼルを乗せてポハクまで飛ぶよ」
「空から行くのか?」
「それが一番早いし安全だろう? この間みたいに邪魔が入ったら困る」
「ありがとう」
「まだ実行していないよ」
「いや……何というか、何かを楽しみに待つ気持ちを久しぶりに味わった」
「あはは。ローゼル、重症だ。僕がアグィーラに来てすべきはカリンの様子見よりも君の相手かもしれない。……そう言えば、何か話があって僕を誘ったんじゃないの?」
「ひと言謝りたかっただけだ」
「そうか。じゃあそれはもう解決したね」
ローゼルは笑顔で頷いた。
今、レンはアグィーラからポハクに向けて飛んでいる。イベリスと話をするためだ。
昨夜、ローゼルとの約束を話すとカリンは嬉しそうに笑った。レンが居てくれて良かった、そう言ってレンの胸に顔を埋めた。レンはそれが素直に嬉しかった。
パキラの館へ行ったが、イベリスは採掘場に行っているらしい。レンは初めて見る採掘場に向けて更に飛ぶ。といっても採掘場はポハクの町のすぐ南側に在る。飛べばあっという間だ。普段は北にあるマカニから飛んでくるので、ポハクの南側に行ったことがなかったというだけだ。
空から見ると採掘場はすぐに分かった。砂ばかりのラプラヤだが、そこはごつごつした大きな岩が砂の中から顔を出している。どうやらその岩の中に貴石や鉱石が隠れているようで、あちらこちらに穴が開いていたり、削り出されたりした跡があった。
一箇所、大きな櫓が組まれている場所を発見して近づくと下からイベリスが手を振っているのが見えた。
「よく分かったね。館で教えられてここまで来てはみたけれど、イベリスが見つからなかった時のことは考えていなかった」
レンはイベリスの前に着陸した。岩が太陽を反射して眩しい上にとても暑かった。ポハクに来るつもりが無かったので今日は頭に被る布も持っていない。そんなレンにイベリスは自分が持っていた布を投げてよこした。
「それでも被っておけ。ここは日差しを遮るものが何も無い。穴に潜ってしまえば涼しいんだけどな。遮るものが無いからお前の姿も良く見えた。この辺りにこんなに大きな鳥は居ない」
イベリスはいつものように太陽のような明るい笑顔で笑う。ちょうど昼の休憩時間らしく他の採掘工たちは櫓の下で休んでいた。
「ありがとう。ごめん、お昼だよね?」
「いや、ちょうど良かった。アグィーラからの帰りか?」
「うん。カリンは元気そうだった。でもローゼルが重傷だから協力を仰ぎに来た」
レンがアグィーラでの様子を話すとイベリスは十日後の訪問を快諾した。イベリスの笑顔を見て、ローゼルが昨日言ったように、レンも三人で話をする日が待ち遠しくなった。そんな自分の単純さが可笑しい。まるで子供だ。
「ポハクはその後どう?」
「結局それらしき人物は見当たらないからそのままになってる。町に戻っているかどうかも分からない。俺や族長に対する攻撃も、今のところ何もない」
「そうか。少なくとも君が無事で良かったよ。相変わらず採掘工は続けているんだね」
「ああ。俺の唯一の取り柄だからな。結構重宝されているんだぜ」
「知ってる。おかげで僕たちは一命をとりとめたんじゃないか」
イベリスがアルカンの森の貴石に似た石を掘り当ててくれたおかげでレンたちは人柱にならずに済んだ。もちろんカリンの案があってこそだったが、イベリスの力無しには難しかっただろう。
出会ってからまだ三年にも満たないなんて信じられなかった。
次回の約束がしたかっただけだからと言って、レンはイベリスが貸してくれた布を返し、早々にポハクを後にした。マカニに向かって飛びながら、レンは自分の気持ちが随分前向きになっていることに気がつく。
確かに三月は長い。まだそれは始まったばかりだ。しかし、それはただカリンがマカニに居ない三月なのではなく、自分と仲間たちの人生が新しい段階に入っていく準備期間なのだと考え始めていた。